『第三十四話』
第二章 『第三十四話』
「——……イディア……さん……?」
「"はい"」
「本当にイディアさん……何ですよね……?」
「"そうです"。正真正銘の美の女神——イディアですよ。"我が友"」
「……よ、よかった、良かった……っ——」
安堵に気は抜けて、崩れる脚。
跪く青年は友の帰還に際して涙を零し、嗚咽の声も溢れ出る。
「……御心配をお掛けして、申し訳ありませんでした。奥の手で姿を変えるのは、囮として務めを果たす僅かな間の予定だったのですが……」
「ぐ——っ……ぅぅ……」
「"想定以上に我が友の姿が私に馴染んでしまい"、少し……戻るのに手間取らせてしまいました。ごめんなさい」
「そんな……そもそも、俺がもっと早くに戦いを終わらせていれば、こんなことには……」
"似たような生態的地位"——彼女たちが"共通の役割"を持つが故の
「俺が未熟なせいで、余計に貴方を危険な目に……——」
現在進行で濡れる顔を袖で拭う青年。
だが、権能で泥を落とすのを忘れていたこともあって、その玉容は却って更に汚れてしまう。
彼女の心を満たすのは『再会の喜び』と、しかしそれ以上に重く広く伸し掛かる『無力感』や『後悔』といったある種の"自責の念"ばかりで。
「……私は自分に出来ることをして、貴方も今の貴方自身に出来ることを精一杯に頑張った——それが事実です」
「私は貴方を少しも恨んでなどいませんし、責める気だって……ありませんよ」
けれど、当然にイディアは罵るようなことをせず。
予てからの青年の震えを知る美の女神は髪を安らかな薄緑に変え、手で優しくに友の背を摩る。
今も震える心身に寄り添い、息や心を整える手助け。
「それに……私は自分の意志で『貴方の力になりたい』と思い、進んで行動を決定しました」
「ですから、貴方が責任を過度に感じる必要はなくて。寧ろ私の言葉を忘れずに、しっかりと
「本当にご苦労様で、有難うございます——我が友」
柔らかくの笑みと声色で慰める。
「っ……」
「……」
「……すいません。イディアさん」
「……いえ」
「……もう、大丈夫、です——」
そうして、撫でられる背は垂直に角度を変え、離れる女神の手。
顔を上げる青年は涙の水を制御して押し留め、汚れたままの表情で友と向かい合う。
過去の後悔を未来のための戒めとし、"側に自分を助けてくれる他者がいる"——イディアの存在という"今の幸福"に対して感謝の思いを伝えるために。
「——……俺の方こそ、貴方には何度も助けて頂いて……本当に有難うございました」
「……どう致しまして」
「感謝してもしきれなくて……落ち着いたら、このお礼も必ずします」
「気にせずとも——」
「"……"」
確固たる眼差しで恩ある女神を見つめる。
「——……分かりました。でしたら"料理と食事の約束"を、"その機会を貴方からの礼"として——楽しみに待たせて頂きます」
「……はい。もう少しだけ待っていてください。美味しい物を作れるよう、頑張ります……!」
折れてくれた友の笑顔を前に誓い、意気込みを体でも表現しようと手や足腰に力を込め——。
「それなら、細かい日程はまた……
けれども、とうに青年の緊張の糸は切れていた。
戦いが終わって、友との再会も無事に果たせた後の日常的な会話に心は緩みきり、連動してふやけた体は大きく揺れ動いて——イディアの咄嗟の行動によって肩を支えられる。
「わわっ——だ、大丈夫ですか……!」
「……すいません。少し……疲れが…………」
頭は前後に船を漕ぎ——だが、そんな状態でも相手の胸に飛び込むような形にはしまいとして——折った脚でなんとか地べたにへたり込む。
一斉に押し寄せる疲労感。
心地よく感じられる疲れが閉じさせんとする瞼の下で、虚ろの黒は徐々に光の活気を失って。
「……無理もありません。あれだけ頑張ったのです。疲弊した心身、休めるための眠りに就いてはどうでしょうか?」
「……でも、都市への報告と……確認が、まだ……」
「……その状態では報告どころではありません。残る務めは私の方で担いますので、貴方の方はお休みに」
「……いいんですか? イディアさんだって、疲れてるのに……」
「"大丈夫です"。疲れてはいますが、後の始末についても既に"手筈"は整えられていますので、どうか"女神"にお任せを」
「……分かり、ました。では……——」
言われるがまま、厚意に甘えるがまま——うつらうつらの青年女神。
「——後をお願い……します……」
「……はい」
イディアの横で身を倒す。
そうして地面で横になって、まもなく。
「……、——————」
「……」
聞こえだす、あどけない寝息。
微睡んだ友を見守る女神は、その中にあって尚も身を震わせる苦悩へと——囁くのであった。
「……おやすみなさい。我が友」
————————————————
そして——神が現れる。
「——"大儀であった"。美の女神イディア」
戦場と其処に倒れる死体の検分を終え、足音のないまま——夜の闇より出でる神。
「接敵及び戦闘の報告、
「……"女神アデス"」
「奪う命の
いつの間にやらイディアの前に立つのは白黒の女神アデス。
調査からの一時帰還を果たして星に落ちた彼の神は其の足で今、眠る教え子を眼下に捉える。
「……共に無事か」
「はい。貴方の教えを受けた者、その勇戦により大事なく。……酷く疲れた様子で、今は眠りの中に」
「……
「……恐らくは」
「…………」
師、寝息を立てて震えを見せる青年を鋭く見つめ——翳す手で掛ける漆黒の闇は、戦前に脱ぎ捨てられていた隠れ蓑。
「……しかし、女神。見事な戦いぶりであったのも事実。称賛の言葉に値するものかと」
「……」
「……苦悩を抱えての悪戦苦闘。
「……此方でも留意を致しましょう」
眠る青年の知らぬ間。
何やら女神たち、意味深に交わす言葉。
「期間中の監視報告、及び所感については後日に詳しく伺います。取り決めた残りの報酬も、その時に」
「承知しました。でしたら私は任された都市への報告と状況確認のため、今は席を外そうと思うのですが、その
「構いません。指導役として、元より私という神が引き取るつもりです。川水の女神は速やかに預かり——"加えて"」
「?」
「残る務めも私が受け持ちます」
「それは……宜しいのですか?」
「元はと言えば、
木に
「戦闘への参加という予定外の務めに対しても、
「——疲れているのでしょう?」
微細な瞼の動きや玉体の律動変化から美の女神の容態を概ね把握したアデスは言う、『休め』と。
事実、会話を重ねている間にも徐々に瞬きの回数を増やしていたイディアの有り様、異彩の髪は薄い青から更に色は抜けて白に近付き、彼女の気の抜けて行く段階を表しているようであり。
「……そう、ですね」
「……」
「実を言わせてもらいますと、既に私も一杯一杯で……御言葉に甘え、休ませて頂いても?」
「問題はない。眠りに落ちたとて
「……御心遣いに感謝を」
「不要の憂いなく休せよ、女神」
年寄りに勧められて休むことを選んだイディア。
起こしかけた身を戻し、体重を預けた木の下で瞼を閉じて隠される黄褐色。
少し格好を付けて
「……そして、御言葉ですが女神。"追加の褒美は必要ありません"」
「……何故か。貴方の働きは評価に値するものでした。……私という神からの贈り物を忌避するのならば、形式を別に——」
「いえ、いえ。そういう訳ではないのです、原初の女神よ。私が貴方との関係を、敬する貴方を忌み嫌うなどと……断じてそのようなことはありません」
「……でしたら尚の事、理由は見えて来ませんが……」
青年の汚れを片手間に消し去りながらに聞くアデスへ残す——"喜びの言葉"で女神たちの密やかな会話は閉じられるのだ。
「理由は——既に、貰っているからです」
「私が……何を贈った?」
「貴方の贈り、くださった"機会"が——得難い
「……"縁"とは、
「はい。得難く掛け替えのない良縁。その幸運は貴方からの褒美として十二分に相応しく、故に私は『既に貰った』と、表した……のです」
「……」
「なので……今一度、貴方に感謝を……交わる道で助け合い、私に理想を信じさせてくれる……良き、友と出会わせてくれて……——」
「ありがとう……ござい、ます————」
「————」
「————」
「…………」
そして眠らずに残ったアデスの言葉は——並び、眠る女神たちへ。
深々と更ける夜の闇へと溶けて、消え行く。
「……休まれよ。星の子たる才女たち」
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