「150」

それでは諸君の妨げとなるものは何なのか?

それは内からのものなのか、外からのものか、あるいはその両方からやって来るものなのだ。


最初は、注意力を習慣的に保持していることはなかなか身につけがたいものだ。

屈せず続けることだ、そうすれば周期的に激しい反応が得られるようになる。

「理性」そのものが諸君にこう言いつつ攻撃してくるだろう。

どうしてそんなに激しい束縛が「自由のみち」になり得るのか、と。

耐え忍ぶのだ。

諸君はまだ「自由」を知ったことがないのだ。

様々な誘惑に打ち勝てば、「理性の声」は沈黙し、諸君の魂は自ら選んだ進路に何物にも邪魔されずに前進していくことになろう。

そしてそこで初めて諸君は「自己の支配者」、「宇宙の支配者」であることの強烈な喜びを体験できるのだ。


「愛」には二つの原理がある。征服の原理と産出の原理だ。

この二つの原理はどうにも説明しがたい。なにしろ両者とも微妙なものだ。

「愛」自身が自らその様々な「作用」を示しながら原理をよく教えてくれよう。

ただ一般論として言っておくべきことがある。

そのどちらの術式を選ぶかはまったく無意識に行なわれるべきことであり、

それは諸君の内に棲息する秘められた「意志」が決めることなのだということである。

だから意識的にこの決断を下そうとしてはいけない。

真の本能にまかせておけば誤ることはまずないはずである。


by 666 「第150の書」



「誘惑されれば屈するだけさ」というリガルディの言葉

「秘められた「意志」が決めること」というクロウリーの言葉

この2つが同義であると思う

「自由」を知るための手段

「愛」が意味するもの

内と外に存在する激しい「束縛」

「周期的」な現象

そして 「喜び」…


これがHGAであり Bornless oneなのかなと思う

真の自我に目覚めた魔術師の通る「径」

それが「第220の書」のなかにある…のかな


聖なる3日間が終わりを告げようとしている

毎日ほんの30分 「第220の書」を読み直しながら

去年とまったく違った見方や行間の意味が自分の心に残る

去年は考えつきもしなかったことが心の中にわき上がる

それをどう解釈しようか

もっと考えなくてはいけないし

もっと感じなければいけない

きっとわたしの周りに確かに存在しているものだから


Amen!

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