第二十三話 ルル・マジック VS ララ・マジック(一)

 朝。

 僕らは王立魔法学院にやってきた。前夜に作った魔籠すべてを身に着けてきたので、僕の見た目はものすごいことになっている。道中ではよく注目された。


 学院の教員だという人物に案内されて演習場へと歩く。自分の中の学校のイメージとかけ離れた、歴史と異国情緒のある構内をただ無言で進んでゆく。こんな状況でなければきっと周囲の景色を楽しめたことだろう。


 構内を歩く初等部の生徒たちが僕らに道を譲って脇に避ける。そしてこちらを見ながらこそこそと話をし始める。僕らが何をしに来たのかはよく伝わっているようだ。

 ふと隣を見ると、ルルは居心地の悪そうな顔で周囲をきょろきょろと見まわしていた。正直、僕もいい気持ちはしない。


「ルル、周りの奴らは気にしなくていい」

「はい……」


 緊張しているのか、ルルは少し汗ばんだ手で僕の手を握った。

 やがて僕らは演習場へと入った。そこは長方形の広大な芝地と、それを取り囲むように作られた階段状の観客席。僕にはサッカースタジアムのようにも見える。平時は運動競技などにも使われるのだろうか。


 僕はルルと共に芝の上に立って観客席を見上げる。ほとんどは空席だが、ところどころに座っているのは学生たちだろう。これまでに見慣れた初等部の制服のほか、もう少し年上と思しき制服姿の若者の姿も見える。

 今回の試合についてどのような触れ込みがされ、どのように観戦者を募ったのか知らないが、入場した僕らを指さして隣同士クスクスと笑いあうような姿が遠くからでも何組か確認できた。アウェー試合だが、周りで誰が見ていようが関係ない。

 僕は視線を前方に戻す。広い演習場の対面側、黒い外套に身を包んだララの姿があった。遠くてよく見えないが、右手には列車で共闘した時と同じ杖を持っているようだ。

 そしてララの後方にある特別な観客席にはルルとララの両親が掛けていた。


「試合を行う当事者以外は控え席へ」


 審判を務める者だろう。演習場にある背の高い台から僕らのほうへ声が掛けられた。


「ルル、下がって」

「おじさま……」

「大丈夫。負けないから」

「はい」


 ルルはちょっとだけ無理をしただろう笑顔を見せて、後方にある観客席へ下がった。

 ここからは僕の仕事だ。

 僕は意識を集中。魔籠の呪文を思い出して一つずつ小声で唱える。


「プロテクションフレイム、プロテクションウィンド、プロテクションアクア、プロテクション――」


 呪文を一つ唱えるたびに強力な防護の魔法と身体強化の魔法が僕の身を包み、身に着けているリストバンドやらペンダントやら髪飾りやらが一つずつ千切れ落ちて、魔籠の残骸を積み上げてゆく。これら突貫工事の魔籠は一回の使用にしか耐えられない。強力だが、すべて不完全。とにかく威力を優先し、最低限この試合の間だけ保つことを考えて作られた魔法だ。


「――レジストカース、ホークアイ、アイアンシェル、アストラルセンス、ハンターセンス、ビーストフォース、エンデュランスフォース、セイクリッド――」


 人体の極限を遥かに超えた身体能力と知覚が次々に備わってゆく。

 僕が魔法をかけている間も審判が説明を続けていた。


「今回の試合は一対一の魔法による模擬戦闘となります。使用する魔法および魔籠の種類や数に制限はなし、制限時間も設けません。どちらかが戦闘を続行できなくなるか、棄権を申し出た時点を試合終了とします」


 すべての強化魔法をかけ終わった。準備完了だ。


「両者、準備はよろしいですね」


 僕は両手に短い杖を持ち、ララに向けて構えをとる。

 ララは微動だにしない。ただ、直立不動のままじっとこちらを見据えていた。


「それでは、試合開始――」

「プロミネンス!」


 審判が開始を宣言し終えるとほぼ同時。僕は呪文を唱えた。

 僕が手にした杖が砕け、ララの立っている位置に巨大な火柱が噴き上がる。

 熱風が吹き荒れ、渦巻く炎が空気を食らう。襲い来る熱気が肌をじりじりと焼き、紅蓮の光は空まで染めた。

 王都へ向けて旅立った日、ララが魔物を焼き払ったあの魔法と同等かそれ以上の火力。観客の中には驚きのあまり仰け反る者たちや顔を覆う者たちがいた。客席には防護の魔法が備わっているらしいが、ルルの魔法に耐えきってくれるか心配になる。

 観客の何人かは絶望的な目で火柱を見ている。ララを心配しているのだろうが、僕は油断しない。この程度で倒せる相手でないのは分かっている。

 火柱が突如揺らめく。次の瞬間、内側から弾けるように炎がかき消された。

 そこには、先ほどまでと同じ直立不動のまま完全に無傷のララが立っていた。


「アイシクルストーム!」


 凍てつく嵐が吹き荒れる。城壁すら貫きそうな氷柱が群れをなして舞い踊り、演習場の芝地をえぐり取っていく。だが、ララに襲い掛かる氷は不可視の力に砕かれ、その身を傷つけることはかなわない。


「ヴェンタクル!」


 氷塊の嵐も止まぬうちに、呪文を連続させる。

 ララの周囲で地面が割れた。多数の裂け目から数十メートルに届かんとする不気味な触手が次々と伸びあがった。有毒の粘液に濡れた触手の群れは獲物を絡めとろうと相次いでララへ襲い掛かる。

 対するララは杖を少し振った。ララの周囲に光の模様が一瞬輝いたかと思うと、空気を切り裂くような鋭い音と同時にすべての触手は切断され、地に転がって霧散した。

 まだまだ。


「ウィンドロアー!」


 暴力的な空気の流れが生まれる。巨大な風は見えない壁となって吠え猛り、目の前の敵を押し潰さんと猛進した。演習場を覆いつくす暴風。逃れる場所はない。

 だが、ララは動かなかった。ただ杖を前に構えて風を受ける。

 なんらかの魔法に阻まれたのか。空気の壁はララの目前で轟音と共に散った。後に残るのはまき散らされた芝や土ばかり。


 強力な魔法がことごとく無力化される。どれも高級素材とルルのアイデアから生まれた超一級の魔法ばかりだが、これでもララに届かない。しかし、今はこれでいい。

 とにかく防戦させるんだ。守りに魔力を消耗させろ。勝ち目はそこにある。

 ララは涼しい顔をしているが、これほどの魔法を防ぐにはかなりの魔力を使っているはずだ。なるべく強力な魔法を連発して、攻められる前に魔力切れを狙うしかない。


 僕は遠距離攻撃系の魔法を連続で繰り出し続ける。水流が暴れまわり、風が吹き荒れ、地が割れて、炎が舞い踊った。

 かなりの魔法を放ったが、ララはそのすべてを防ぎきって見せた。どんな方法で防いでいるのか僕にはわからない。それでもルルの力を信じるだけだ。

 さらに呪文を連続させようとしたとき、ララの杖がこちらへ向けられたのを見る。

 考えるより先に、僕は右へ跳躍。直後、僕が立っていた場所に白い光線が着弾。光線は地面をえぐり、土埃を巻き起こした。

 間髪入れずにララの連撃が襲い掛かってきた。僕はギリギリのところで光線を回避し続けながらララへと接近を試みる。重複した強化魔法により、およそ人間の動きとは思えない超越的な機動が可能だ。

 ララが杖を構え、光の模様が輝いた。なにか違う魔法が来る。

 極限に研ぎ澄まされた知覚が、地面に危険な気配を察知した。どんな魔法か知らないが、地面に逃げ場はない。

 僕は高く跳びあがる。直後、足元から蠢く蔓が生え出てきた。宙へと逃れた僕を追って、増殖する蔓が四方八方から襲い掛かってくる。

 空中では身動きが取れない。ならば。


「イーグルフォーム!」


 僕は大鷲へと姿を変えた。

 急旋回、急上昇、急降下を繰り返して襲い来る蔓を掻い潜り、ララのもとへ急速接近。僕を睨みつける眼差しが目の前に迫ってくる。

 ララの目の前で変身を解除。


「デトネイトキック!」


 飛行の速力をのせたまま渾身の蹴りを叩き込む。

 目の前で大爆発が起こった。自分に防護魔法がかかっていることを前提とした自爆キック攻撃魔法だ。確かに何かを蹴り飛ばした感触と共に、巻き起こった煙と炎で視界がふさがる。

 未だ晴れない煙の向こうに殺気。

 とっさに首を後ろに逸らせて回避。さっきまで僕の頭があった場所を鋭い光線が通り抜けていった。

 煙が晴れると、僕から少し離れたところにララが立っていた。頬に小さく擦り傷のようなものが見て取れた。服にも土の汚れが見える。少しは通ったか。


「相変わらず、魔法使いの戦い方とは思えませんね」

「僕は魔法使いじゃないからな」


 ララは袖で頬に滲む血をぬぐい、僕を睨みつけた。


「ルルのすごさが分かったら、降参してもいいんだぞ」

「馬鹿を言わないでください」


 ララがちらと観客席のほうを見る。そこにはララへ厳しい視線を送る両親の姿があった。


「私は負けない」


 ララの杖から魔法の光線が放たれる。これまでの様子を見ていると、ララはどうやらこれを攻撃の基本としているらしい。シンプルだが弾速も射程も申し分のない強力な魔法だ。

 僕は光線をぎりぎりで回避しながら再び接近を試みるが、後に続く光弾の弾幕に遮られて後退を余儀なくされる。密度の濃い魔法の連打に回避が追い付かない。


「イージス!」


 強固な魔法の壁が僕を取り囲んだ。ひとまずの守りは固めたが、ララのペースになるのはよくない。なんとか反撃を――


「それで守っているつもりですか」


 ララが杖を空に掲げた。上空に奇怪な魔法陣が描かれる。晴れていたはずの空をあっという間に雷雲が覆い隠す。嫌な予感がする。

 目が眩むほどの稲光が周囲を照らした。ほんの一瞬の間だった。堅牢を誇る魔法の壁が粉々に突き破られる。

 轟音と熱。かつてない衝撃が脳天を直撃した。

 次の瞬間、僕は地面に大の字に倒れていることを認識した。意識を失っていたのか?


「よく生きていましたね」


 意識を失っていたのは僅かの間だったようだ。しかし、幾重もの魔法で強化された状態を突き破ってここまでのダメージを受けることになるとは。普通の状態であったら確実に死んでいただろう。


「さすが……天才は違うな」

「なんですって?」


 僕はよろよろと立ち上がる。


「ルルから聞いたよ。小さな頃から大人が使うような魔法も使えたって。でも、こんなすごい魔法を使える奴があんな親の言いなりで、魔法を全然使えなかったルルは自分の道を掴み取ってるんだから、笑えるよな」

「勝手なことを……」


 光の線が走る。ララの周囲に複雑な模様が描かれ、空中を多数の文字や記号が飛び交った。僕は警戒して構える。

 突如、僕の足元で地面が突きあがるように隆起した。僕は激しい衝撃と共に上空に吹き飛ばされる。続いて火球が撃ち込まれた。空中で悶える僕は成す術なく炎を身に受ける。強力な防護のおかげで致命傷にこそならないが、凄まじい威力に思わず声が漏れる。


 痛みに耐えてなんとか目を開けると、そこにララがいた。上空に飛ばされた僕のところまで跳躍してきている。その手には光をまとった杖。

 回避の間もなく、光の魔法が放たれた。

 迸る閃光。

 僕は上空から一気に地面へと叩き落され、演習場に倒れ伏す。地をへこませるほどの衝撃に視界がゆがんだ。いくつかの防護魔法が貫かれて破壊されているのが分かる。

 ララが悠々と着地。なんとか身を起こした僕へ向けて歩いてくる。


「私が今日までどんな思いで過ごしてきたか」


 光弾が飛んできて、よろめく僕に命中した。


「お姉ちゃんから、学院を辞めたいという手紙が来た時の、私の気持ちが分かりますか」


 続く連撃。僕はもろに直撃を受けて仰け反る。


「その日から二人分の期待を背負って、たった一人」


 顔面に正体不明の魔法を食らう。痺れと痛みがごちゃ混ぜになって、もう何をされているのかもよくわからない。


「行きたくもない学院で、やりたくもない仕事を目指して」


 腹に強烈な光線の魔法を受ける。体がくの字に折れ、僕はそのまま仰向けに倒れた。


「それでも……あんな人でも親なんです。私は期待に応えなきゃいけない」


 ララは倒れた僕に杖を突きつけて言った。怒りとも悲しみともつかない、しかし激しい感情がこもっているとわかる目で僕を見下ろす。


「それがお前の、負けない理由、か……」


 一言喋るたびに体が痛む。だが、このくらい、どうということはない。ここで音を上げてしまうようでは、これまでずっと痛みに耐えてきたルルの隣にいる者として相応しくない。


「そんな理由じゃ、ルルには勝てないぞ」

「何が言いたいんですか」

「拒絶されても、ルルは自分の信じた道を貫いてきた。望まれた才能じゃなかったかもしれない。それでも自分のできることで力を示した」


 観客席、不安そうな目で僕を見るルルがいた。この場でたった一人、僕の味方。僕も、ルルのたった一人の味方として、応えなくては。



「後ろ向きな理由で、嫌々魔法をやってるお前に、ルルは負けない!」



 僕は一つの首飾りに手をかけた。こいつはとっておきだ。


「ドラゴンフォーム!」


 猛火が僕を包み込む。

 絶大な力が体に溢れるのを感じる。あらゆる感覚が拡大してゆく。体が膨れ上がり、地上が遠く見えた。驚愕の表情を浮かべるララを見下ろす。いい表情をするじゃないか。ルルも作った甲斐があったな。


 周りを包む炎が晴れたとき、僕は一体の巨大なドラゴンへと変貌していた。深紅の鱗が全身を覆い、巨大な翼が演習場に影を落とす。

 空に吠える。

 空気の震えだけで観客席の大勢が身をすくませた。

ララが得意の光線と光弾を斉射してきた。だが、強固なドラゴンの鱗はあっさりと魔法を弾いて見せた。蚊が鎧を刺すようなものだ。

 しかし、この魔法は長くもたない。早々に決着をつけなければ。


 前脚を浮かせて翼を大きく広げ、強く羽ばたいた。ただそれだけで風の魔法すら凌駕する暴風が吹き荒れる。ララは身構え、魔法で防御の体勢をとった。

 僕は全身を回転させ、ララめがけて尻尾を振るった。風に耐えていたララは回避が遅れる。巨体の体重とドラゴンの身体能力を乗せた一撃がララを直撃した。

 ララは小さな悲鳴を残して演習場の反対側まで弾丸のように吹き飛び、壁を打ち砕いて砂埃を立てた。ララが体勢を立て直す前に追い撃ちをかけなければ。


 壁に半ば埋まっているララめがけて大きく顎を開いた。本物のドラゴンブレスを見せてやる。

 僕は四本足の爪をがっちりと地に突き立てて攻撃体勢をとった。射線上にいる観客たちが我先にと避難していくのが見える。彼らが賢明でよかった。

 僕の喉で爆発が起きた。轟音と共に熱線が放射される。莫大なエネルギーの奔流がすべてを焼き尽くしてゆく。観客席防護の魔法は紙切れのように突き破られ、演習場の一角を粉々に吹き飛ばし、その先にある広場をえぐり、校舎の一部を消滅させ、塔を倒し、学内の森を燃やした。射線上の地面は溶岩のようになり、破壊された建材から溶けだした残骸が真っ赤に光っている。殺してしまうかもなどとは考えなかった。これはルルの全力の戦いだ。手を抜くことなど許されない。


 ブレスを終えると、僕の体から熱が失われはじめた。力が急速に消え失せ、立っていることも困難となる。巨体を支えていた脚が折れ、地に伏す。鱗も翼も朽ち始め、霧散してゆく。肉が削げ、骨が現れ、それらもすべて空気へと溶けてなくなり、元の姿に戻った僕だけが演習場に降り立った。


「ララはどうなった……」


 溶岩のようになった演習場の一角から、一人の少女が歩み出てきた。まだ立って歩けるとは、大したものだ。


「やるじゃないか。よく耐えたよ」


 さすがに完全に無事ではないようだ。服はボロボロであちこち焦げているし、体に血が滲んでいる。そして、手に持つ杖がへし折れていた。魔籠を壊したか。


「あなたは、本当に、何を考えて……」

「降参したらどうだ。魔籠なしでは戦えないだろう」


 言ってみたものの、実はこっちもかなり危うい。今のドラゴンブレスはまさしく切り札だったからだ。序盤で強力な攻撃魔籠をほとんど消費してしまったので、攻め手が無い。だが、それは相手も同じのはず。

 ララは光の模様で象徴を作り出し、即興で魔法を撃てる。高度な技だが、その模様を描く魔法自体は壊れてしまった杖を使っていたようだし、このままでは戦えないはずだ。


「誰が魔籠はこれだけだと?」


 ララは壊れた杖を捨て、懐に手を入れる。そして何かを取り出した。

 それは金属製の棒のようなものだった。


「乞う、聖天の光――」


 ララが何事か呟き始めた。これは呪文か? あの魔籠は……。


「――刃となりて、我が敵を切り裂き給え」


 何もなかった棒の先に白く煌めく半透明の刃が現れた。武器型の魔籠か。

 そういえば、こちらにもあったな。僕は腰に差した剣に触れた。いよいよこいつの世話になるときがきたか。

 僕は静かに剣を抜いた。

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