絶対的正義の証明不能命題 - ③

「はじめまして、じゃねぇよな? オレのこと、覚えているか?」

「…………」

「【擬態種】に対抗しうる為に生まれた、人工擬態種。その血は、【抗体】とは別の薬効を持つ、【擬態種】に仇なす力を持った生命体。……てめぇが勝手に逃げるから、色々と面倒な事態が起きたんだぜ?」

「…………」

「だんまりか。ま、そりゃあそうだよな。なんせ、オレは――」


 そこで夏樹が刀を振るった。

 それは、彼女が【具象化】を発動する前の、一つの予兆。


「お前の大事な人間を奪った相手なんだからさ」


 鈴の音に隠れた、得も言われぬ独特な音色。

 その音が支配する世界の中で、カイリは刀を強く構えた。


「やっぱり」

「あ?」

「貴方だったんですね。あの日――あの人の、背後にいたのは」


 カイリにその名前をくれた人。


 いつも無表情ながら、他のどの研究員とも違う態度でカイリに接してくれた女性。

 テロが起こり、研究施設からカイリが拉致されたその日――カイリの瞳に残っていた、女性を斬り伏せた存在。


 灰音夏樹という【捜査官】はあまりにも有名だ。

 カイリも、写真でならばその顔を何度も見たことがあった。


 それでも、実際に相対して拝み、確信に変わる。

 それは――燃え盛る炎の中、確かに見えた顔なのだと。


「委員会内部に、テロ集団へ情報を流す存在がいる。それはずっと示唆されてきました。見つかるはずもありませんよね。なぜならその謀反者は、他のどの【捜査官】よりも多くの【擬態種】を屠ってきた実績を持つ……【エース】だったのだから」


 夏樹はにやりと笑い、「だからどうした」と言わんばかりの態度をした。


「貴方は、わたしにとって大事な人を二人、奪いました。三度目はありません。なぜなら、今日、この場には――わたしがいる」

「調子に乗るなよ、ガキが」


 不意に迫る夏樹の影。

【具象化】を発現させた夏樹の動きを捉えることは不可能に等しい。

 事実、諦観する悠一は、カイリに迫る夏樹の影が追えない。


 しかし――。


 背後に周り振り下ろされた夏樹の刃は、カイリの動きによって制される。


「――なに?」

「…………」


 刀を受け止めたまま、カイリは大きく払い除け、中距離を維持したまま突きを主体とした攻撃に転化する。


「てめっ」


 自らの血で刀を濡らしたカイリの攻撃は、【抗体】を使った物と等しい。


 カイリの身体を使って行われた試験において、カイリの血液は【抗体】と非劣勢である事が認められた。

 つまりは、劣らない程度には強い効果を持つ。


 一度でも、その攻撃で身体を刻まれたら終わり。

 夏樹にしてみれば、慎重になって動きが鈍るのも致し方ない。


 しかし――夏樹には不思議でたまらないことがあった。


 もちろんそれは、【具象化】が全く通じていないという点だ。

 これまで、どんな相手と相対しても――【具現化】にまで至った【擬態種】であっても、夏樹の【具象化】は通用した。

 聴覚神経が生きている限り、逃れる術などない。


 もし、あるとすればそれは――。


「てめぇ……」


 カイリは、自らの耳元を見つめる夏樹の視線に気が付き、「やっとですか?」と、小馬鹿にしたような態度で笑った。


 見れば――カイリの両耳からは、血液が流れていた。

 そこまで判明すれば、からくりを解きほぐすのは難しくない。


「破ったのよ、鼓膜を」


 脳に音を伝える為の器官として、鼓膜とはあまりにも有名だ。

 されど、鼓膜をただ破っただけで外界の音全てをシャットアウトすることは出来ない。

 鼓膜を震わせた振動は、耳小骨を通って内耳にまで伝える。

 内耳にまで至った音が、聴神経を刺激して脳に「音」を教える。


 カイリは現場に到着するまでの間に付けていたイヤホンから、【カノルス】の【具象化】について多くを知った。

 そこで、音さえ聞こえなければ立ち向かえるという予測を立て、突入の直前に自らの耳に落ちていた釘を突き立て、鼓膜及び耳小骨を折り、内耳を傷つけた。


 今のカイリに聞こえるのは、止む気配のない耳鳴りだけだ。


【擬態種】は自らの身体を意識的に再生出来る。

 つまりは、意識しなければ再生しないままでいることも可能である。


 おしくらむは、音が聞こえなくなり、突入のタイミングを見失ってしまい、悠一が死に貧した瀬戸際まで登場できなかったくらいだろう。


 されど、悠一は生きている。

 カイリにとってみれば、それで十分だった。


「この――っ」


 向けられた銃口をいち早く察したカイリは、身を低くして夏樹の懐に潜り込む。

 こうしてしまえば、跳弾して、万が一被弾するリスクを考えて夏樹は銃を撃てない。


 加えて、夏樹は「近接戦闘における決定打」を持っていない。

 自らの血液という武器を抱えるカイリとの、決定的な違いだ。

 大きく振り下ろされたカイリの刀を受け止めた夏樹。

 首筋にまで迫った鋭い刃に、夏樹の瞳から初めて恐怖の感情が想起された。


「知ってる。貴方が液体としての【抗体】を普段持ち歩かないのは、自らが触れる危険を減らす為」

「くっ、だからっ、どうしたっ!」

「――っ」


 夏樹は一歩、これまでよりも深く踏み込んで、カイリの懐に飛び込んだ。

 よもや、相手側からここまで接近してこないだろうと思ったカイリは、反応が遅れる。

 耳が聞こえていないことも、原因だったかもしれない。

 カイリの刀は、普通のものよりもずっと全長が長い。

 超近接にまで迫られることが、最も許してはならない行為だった。


「これだけ距離を詰めれば、決して外さねぇ!」


 夏樹は刀を捨て、カイリの手首を強く握りしめて拘束。

 もう片方の手でP220の銃口をカイリに押し付けた。


「死ねっ!」


 ここで夏樹が引き金を絞れば、発砲音が聞こえれば……それで終わりだ。

 カイリは人工的に造られた存在といえ、【擬態種】であることに変わりない。

【抗体】がその身を穿けば、その時点で意識と肉体が離れ離れになる。


「――っ、」


 絶体絶命の危機。

 一寸先の死。

 地面を転がった鈴が鳴る音。

 男の、声。


「いや――僕たちの勝ちだ」


 轟いた轟音。

 カイリの身体は、拳銃によって貫かれた。


「っ、なぅ――」


 カイリの背後から、その腹部を撃ち抜いたのは、悠一の放った弾丸だった。

 夏樹の細工によりDCBの抜かれた、ただの9mm Parabellum Balletは、カイリの血液という新しい【抗体】を纏って、夏樹の身体を撃ち抜いた。


「なぅ――」

「今っ」


 カイリは一瞬の隙を付いて、夏樹の左手を蹴り上げ、拳銃を遠くに放る。

 そして距離を取り、人差し指を夏樹に向け――言った。


「チェックメイト」

「あがぁぁぁぁぁぁぁっっっ」


 カイリの血液が粘膜に触れた以上、【擬態種】である夏樹が、死から免れる術はない。

 このまま死ぬか、あるいは――【具現化(オーバーフロウ)】して死ぬか。


 その二択しかない。


 銃創だけではなく、身体中から灰色の煙を立ち昇らせ始めた夏樹の姿を見て、カイリは直感的に「まずい」と感じた。

 対抗できる手段があるとすれば、【抗体】の代わりとなる自らの血液を、さらに高濃度、打ち込むだけ。

 刀を振り上げたカイリの肩に、手が触れた。


「待て」

「……なんで」


 そこには、痛みを抑えて立ち上がった悠一がいた。

 現状、声が聞こえていないカイリであっても……悠一が、カイリの動きを制したことだけは分かる。


 分からないのは、何故止めたのかという理由。


「うぐぅ、あ、ああああ、ぁぁぁ、っっっ!」


 身を抱えて喘ぐ夏樹に近寄り、悠一は言った。


「あんたは、どうして……【ヒトガタ】になる道を選ばなかったんだ」

「ぐ、あたり、まえだろ。……あんな、人権もクソもない身分に、……落とされて、へっ、たまるかって」


 夏樹の視線が、カイリを射抜く。

 カイリは複雑そうな顔を作って、俯いた。


「ですよね。現状、【ヒトガタ】の扱いは……あまりにも悪い。ひどい研究員が居る施設では、ヒトガタとて、およそ人間としての生は望めない」

「ああ、そうだ、な。……そいつは、運が良かった」


 痛みに慣れたのか、それとも、抵抗することを諦めたのか。

 徐々に喘ぎ声を亡くしていった夏樹は、小さく呟いた。


「……オレは、ただ、人並みに生きたかった。それだけ、なんだ。そのために、道を探した。もがいた。ただ、それだけ――」

「――違う」


 師匠が綴る言葉に、悠一は頑として否を叩きつけた。

 そうすることこそが、弟子である……自分の役目だと思えたから。


「それでもあんたがやってきたことは、到底正義なんかじゃない。人を殺し、【擬態種】を殺し、餌を食らって……時には、自らの罪を他人に被せ。人を喰らう快楽に身を落したあんたは――ただの【擬態種】で……それ以外に、形容する言葉なんてない」


 悠一は拳銃を再び、夏樹に突きつけた。

 DCBは装填されていない。

 その矛先が向いたのは、夏樹の頭だった。


「ちょっと――」


 カイリがそれを見て、止めようと動く。

 もしこの場で脳を撃ち抜いてしまえば、残るのは【擬態種】としての生存本能だけだ。


 それがどれだけ恐ろしいことであるか、知らないわけがない。

 それでも、悠一はその道を選ぼうとした。

 それが、師匠への最大の手向けになると信じて。


「仕方、ねぇだろ」

「…………」


 夏樹が言った。

 悠一は、ただ黙って、続く言葉を待った。


「息をしていれば、ただ、生きていれば……それが、生と言えるのか? 生殺与奪を握られ、ただただ虐げられ、本能が指し示す快楽すらも奪われて……それで――」

「それでも、僕たちが生きる世界で、それは大罪です。貴方に……分からないはずがない」


 容赦なく引き絞られた銃。

 夏樹の頭は簡単に撃ち抜かれ、物言わぬ身体となって倒れた。


 ――最後の、一瞬。


 その顔は、どこか笑っているようだった。


「ちょっと!」


 このまま死ぬのならば良い。

 しかし、まだ身体に動くだけの余地があるとすれば――。


「安心しろ」


 耳の聞こえぬカイリの肩に、そっと触れた悠一。

「え?」


 倒れた夏樹の身体から立ち昇る灰色の煙。

 いつまで立っても起き上がる気配もなく、やがて【擬態種】の死の証である煙が消え。


 ――死体すらも消失した。


「これ、って……」

「考えていたんだ。夏樹さんの【具現化】はどんなものだろうって。無意識が占める割合を多くする【具象化】を有した夏樹さんの本体は、きっと、誰にも認知されない……『何もない』ものなんじゃないかって」


 そこで悠一は精魂尽き果てたのか、腰を降ろして背中を壁に預けた。

 インカムを操作して、【管制】に報告を行う。


「こちら谷村。擬態種【カノルス】の防除、完了した」


 ――最後に脳天を貫いた一撃に、夏樹の【具現化】に対する恐れなど考えていなかった。


 人間として生きたいと願った彼女に、人間としての死を与えた。

 ただ一人の弟子が、ただ一人の師匠に渡した、最大の手向け。


 ただ、それだけのことだった。

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