飢餓状態 - ②

 ――果たして。


 あれから、一時間弱経過をした。

 必死の捜索も虚しく、美翅の姿をついぞとして見つけることが出来なかった悠一の脚は、自然と自宅に向かっていた。


 諦めたつもりは毛頭なかった。

 けれど、行く宛の分からない旅路程辛いものはない。

 ともすれば美翅はコンビニにでも行っただけで、もう帰っているかもしれないという、惰性が思わせた安易な想像にすがっていた。


 もう数メートルも歩けば自宅に付くだろう地点に到着して。

 不意に、水音が聞こえていることに気がついた。


「……この、音――」


 時計を確認する。

 時刻は午前三時半。

 こんな時間に歩き回っている人間など、自分以外に誰がいる?


 つばを飲み込んで、喉を鳴らす。


 導かれるように、水音に引かれて歩く。

 それは自動販売機に群がる虫の如く。

 ただ、自然な流れだった。


『つい先ほど聞いたばかりの』水音に誘われて、悠一が辿り着いたのは団地の中だった。


 ――水音が近くなっている。

 そんな風に感じた悠一は足を止める。

 恐らく、その十字路を曲がった先に、『それ』がいる。


「…………」


 呼吸を整え、十字路に躍り出た悠一は、水音のした方に身体を向けた。


「あ……」


 そこにはゴミ捨て場があった。

 可燃物の日ではないらしく、遺棄されたごみ袋は少ない。


 なのに、大きな影がそこにはあった。


 街灯に照らされた闇の中で、肩口から腰までぱっくりと、大きく切り裂かれた男の死体。

 絶命し、目を見開いたその顔に――悠一は覚えがあった。


「あ、ああ……」


 そして、大きく耳に残る水音の正体もまた、その場にいた。

 死体の傍に座り込んで、死肉を貪り喰う人影。


 水音は、血が滴る音。

 ぼりぼりと鳴っていたのは、骨が砕ける音。


 虚ろな瞳を携えて、腕と口だけをひたすらに動かす――黒枝美翅が、そこにいたのだ。


「あああぁぁぁ……」


 それでも、彼女の口はもぐもぐと、ぐちゃぐちゃと音を鳴らす。

 やがて――。


「……ぺっ」


 美翅は何かを吐き出した。

 吐き出されたものはどうやら金属らしく、コンクリの地面にぶつかり、壁に当たり、悠一の足元にまで転がってきた。


 月夜に輝くそれは――指輪。

 クラスメイトの遠藤がはめていた物に、酷似していた。


「うわあああぁぁぁっっっ!」


 叫び声を上げて、頭を抱えて、悠一がその場にしゃがみ込んだ。

 そして、嘔吐する。


「うおおげぇええええ」


 びちゃびちゃと、異なる水音が住宅街に響く。

 闇に沈んだ住宅街は依然として静かで……誰一人、起きてくる様子はない。

 目と鼻と口と……穴という穴から汁を垂れ流しながら、膝をついた悠一は顔を持ち上げ、変わらぬ調子で死肉を貪る美翅に視線をやった。


「――美翅」


 小さく、悠一の声が宵闇に響く。

 その声が美翅の耳に触れて数秒。


「あ――」


 動きを止めた美翅。

 両腕に抱えた死肉と、血に濡れた衣服、それから眼の前に転がった死体。

 そして……目と鼻の先でうずくまる悠一を見た。


「わ、わたし――」


 身体を大きく震わせる美翅。

 そんな現場に、もう一つの人影が現れた。


「――現行犯だな。裁くぜ」


 背後から聞こえてきた声には覚えがあった。

 悠一が振り返ると、そこには捜査官の灰音夏樹が立っていて……その両手には、すでに抜き放たれた二つの武器。


「灰音、さん……」

「……お前は哀れな被害者だった。ただ、それだけさ」


 灰音は、足元に転がっていた悠一の竹刀袋を遠くに蹴り飛ばした。

 宙を舞い、壁や床に衝突したそれは蓋の紐が緩み、中から竹刀の柄と……原型を失った人の肉が姿を表す。


「わた、わた、し、は……」

「【擬態種】の中には、自らの手を汚さず、人間を使って餌を得ようとする個体が存在する。オレたちは奴らを【主人(パラサイト)】、操られた人間を【眷属(ホスト)】って呼んでいる。大抵は、交戦に適さない【具象化】を持つ【擬態種】に多い特性だ」

「…………」


 夏樹はコートのポケットから、一枚の写真を取り出して、悠一に放った。

 ひらひらと舞い落ちた写真は監視カメラに映ったものらしい。

 そこには、大事そうに竹刀袋を抱えて駅を歩く悠一の姿が遠く、映っていた。


「これ、は――」

「何件の事件において、どれだけの年月をかけて……お前が死体の一部を持ち去っていたのかは分からん。が、少なくともこちらではこの一年、九州圏内で起きた二例、事件現場の近くにいたお前を捕捉している」

「あ――」

「お前は奴に利用されていたんだよ。ま、とはいえ少年の手際が悪かったのが幸いした。餌が間に合わなかったみたいだな」


 夏樹は拳銃を構えて、美翅に向けた。

 美翅と言えば、両肩を抱えたまま、震えている。


「楽にしてやる。だから――抵抗すんじゃねぇぞ」


 まさに、夏樹が引き金を絞ろうとしたその瞬間。


「……ああ?」

「…………」


 二人の間に、悠一が割って入っていた。

 両腕を広げて、美翅を背中に庇うように立ちふさがる。


「悠一、くん……?」

「……少年。オレの話を聞いてなかったのか? そこをどけ」

「……嫌です。僕は、約束したんです。美翅を、この世の悪すべてから、守るんだって」

「この世の悪だ? はっ。今の状況を見て、そんな世迷言が出てくんのか? ああっ? そいつは今、人を殺して喰った。……これ以上の悪が、人間社会に存在すんのか?」

「……少なくとも今、僕にとっての悪はあなたです。命を救ってもらったことには感謝しています。でも、どうか、見逃してください。……僕たちは、ただ、平穏に暮らしたいだけなんです」

「できねぇ相談だ。オレはもう、見ちまった。それに――【擬態種】は滅びるべきだ。奴らは平然と、秩序を乱す。存在することを、許しちゃならねぇんだよ。

 分かったら――そこをどけっ! ぶっ放すぞ!」

「…………」


 悠一は無言のまま、夏樹を睨みつけた。

 そんな悠一の態度を見て、夏樹は大きなため息を吐きだした。

 そして――銃口を、悠一に向けて構えた。


「どうなってもしらねぇからな」


 返答はない。

 退く意志だって見えやしない。

 眼前に、死という絶対の恐怖が迫った現状で――悠一の心は一切揺らぐことなく、その瞳は決意の色で塗り固められている。


 胸に灯った想いは、単純明快なもの。


 ただ、愛しい人を守りたいという……人間ならば、誰もが抱える、そんな気持ちだった。

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