第2話 図書室の精霊

 初原が自殺した原因。

 思えば耳にしたことは無かった。

 飛び降り自殺だったらしいことは知っている。

 ショッピングセンターの屋上の駐車場から飛び降りて、それで大きな騒ぎになったのだと、桜田が語っていた。

 別に桜田がその場に居合わせたわけじゃなくて、桜田の部活の先輩がそれを見たのだそうだ。

 クラスメイトで初原が飛び降りたところを見た人は誰もいなかったけれど、人づてに聞いたという類の噂話は教室内を飛び交った。

 桜田情報のショッピングモールという場所は間違いなさそうだけど、中には信用していいものか怪しい噂もあった。

 たとえば、初原はイヤホンをして音楽を聴きながら飛び降りたという話があった。

 そして初原がその時に聞いていたのは、合唱の定番曲の『BELIEVE』だったそうだ。

 なんだって曲名までわかっているんだか、と思う。


 そんな信頼性の低い情報も混ざった噂話の中でさえも、自殺に至った理由は少しも語られなかったのだった。


「確かに、なんで初原は自殺したんだろうな?」


「晴夏が自殺するなんて、おかしいのよ。だけどこの話は、あまり人のいる所でする話でもないわね」


 小平は乱雑に周囲へ視線を投げながら言った。

 放課後になって生徒がいっぱいいる廊下で話すにしては繊細な問題だと俺も思った。


「『どんぐりころころのころ』って喫茶店、知ってる?」


 と小平は言った。


「なんじゃそりゃ」


「あるのよ。学校からだと、大体南に十五分。詳しい道のりは地図で調べて。あるでしょ、スマホ?」


「ある」


 俺はうなずき、そしてポケットからそれを取り出して見せようとする。

 だけど小平は俺がスマホを引き抜くよりも先に、


「私、図書室に用事あるから先に行ってて。冷奴ひややっこが美味しいのよ。Byeバーイ


 と一筋の流れ星のように手を振って、軽快な駆け足で去っていった。

 長い黒髪が気持ちよさそうに広がって揺れた。


「バーイって。どうせ後で会うんだけどな」


 スマホを掴んだ手をそのままポケットに、俺は下駄箱に向かった。

 そして校門を出てすぐの所で立ち止まって喫茶店の場所を調べる。

 歩きスマホは危険で良くない。

 下校する生徒で多い時間帯だ。

 前を見て歩かなければ、友達同士でふざけている集団に突っ込むともわからない。

 見知らぬ生徒たちのげらげらと笑う声。

 そういうのを聞くと、俺ももっと友達欲しいな、と思わされる。

 友達百人で富士山に行くという、歌そのまんまなことをやって、青春の一ページにしたい。

 きっと世の中には実現してしまうやつもいて、凄く楽しい思いをするんだろう。

 俺にも多少の友人はいるけれど、めちゃくちゃに仲が良いこともない。

 そしてそのうちの一人だった初原はもうこの世にいない。


 小平の言っていた喫茶店は、実際には徒歩二十五分もかかった。

 結構遠く、駅からも離れている。


『どんぐりころころのころ』は、とても小さな喫茶店だった。

 ほとんどがカウンター席で、テーブル席は一ヶ所しかない。

 テーブル席には四人分の椅子があるけれども、テーブル自体は四人で共有するにはちょっと小さいように見えた。


「いらっしゃいませ」


 客は一人もいなかった。

 カウンターの向こうに立つおばさんがマスターだろうか。

 俺はテーブル席に座って、ラミネート加工された手書きのメニューを見る。

 メニューは上段が食べ物で下段が飲み物と分かれているのみで、文字の大小や飾りもなく、ただ羅列されているだけだった。

 その中に、小平おすすめの冷奴も書かれてあった。


「注文いいですか?」


 と手を挙げて聞く。


「ええ。どうぞ」


「冷奴と、緑茶お願いします」


 するとおばさんのマスターは意外そうな顔をした。


「あなた、前に来たことある?」


「初めてですけど」


「そうよね。冷奴、好き?」


 マスターはカウンターに両肘をついて身を乗り出してくる。

 話すよりも先に冷奴を出してほしいなあ、と思いはするけれど俺はマスターのペースに付き合うことにした。

 この喫茶店は彼女のルールで回っている。

 注文を受けてもすぐには手を動かさないっていうのは、チェーン店じゃない小さなお店ならではだろう。


「友達と待ち合わせで。その友達が冷奴がいいって言ってたんですよ」


「ああ、もしかして仁奈ちゃん?」


「はい」


「ってことは、仁奈ちゃんの彼氏?」


 きゃあ、とマスターは興奮で短く叫ぶ。

 俺は慌てて否定する。


「違いますよ。ただのクラスメイトです」


「ふうん?」


 信じていないというのではなく、子供をからかう大人の意地悪だった。


「小平はよく来るんですか、ここ」


 と俺は話を逸らす。


「週に一回は来てくれるわね。夏休みの時はもっと多かったけど」


 マスターはようやく冷奴と緑茶の準備に取り掛かる。

 と言っても、冷奴だからすぐに出てくる。

 豆腐とかつおぶしと薬味と醤油。

 見た目にはごく普通の冷奴だ。


 マスターはさっきとは裏腹に黙りこくって、俺の一口目を待っている。

 木のさじを使って、豆腐を一口分切って口に運ぶ。


「美味しいですね、この豆腐」


 たぶん良い豆腐を使っているというのは一口でわかった。

 薬味や醤油の強めの味に、豆腐が反発してみせる。

 滑らかながらもしっかりとしていた食感があった。


「うちの自慢の豆腐なの」


「マスターが作っているとか、なんですか?」


「ううん、私の従兄が豆腐屋さんをやっていてね。その従兄から仕入れているってわけ」


「なるほど」


 すぐに二口目を食べる。

 やはり食感が良い。

 これなら醤油無しに豆腐だけでも美味しく食べられそうに思う。


「で、本当に仁奈ちゃんの彼氏じゃないの?」


「本当ですよ。ただのクラスメイトです」


 俺は口に入れた豆腐をゆっくり味わってから答える。


「まあ、それでも進歩したってことかしらね」


 進歩?

 マスターの言葉の意味がわからなくて、俺はマスターを見た。


「仁奈ちゃんには、友達とか彼氏とかと一緒に来てねって言っているんだけどね。いつも一人で来るのよ。私はこの喫茶店が仁奈ちゃんと友達の溜まり場になったら素敵って思うんだけどさ」


 そうはならないのよねえ、とマスターは楽しそうな溜め息交じりに言う。

 でもそれは小平の交友関係とは別に問題があって、溜まり場にするにはこの喫茶店は学校から遠いのだ。

 俺だったら二十五分はあまり歩きたくない。


「小平って、誰も連れてきたことがないんですか」


 念のため俺は確認してみる。

 ないわよ、とマスターは答えた。

 小平って彼氏いないのか。

 頻繁に通っている店なら、もし彼氏がいたら流石に夏休みの間にでも一回は連れてくるだろうと思える。


「へえ、そうなんですね」


「あっ、にやにやしている」


「していませんよ」


 俺は顔を逸らして緑茶を飲む。

 上質な豆腐と比べてしまえば、随分普通の味の緑茶だった。


「じゃあ俺が彼氏になろうかな、とか思っちゃってるでしょ」


「思ってませんよ」


 豆腐を食べ終わってしまっても小平は来なかった。

 それで俺はしばらくマスターと小平のことを喋っていた。

 学校での小平なんて、綺麗なところを除いたら目立つことは無くて、俺からは合唱のことくらいしか話せなかったけれど、マスターが楽しそうに喫茶店で小平とした話を俺に聞かせてくれるのだった。


 そうして緑茶のおかわりをもらいながら(お茶のおかわりはタダでサービスしてくれるとマスターが言ってくれた)一時間くらいマスターと喋っていたら、自転車に乗った小平が店の前に止まるのが見えた。


「お待たせ」


 颯爽、といった感じで店内に入ってくる。

 自転車から降りてドアを開けるまでの動作が速くて効率的だった。


「待ったよ。図書室だろ? なにかあったのか?」


「なにもないわよ。冷奴食べた?」


 小平は俺の向かいに座った。


「食べたけど」


「私も冷奴で」


 マスターは、それからお茶ね、と言って準備に取り掛かる。

 常連っぽいやり取りだ。


「美味しかったでしょ?」


「とても。それで、図書室でなにをしてたんだよ」


「別になにも」


 と小平は淡泊に答える。


「ただ、一時間はいるようにしているの。私は図書室の精霊だから」


「は? なにそれ」


「綺麗な女の子が放課後いつも図書室にいたら、その子を目当てに図書室に通う人って出てくるでしょ。それで図書室の利用者が増えるってことで、とある先生から図書室になるべく来てほしいってお願いされているのよ」


「そんなこと頼む先生って、一体誰だよ」


「それは秘密。先生の名誉のために」


 小平は綺麗な人差し指を立てて、唇に添えた。

 人差し指と唇で秘密にされてしまっては仕方ない。


「まあ、とにかく精霊さんをやっていたので遅くなったわけね」


「そう。私って、図書室の蔵書の一冊なのよ」


 結局のところ、精霊なのか、それとも蔵書なのか。

 どちらにせよ、小平は得意そうに笑みを浮かべるのだった。

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