スワロウテイル - ③

「はぁ……はぁ、……」


 四十度を超える高熱と倦怠感。

 悠一がインターネットを駆使して集めた情報によれば、その症状はまさに【飢餓状態】となる前段階そのものである。

 美翅は数日、ろくに食べることもせず横たわったまま過ごしていた。

 頬を赤くし、苦しそうに息を吐き、時には「部屋から出て」と冷たく悠一をあしらう。


 すでに限界を突破した彼女は、いつ、自分がどうなってもおかしくないという自覚があるように、悠一には思えていた。


「――美翅」

「…………」

「僕を食べて」


 美翅は黙って首を左右に振った。


「出来ないよ」

「で、でもこのままじゃ――」

「悠一くんに何かをしてしまうくらいだったら、わたしは、自ら死を選ぶ」


 インターネットの匿名掲示板には、【飢餓状態】が起因して死ぬことはないとあった。

 それは、【擬態種】はどう足掻いたとしても【飢餓状態】から逃れることが出来ず、最終的に理性を崩壊させてしまうからと書かれていた。


「……飲み物、買って来るよ」


 悠一は立ち上がり、一人、深夜の街へ飛び出した。

 時刻はとうに日付を跨いでおり、田舎町の道路には人っ子一人と見当たらない。

 十分と歩けばコンビニまでたどり着く距離。

 曲がり角で、不意に悠一は足を止めていた。


 ――誰かが居る。


 そろりと、建物の影から気配のする方を覗き込む。

 街灯のない道で、道路に座り込む人影。

 聞き覚えのある、不快な音。


 ぺちゃぺちゃ、ぐしゃぐしゃ、ばりばり……。


 誰かが誰かを食べている。

 間違えようがない。


 それは――。


「……【擬態種】」


 影は悠一の小さな声を鋭敏に聞き取り、振り向いた。


「あ」


 悠一は尻もちを付いてしまっていた。


 ――逃げ場はない。

 このままでは、自分も食べられてしまう。

 そんな事を考えた矢先。


「っ」


 目線が合う。

 女性だった。

 口元に血液が多くこびりついている。


 瞳は、驚愕の色に染まっている。

 ――咄嗟に、悠一の口が動いた。


「わ、わけてください!」

「……え?」


 それ以上は言わなかった。

 それが最も丸く……確かな方法だと思ったから。


「あなたも、そうなの?」


 果たして、その女性擬態種は狙ったとおりの勘違いをして――笑った。


「はい。……私も、偶然見つけたのよ。もう、色々とギリギリだったから……助かったわ」


 手渡された肉片。嘔吐感がこみ上げる。


「食べないの?」

「あ、いや……」


 不審に思われてしまう。


 ――一口でも口にして、示さないと。


「……ううん。ごめん。私が見られたから、仕返してやろうって思っただけ。いや、だよね。人を食べているところを見られるだなんて」

「…………」


 女性は涙を流していた。


「私は夏菜子。貴方の名前は?」

「悠一……」

「じゃあゆうちゃんだ。同じ街に住む【擬態種】同士。これからよろしくね」


 それから、悠一は夏菜子とよく会うようになった。


 主な目的は、食料を分け合うこと。

 夏菜子の主だった捕食手段は、他の【擬態種】の喰い残りを漁ることだった。

【擬態種】の生態や、捕食の考え方を二人で徹底的に検討し、夜を明かしたこともあった。


「――元々親のいなかった私は、児童養護施設のシスターに拾われた。彼女は、私が【擬態種】なんだって言っても、「だから何だ」と、いつも私を怒ってくれた。……でも、駄目だった。私は、私の本能に負けてしまった。一回だけなら大丈夫だって……怪我をした友だちの血を舐めて……それで、それからはずっとこうして生きてる」

「……そっか」

「ゆうちゃんは、どうして?」

「……美翅っていう女の子と、公園で出会ったんだ。僕は元々、一人、この街に……特定の住居を持たずに住んでいた――」


 夏菜子についた、一つの嘘。

 悠一は、自分と美翅の関係を逆転させたストーリーをでっち上げた。


「……そうなんだ。……その、美翅って子は、優しいんだね。だって、ゆうちゃんが【擬態種】だって知った上で、二人きりで暮らしているんでしょ?」

「……どうなんだろ。よく、わかんない……」


 時には夏菜子が手に入れた肉をもらい、今度はこちらから提供して。

 そんな生活が続いていくと、ある時、夏菜子の家には二人の子どもが暮らしていた。

 翔と龍の二人とは、偶然出会ったらしい。

【飢餓状態】に陥り、まさに人を襲おうとしていたところだった。

 夏菜子は保存していた肉を提供し、二人を養うと決めたらしい。


「今だって、ギリギリで暮らしてるのに、大丈夫なのか?」


 悠一が聞くと、夏菜子は「昔助けてもらったから」と、ただそれだけを繰り返した。

 本当のことを伝えようと、何度も思ったことがある。

 三人を自宅に招き、美翅を紹介して……事実を、白日の下に晒そうと考えたこともある。

 だけど、悠一にはついぞ、夏菜子たちに自分が人間であると伝えることができなかった。


 美翅とのことだけじゃない。


 悠一は、三人との関係が壊れることも、恐れていた。


   ***


 ――今思えば、僕たちの関係は、出会った頃から何一つ変わっていない。


 菓子パンをあげるかの如く、悠一は死体を美翅に献上した。

 美翅は、黙ってその行為を受諾した。

 美翅の為だからと、罪のない人間を殺すことは、悠一には出来ない。

 例え眼の前に死刑囚が手足を縛られた状態で転がっていたとしても、手にかけることなど、谷村悠一という少年には不可能だ。


 ただし、喰い零した残骸ならば、集めることが出来る。


 その動きはまさにハイエナの印象に近い。

 サバンナで死肉を貪る彼らのように、悠一は【擬態種】が食い散らかした肉を集め続けた。


 自らを【擬態種】であると嘯いて得た仲間。

 道で出会い、ひょんなことから家に住まわせることになった【ヒトガタ】の少女。

 いつの日か、彼らもまた、悠一の中では特別な友だちとなり、家族になった。


 守るべき人が、増えていく。


 いつ、カイリが【そうなるのか】も分からない。

 けれど……着実に、得られる肉の量は減っている。


 ――ならばもし、その時が来たとしたら。


 悠一は、そんな風に考えることがある。

 もしも、数ヶ月の間、ただの一切も人肉を手に入れられなかったとしたら。

 所詮は「たられば」に過ぎない。


 しかし――。


 ひ弱なただの人間であったはずの悠一が、ひたすらに竹刀を振り続けた理由。

 朧気に見据えていた【先】を知る者は、彼の他には誰もいなかった。


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