合唱曲と共に、自殺して残暑

すまい近道

第1話 アメイジング・グレイスの美少女

 夏休みが明ける五日前にクラスメイトの初原はつはら晴夏はるかが自殺した。

 女子が一人減った教室、俺たちは合唱コンクールの練習で『明日への扉』を歌っている。

 今年は残暑が厳しい。

 冷房の効いた教室の中、大きく口を開けて歌いながら窓の外を見ると、夏休みの時のままの暑そうな青空が広がっている。


 まとまりに欠けるラブソングの合唱は教室の壁に貼り付いて、狭く涼しい世界に沈殿していた。

 だけど、ある一人の声だけが窓ガラスを通り抜けて、夏を残した空の彼方に消えていく。

 女子の歌声だった。

 その子の歌声は、たとえるなら祈りの気分に似ていた。

 ここにはいない誰かに向けられた声は羽根のような軽さがあって、この世ではない場所へと吸い込まれていくのだった。

 俺は合唱の練習中、耳を澄ませてその声を聴いていた。

 そして目を開けて、その声のする方に視線をやると、そこには小平こだいら仁奈にながいる。


 黒く綺麗な髪を腰まで伸ばしたロングヘア―。

 背が高く細身で、脚が長い。

 切れ長の目と小さな唇。

 否応にも目立つ美人だけど、歌も上手いのか。

 そうなればますます俺とは住む世界の異なる人間のようにも感じられる。


 事実、彼女の綺麗な歌は合唱になっていなかった。

 祈りにも似た歌声は誰とも足並みを揃えることなく、孤独に空を目指していた。

 周りの歌声は聞こえているはずなのに少しもぶれることなく、まるで一人きりで歌っていた。

 そのように俺の耳には聞こえていた。


 ラブソングを祈るように歌う、その祈りの対象とは誰なのだろう。

 この美少女に並ならぬ片思いの恋人がいるというのは、あまりにも物語っぽく感じられるが、だからこそあり得そうなことにも思えた。

 それとも、ラブソングの中の愛の言葉を友情の言葉にでも置き換えているのかもしれない。

 たとえば、自殺した初原に向けて。

 想像のつかない小平の背景を俺は勝手に想像しながら、練習の時間を過ごす。


 俺の通う学校の文化祭は、放送部とか天文学部とかの文化部が出し物をすることになっていて、運動部にとって割と暇な催しだ。

 かと言って、本当に運動部に所属している連中が文化祭になんにも関係を持たないのは学校としてもつまらない。


 それで合唱コンクールである。

 クラス対抗で、合唱を競い合うことになっている。


 強制参加の合唱コンクール。

 せめてもの楽しみは曲決めで、曲さえ良ければ少しは真面目に練習してやろうかって気になる、とても重要なポイントだ。

 なんならそこの話し合いが一番盛り上がるところだ。

 だけども今年は担任のほり香住かすみ先生が独断で曲を決めてしまった。

 先生が子供の頃に流行ったラブソングだそうだ。


「それじゃあみんな、早く帰りなさいね」


 と言って堀先生は教室から出ていく。

 堀先生は合唱コンクールにさほど情熱を抱いていない様子で、二回歌わせるだけで良いも悪いも言わずに練習を終わりにする。


 先生が教室から出ていってドアが閉められると、桜田さくらだ絵理沙えりさが大きな伸びをして、さらに大きな声で、


「今日も終わったあー!」


 と叫んだ。


 桜田は身長こそ低いが、存在感は大きい。

 たぶん自分で自分をクラスの女王と思っているし、彼女と親しい人たちもそんなふうに扱っている。

 桜田は制服のスカートを短く履いていて、髪には少しパーマをかけている。

 ささやかな校則違反が当たり前になっているところも、自分の地位をアピールしているようであった。

 そんな態度でいるうちにいつしかクラス全体が彼女を女王と暗に認めるところになっていた。

 桜田と親しくないグループのやつらも、「終わったなあ」と彼女の言葉を繰り返しながら笑う。


「みんな、また明日っ!」


 桜田は教室内のみんなに手を振りながら、何人かの取り巻きと共に帰っていく。

 そしてクラスが緊張から解かれる。

 教師も女王もいなくなり、強者が消えたからだ。

 自身を下位の存在と思い肩身を狭くしている者たちが羽を伸ばせるようになる。

 朝のホームルーム前や昼休みの時とは全く異なる喧噪が放課後の教室には生まれる。


 俺も今日はとっとと帰ろうと思って廊下に出たのだが、俺を追ってきた小さな手に後ろから肩を掴まれた。


持山もちやまくんって、歌うのに魂を必要としないのね!」


 小さな声で、だけど大きな感動をたたえて話しかけてきたのは、小平だった。


「まるで人をロボットみたいに言うね……」


 小平の表情は楽しそうにきらきらとしていた。

 顔を見るに喧嘩をしに来たわけじゃなかったみたいだから、俺も穏便に返す。

 そして小平は笑みを浮かべたまま、そっと教室のドアを閉める。


「オートマチックに歌えるのは、ある意味エネルギーの節約よ。感心しちゃった。あんな合唱、つまらないものね?」


「いや、これでも俺は案外、合唱楽しんでるよ」


「あれっ、そうなの?」


 小平は意外そうに、ちょこんと目を丸くする。

 大袈裟に表情を変化させるタイプではない。

 ちょこんとした変化だけど、でも小平の顔はそれだけで見事に感情を表現してみせる。

 崩れ過ぎないのが小平にはよく似合っているな、と俺は思った。


「合唱でもないと、クラスのみんなの歌声って聴けないからね」


「歌うのが楽しいのではなく?」


「歌は聴く方が好きだな」


 他人の歌声を聴くことが俺は凄く好きだった。

 それが上手くても下手でも、他人の歌声はなんだか俺を安心させてくれるのだ。

 だから自分で歌うことにはさっぱり興味がない。

 ただ歌詞と音程をなぞって声を出しているだけ。


「それであんなに感情の無い歌になるのか。そしてみんなの声を盗み聞きしている」


 小平は納得した様子で小さな波のようにうなずく。


「盗み聞きだなんて、人聞きの悪い。否定はできないけど」


「ねえ、私の歌声はどうだった?」


 そう問う小平の表情には、俺を試す気配があった。

 作った薄い笑みの瞳の奥底に、俺の返答への関心を注意深く潜ませていた。

 俺はさっきの酷い言いようの仕返しと思って、


「とても浮いていたよ」


 と答えた。

 でも俺の答えは小平の驚きを呼ぶことはなかったようで、さっと真顔に戻る。


「みんなに溶け込めていない、か」


「それもあるけど。まるで天国にでも吸い込まれていきそうな声だった」


「祈っているみたいに?」


 無表情のまま小平は俺に聞いた。


「そう、祈っているみたいだった」


「やっぱりね」


「やっぱり?」


 俺は大きく首を傾げた。

 難しい顔をしているに小平は小さく笑い、答える。


「どういうわけか、みんなからそう言われるのよ。まるで神様にでも祈っているみたいって。どうやったって、そんな声になっちゃうの」


「なにを歌っても?」


 俺はロックを歌っている小平を想像しながら聞いた。


「大抵の歌は」


 と小平は答えた。

 そしていきなり、『アメイジング・グレイス』の出だしを歌う。

 超有名でたくさんの人が歌ってきた讃美歌を、まるで自分のために作られたもののように彼女は歌ってみせる。


 出だしだけを歌って小平は口を閉じ、得意げな目で俺を見る。


『まるで私のために作られた歌みたいって、思ったでしょう?』


 とその目は言っていた。

 今までの友達にもそう言われてきたんだろう。


 見透かされているのなら、わざわざ言う必要は無いな。

 俺も彼女と同じ目をして見つめ返した。


「誰かのことを思って、そんなふうに歌っているのかと思ったけど。そうじゃなくて、生来の癖だったんだな」


「ええ。祈る気持ちがこれっぽちも無くても、この声になるのよ。たとえ祈る気持ちがあっても、この声のまま」


「てっきり誰かのことを考えているのかと思っていたよ」


 と俺は言った。

 すると小平は首を横に振った。


「だからね、思っていたのよ」


「え?」


「晴夏のことを考えながら歌っていたのよ」


 小平は冷たい目をして言った。

 それは寂寞とした気持ちから来る冷たさだった。


「小平って、初原と仲良かったんだ?」


 小平は冷たい目のまま俺の目を見る。

 同じ冷たさを持っていることを探ろうと尋ねてくる。


「持山くんも晴夏と仲が良かったんでしょ?」


「よく話したわけじゃないけど。でも、音楽の趣味は合ったよ」


 俺は歌声を聴くのが好きで、初原は歌詞を聴くのが好きだった。

 歌手の声ばかり聴いていて伴奏の魅力にはあまり気が回らないところが俺たちは似ていて、話が合った。


「それなら私を手伝ってくれない?」


「手伝うって、なにを」


「晴夏の自殺の原因を突き止めたいの」

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