『第十六話』

第一章 『第十六話』



(——本当に、あったなんて……!)



 雨中の森。

 雲に覆われた空の下——"異彩を放つ光"。

 細く短い棒状の、末端で広がる矢羽やばね——獣に刺さる"矢"の形。

 探し求めていたその形を遂に捕捉した青年は半信半疑ながらに目を見開く。



(あれ、恐らくはあの矢が——"獣をおかしくさせた原因")


(なら、あれを取る——つまり、引き抜けば……)




(——獣を正気に、"元の温厚な性格に戻せる"筈だ)




 固唾を飲み、一層潜める己の動作、その音。

 体の表面に薄くまとった水の膜で降る水を優しく受け止めながら、忍び足。

 まるで『取り除いてほしい』と、寝返りで"差し出される"かのように晒された獣の背中へ向け、接近開始。




「……」




 如何にも物を知る女神によって話に出された可能性が目の前にあることに微かな疑念を抱きつつ。

 しかし、降って湧いた機会——光輝く好機へ一歩、また一歩と歩みを進め。



(……これが……)



 青年は、手に届く範囲に矢を収めたのだった。



(……熱気を感じる)


(……不思議だ。この光は、一体……——)




「——っ!?」




 一瞬の閃光。

 光が熱源であることを確かめようと翳した右手に痛みが走る。



(——つうっ……!)




(今のは——電気……? この矢が、"電気を帯びている"……?)




 引き戻した手より上がる蒸気を握り、消す。

 獣に変化がないことを見定める数秒の後に眺める熱源——

 背中に突き刺さるそれ、時折に迸る火花・空気を震わす微振動。

 その帯びる神気、電熱の存在を接近者たる青年に輝きとして見せつける。



(触れれば、熱くて……それに、"痛い")



 今しがた体感した痺れるような痛みを思い、浮かべる苦い表情。



(……だけど)



 しかし、躊躇う暇はない。

 もう一度念入りに巨躯が不動であることを確認した青年は意気込む。



(……寝ている今がチャンスだ。やるしかない)


(起きる前にこれを取り除いて——"苦しみを終わらせる")



 思い返す覚悟。

 神気を集中させた両掌をそれぞれ左右から矢に近付け、増幅する熱の感触に息を飲み——そうしてまもなく。




「…………」




 青年。



(……よし)




(————"行くぞ!!")




 その手に——白熱の矢を握る。



(——! ……っっ!! ——熱"い……っ!)



 帯電する矢がまるで長時間熱した金属のような高温で掌を焦がし、昇る水蒸気。




「…………! ……っ! ————ぐっ、ぅぅぅ"」




 想像以上の熱に、焼かれる掌の痛みに上がる苦悶の呻き。

 腰を入れて踏ん張る青年の顔に余裕の色は一切なく、今の力の限りを振り絞るが——。



(——熱い熱い、熱い……っっ!)



 しかし、肝心の矢は未だビクともせず。




(——! ————駄目……だ——限……界——だ——っ……!!)




「————っ! ぁ"ぁ……!! ……うっ、ぐ……っ」




「はぁっ、はぁ、はぁ——っ」




 掌を焼いた——じりじり鈍くも徐々に増幅しては鋭さを増す——熱の痛みに堪え兼ね、青年は堪らずにその手を放してしまった。




「はあっっ、はあ、はあ——」




 時間にして一分にも満たぬ苦闘が残したのは徒労感。

 必死で息を整える青年が痛む部位を確認しようと持ち上げた手——目の前で開いた掌は焦げて黒く変色し、息を吸う度に薄い桃の肌色を取り戻して行く。




「っ、はぁ、はぁ——(こんなのほんとうに……抜ける——のか……?)」




 人間とは比較にならない程の耐久性能を誇る神の体——玉体。

 単純な傷ならば直ちに漏出する無限のもたらす物質が治癒を行い、欠損を補う。



(……とりあえず、傷は治った。……でも——)



 消しきれない苦痛に眉根を寄せ。

 涎か汗か、湿った口元を拭って視線を直面する問題へと戻す。



(……矢は、相当深く突き刺さってるみたいだ)


(単純に手や腕に力を込めるだけじゃ、抜けない)



 時たま繊維がねじ切られるような音を発する光の矢、見え出した透明な煙のような神気。

 立って引き抜こうとするのでは不十分なら、より力を込めるため——"次の一手"はどうするべきか。



(……次は、腕と胴も入れて矢を……綱引きの要領で矢を掴んで、神気を放出して……そのエネルギーを引き抜くための力に——)



 熱せられた心と体。

 "周囲の音"も耳に入らないといった様子で彼女は黙考を続ける。

 身を焦がす痛みを味わいながらも、諦めるという選択肢は存在しない。



(——更にべモスの体に足をついて、体全体で矢を引っ張るような姿勢で……足から神気を水として放出)



 諦めてしまえば少なからず都市の人々の命が失われてしまうかもしれない。

 自身を気遣ってくれた優しい少女の、小さな弟と二人で必死に生きようとする少女の命が——"その灯火"が消えてしまうことが、何より今の青年には恐ろしく感じられたから——諦める訳にはいかないのだ。



(——でも、それだと触れられたべモスが体の異変に気付き、目を覚ましてしまうかもしれない)


(そうなると直ぐに矢を引き抜けなかった場合は……)



 憂慮の面持ち。

 先ずは予測で試行錯誤、模索する最適解。



(……けど、待っていたとしてもいつかは目を覚ます。今みたいに背中を晒す機会は貴重……)




(それなら——もう一回、やるしかない)




 深呼吸。

 見たいと願う姉弟の笑顔を支えとして、青年。




(——あと一回で、方を付ける)




 熱が試す覚悟を備え、再びに矢へと手を伸ばす。




「…………」




 光を抱え込むようにして体を近付け——近付けたの




「——————?」




 身の焦がす痛みが来るであろう、その直前に『矢を引き抜く瞬間に神獣が目を覚ましてしまわないか』という"危惧"。

 若しくは『もしそうなってしまった場合にも動じず、持てる力の全てを使って瞬きの間に矢を引き抜いてしまおう』という"企み"はそのどちらも——。




「——え——」




 敢えなく——に終わるのだった。




「"——————————"」




 青年の側面から聞こえた、その音。

 それは、"厚みを持った何か"が空気を押し退け——"迫る音"だった。

 集中の最中で突然の音に気づき、咄嗟にその音がする方向に向いた女神の——しかし、彼女の動作よりも遥かに早く玉体に到達したのは——




(——————)




 故に"大木の幹のような重厚の質量を持った物体"。

 が女神を——彼女の玉体を




「——————」




 響くのは鈍い打撃の音。

 声を上げる間もなく、吹き飛ばされ。




「————」




 打たれて飛んだ女神。

 その勢いで衝突した一本の大木を真中からへし折り、さらにそのまま突き抜けてもう一本の大木の幹を抉り——落ちては、転がった地面にて一応の停止。




(——、"—、—"、、——————"!")




 しかし遅れても止まらずに到来するのは"痛み"。

 只人ならば間違いなく"絶命に至っていたであろう一撃"の苦痛は打たれた側面から染みの如くジワリジワリと意識下の拡大。




「————っ"っ"……ぁ、ぁ"……——ぁ、ぁぁ——っ、ぐ、っあぁぁぁあ……」




 そして遂に全身を駆け巡る耐え難い激痛の波は、内外からで重なる程の叫びを上げさせん。




「あ——ぁぁっ……!! ぐぅぅ、ぁぁ、ぁぁぁぁ————"あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!"」





(あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! ッッ"あ"あ"あ"あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ————!!?!)





 青年が"夢を見ている筈"であっても、事実として苦痛に容赦はなく。





「あぁ、ぁぁぁぁ……! っ、はぁ——ゔぅぅぁぁ……!」


「がぁ——ぁ、はっ……ぁぁ……ぁぁ……っ!」




(なん、で、なんで——)


(どう、して……っ——どうして、俺が——)




「ぅぅぅ、っ……ぁ"ぁ、あぁ、——く""——ぁぅ、ぅ"ぅぅ"ぅ——」




(——こんなッ、こんなに——痛、いたい……ッ??)




 のたうち回る身は泥水に。

 雨と涙に塗れるその顔は、焦燥の女神。




(夢、なのに——夢のはず、なのに……!)


(どうして——どうして、どうして——っ!!)




「がぁ"、ぁぁ……! う"、ぅっ、ぁ"——っ"!」




 雨と泥と小石さえ滲みる痛みで、身を捩る。

 潰れた腹部の傷より漏れ出る"暗い青色の液体"が服を汚し、地面に溜まりを作って行く。



(どうして、おれが——こんな目に……っ)


(こんな、——こんなっ、夢を……!)




(こんなに、痛い思いを——しなくちゃならない……!)




「……ぁ、ぁ……はぁ——っ、ぁっ……」




 理不尽に打ちのめされた心、吐き出すのは溜め込んでいた弱音。



(もういい、もう——いやだ)


(もう、こんなのは、こんな悪夢は……もうやめて——かえりたい……! 帰らせて、くれ……——」




「ぅぅ……ぅぅぅ——っ、ぅぁ——」




 情けなく泥濘む地面に突っ伏し——嗚咽。



(もう駄目だ、もう……立てない)


(もういい……もう、諦めるから——俺を、楽にしてくれ……!)



 嘆き、痛む心が求めるのは、"終わり"。

 だが、得てしまった神の不死性はそれを許さず——治癒を始める体は染み込んだ泥水・砂利さえ変換して玉体へと再構成。

 傷は塞がれ、潰れた肉は厚みを増し——取り戻される乙女の柔肌。



(もう、こんなことは終わりに————)



 そして、泣きっ面に畳み掛ける——轟音。





「「"————————————!!!"」」





 "目覚めた獣の咆哮"。




「——っ……!?」




 牛と狼を合わせたような——塞ぎかけの傷を震わす声の揺れ。

 世界はこれより、青年に歩みを止めることさえのだ。



(獣……、が……)



 立ち上がる獣。

 その横たわっていた巨体は四本の頑健な脚に支えられ、先にも増して大きく、高くに変化。

 角の下に据えられた血走る大きな目が開き、吐き出す息は煙に、太く鋭い牙を覗かせる口からは涎。




「「"——————————!!!"」」




 二度、三度、揺れる世界。

 上がる獣の声——その叫びはどこか、先の青年が発した苦痛の叫びと似ていた。

 青色の液体が付着した尾で叩く地面はその様子もやはり、"のたうち回る"ようで。



(……こわいよ——)



 吹き飛ばされて距離の離れた青年は獣の視界にはなく——"山脈を背に"。



(に、にげ……逃げない、と……)




「「"——————————!!!"」」




 "見据える先"へと駆け出す。

 どうにか痛みから逃れようとしてなのか、あてもなく。

 "奇しくも青年の向かおうとするのと同じ方向へ"と、彼女に先んじ——"突進を始める"。



(俺には、無理だ。なら、せめて……)


(都市へ、逃げて……移住の支援——)




(……を……)




 考える言葉と共に背筋が凍る。

 蹌踉めきながら"都市の方角を向いた青年の視界"——"その遥か前方で木々をなぎ倒しながら小さくなって行く獣の後ろ姿"で、"その光景が意味する事実"とは。




(——だ、! だめだ、だめだ——)





(——……っ!!)





 構いなくの"猛進"で、獣が進む先——




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