守護者の記憶
エデンと名乗った男は朗らかにサラを出迎えた。
優しさというよりは、慈愛を具現化したような顔つき。服装も相まった容姿、そしてこの真っ白な世界。
ウォーカーやアリアが、エデンについての説明を曖昧にした理由に察しがつく。
渋ったり隠していたわけではない。持っている言葉で、この空間を表現することができなかった。
この空気を、そしてそこにいるたった一人の彼を、なんとたとえればいいのだろう。
いざこの場に身を置いたサラには、適切な言葉が出てこない。
そんな動揺はいざ知らず、口を開いたのはリューだった。
念話ではなく、はっきりとした音として。
「我の目から見れば、おおよそ人間だとは思えぬ。お前は何者だ?」
「すごいね。この呪いを可視化できるなんて、やはり幻想種は格が違う」
エデンは白いフードを外し、前髪の隙間から見えた灰色の瞳を指差す。
「僕の目はね、生まれた頃から見る力がないんだ。だから代わりに、あらゆる未来を視る呪いを授けられた。そう解釈しているよ」
最初に瞳を覗き込んだときに覚えた違和感。その正体に納得する。
しかしサラは、同時に混乱していた。
この世界にある数多の魔法、その中に《階位魔法》と呼ばれるものがある。
不変の定義こそないが、強いていうとするなら世界を変える魔法である。
この世界を形成するには、いくつかの法則があるという。
それは海と大地があるように、時間が一定の周期で流れるように。それら常識と呼ばれるものすらも変えてしまう。
魔法を万能たらしめるものであり、奇跡という産物になり得る由縁。
エデンの有している未来視の呪いは、間違いなく階位魔法の類といえる。
しかしそれが呪いだとしたら、魔法ではない?
そもそも、魔法使いとはいえ計り知れない未来を視ることができるのか。サラの頭の中は、疑問が疑問を呼んで大騒ぎとなっている。
「未来が、視える? それも強制的に?」
「こんなところで話すのも疲れるね。僕の家に案内するよ」
そういってエデンは泉を挟んで向かい側に見える、この空間にある唯一の建造物を指差す。
彼は泉を迂回して歩を進めていく。サラも困惑を隠せないまま、彼の後ろをついて歩いた。
歩けば歩くほど、踏んでいるはずの地面が樹液を固めたような、ぶよぶよとした気持ちの悪い感触が走る。
それが感情として伝わったのか、エデンは顔だけ振り返って笑いかける。
「ごめんね、ここを作ったのは僕なんだけど、どうも上手く作れていないみたいなんだ。不快かもしれないけれど、そのうち慣れるよ」
はあ、とサラは動揺混じりに答える。
一方のリューは警戒しているのか、しばらく口を閉ざしている。殺気を放っているわけではなく、単に不安の色が強いようだ。
「大丈夫だよ、リュー。悪い人ではないはずだから」
リューは答えない。その代わりとでもいうように小さく嘆息した。
「さあ入って。少しばかり狭いかもしれないけれど」
これもまた真っ白な家の扉を開けるなり、サラは絶句した。
家の中は、確かにそれらしい形を取っている。それなのに、置かれている家具一つひとつが歪な姿をしていた。
足の曲がったテーブルの上には、やけに幅の広いティーカップ、蓋のないポットがある。使う分には問題ないのだろうが、色合いも相まってそれがひどく歪なものに見えてしまう。
「やっぱり変かな?」
苦笑するエデンをなんとか誤魔化そうと、サラは必死に身振り手振りで表現するが、それは彼には見えていない。
しかし慌てた様子は伝わったようで、エデンは屈託のない笑い声を零し、手探りしつつ窓側の椅子に腰かける。
「困らせる気はなかったんだ。今までここに来た魔法使いたちは、決まって動揺していたからね」
こんな光景を見せられて、動揺しない人などいるのだろうか。
目を丸くしたサラの気はいざ知らず、エデンは「座って」と促す。彼女が座るであろう机の前に、空のポットから朱色の水が注いでいた。
「この香りは、紅茶?」
「そう。ウォーカーからのお土産なんだ」
白い世界に目が慣れてきたのか、カップに注がれた紅茶の色が濃く刺激的なものに映る。
おそるおそる口をつけると、温かく芳醇な、サラの知っている紅茶の味がして、ようやく心が落ち着いた。
「……おいしい」
「気に入ったようでよかったよ」
エデンは微笑み、彼もまた自分で淹れた紅茶に口をつける。カップを静かにテーブルに置くと、虚ろな瞳をサラへと向けた。
「改めて、僕の楽園へようこそ。サラ=メルティア。聞きたいことがあれば、できる範囲で答えよう」
呆気に取られてばかりのサラは、ようやく目的を思い出す。
サラには知りたいことがたくさんある。それは過去のこと、今のこと、できるのなら未来のことも。
もし本当に未来が視えるというのなら、彼は魔法使いがどうなっていくのか……しかし、今のサラにはまず初歩的な疑問がある。
「エデンは、どうしてこんなところに?」
「そうだね。あまり長く話すのはつまらないから、少し面白い見せ方をしようか」
ふわりと、どこからともなくエデンの手に杖が現れる。
焦げ茶色の木の枝のようで、先端には赤く透き通ったガラス玉が付けられている。
元来魔法使いは杖で魔法を使うとされていたが、印象を誇張するものとしてサラは持ったことがなかった。
好奇心に吊られたのも束の間、エデンは杖の末端で床を叩いたかと思えば、部屋の窓が一斉に開いた。
ごうっと流れ込む風に目を眩む。すると次の瞬間には、青々とした空の下にいた。
『ここは』
自分の発した言葉が反響して、まるで自分の声ではないかのように聞こえる。
『サラは人の記憶を見る力が強いんだね。ここまで再現できるとは思わなかったよ』
淡々と語るエデンの姿を一瞥すると、彼の身体は透けてやや宙を浮いている。
目を白黒させながら、彼を指差して言う。
『エデン、身体が』
『君もだよ』
言われるままにサラは自信の身体を見る。やはり同じように半透明に薄れている。
何度か経験したことのある感覚。これは、現実ではないと理解する。
『これは』
『僕の記憶の中さ。およそ二千年前の世界。まだ魔法が魔法と呼ばれず、神の御業とされていた時代だよ』
サラは改めて、目の前に映る景色を見やる。
建物の様式も古く、町と呼ぶにも小さな集落。そこに住まう人たちもまた、質が良いとはいえない衣服を纏っていた。
彼らもまたこちらには見向きもせず、何事もないかのように日々を送っている。
その中から、女性に手を握られて歩く一人の少年を見つける。
彼女も少年も同じ銀色の髪に、赤い瞳を持っていた。
しかしその少年の瞳は、地面なのか空なのか、どこを見ているのかわからない。
『あの子が、エデン?』
『そう。僕は生まれつき目が見えなくてね。こうして母がいてくれないと、外も歩けなかった』
懐かしそうに少年の姿を見据えるエデン。実際には見えていないのかもしれないが、瞳は彼を捉えているようにも見える。
昼だったこの集落は突如として夜となり、サラたちはとある家の中にいた。
窓の外からは轟々と突風が吹き荒れ、家ごと吹き飛ばされそうな勢い。
不安に顔を曇らせる両親をよそ目に、エデンは真っ直ぐに指を差した。彼女らはエデンに問うた。
「どうしたの、エデン?」
「……あっちに行けば、大丈夫」
その言葉には説得力などない。しかし、彼女らは何かを確信したのか、集落の人間たちを連れてエデンの差す方向へと移動する。
そこには用意されていたかのように、何十人も入れる洞窟があった。
――嵐が去った後に集落へ戻ると、そこには跡形もなく残骸となった建物が残っている。
集落の人たちは肝を冷やすとともに、少年を救世主として祀り上げた。
『こうして、僕は未来を視る者として、周辺に知られていったんだ』
『……』
エデンの言葉はすべて真実となり、集落の人たちは確実に豊かになっていった。
そこへやってきたのは、豪勢な馬車を引き連れた恰幅のいい男とその護衛らしき兵士たち。
「つれてゆけ」
彼らは半ば強引に、集落からエデンを連れ去った。
しかし彼に動揺している様子はなく、嫌に大人しく彼らについていく。
『それで、どうなったの?』
『変わらないよ。未来を視て、人に教える。それ以外は不自由のない暮らしをね。……でも、ここからはあまり気分のいい話じゃないかな』
風景は自然豊かな集落から、建物と人が埋め尽くす帝都へと移る。
サラも本で見たことのある景色。過去最大の勢力を持った侵略国家、リスタルシア帝国のものだった。
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