焦燥感 - ④

 すっかりと夜の闇に染まった公園。

 街灯はずっと前に蛍光灯が切れたまま、点灯していない。

 指定されたベンチに近づくと、そこに腰を降ろしていた夏樹が気がついて、手を上げた。


「よお。待ってたぜ」

「…………」


 夏樹は立ち上がり、「ほら」と言って缶コーヒーを手渡してくる。


「さっき買ったばかりだ。捜査協力の代金ってわけじゃねぇから、安心しな」


 夏樹は自分用にと買った同じものを開けて、ぐいっと呷った。

 悠一は缶コーヒーを開けることなく、口を開く。


「灰音さんは……」

「うん?」

「連続刺殺事件が今夜、この街で行われると……そう、見ているんですか?」

「ああ。――お前と同じようにな」

「…………」


 悠一はぎゅっと、ポケットに忍ばせたメモ帳を握りしめた。


 ――それは、単純な犯行現場の推移による予測でしかなかった。


 第一の事件が起こった三日前から、点々と現場を変える犯人は、地図に起こしてみれば南東に向かって下ってきていると分かる。

 であれば、直線状にあったこの街が次の餌場になる可能性が零ではなく、少なくとも直線外にある場所よりは高いと簡単に推理できる。


 それでも確率はずっと低いと、悠一は思っていた。


 しかし、夏樹が事件協力の要請を行い、待ち合わせ場所が終電を過ぎた時間のこの場所に指定された段階で、予測は確信に近づいた。


 ――あとは、どうやって晦ますか。


「何処へ行きますか?」


 受け取った缶コーヒーを飲み干した悠一は、近場にあったゴミ箱に向かって缶を投げた。

 缶は放物線を描き、ゴミ箱の奥の縁に当たって跳ねる。


 小さな舌打ちを悠一がしたその直後――。


「高い所だ」


 突如飛来したもう一つの空き缶が、虚空を舞う缶に当たり、二本は同時にゴミ箱に納まった。

 悠一が驚いて夏樹を見やると、それは得意げに笑っていた。


   ***


 夏樹が向かうと提案したのは、建設後に事故が起き、そのまま遺棄されたビル。


「犯行現場に関してはどう予測してた?」


 ビルに向かう最中、投げかけられた質問。

 悠一はメモ帳を開いて考えた。


 第一の事件は廃校となり、解体中だった小学校。

 ビニルで仕切られた内部で犯行は行われ、明朝に出勤した作業員に発見された。

 第二の事件は公園内にあった身体障がい者用トイレの中。


 そして昨晩は――。


「アパートの空き部屋」


 夏樹は小さく口笛を吹いた。


「共通点は?」

「……人が居ない」

「惜しいな。『人が居ないと分かっている場所』だ。廃校も公衆便所も、真夜中に誰か居るとは普通考えない。アパートも、空き部屋は大体カーテンが開かれているから、簡単に分かる」


 統計的に、【捕食事件】は人気の少ない時間と場所が選ばれる傾向にあった。

 真夜中や早朝、そして今夏樹が口にしたような場所が濃厚となる。


「加えて、犯人は移動している。言い換えれば、オレみたいに土地勘が無い。だから、路地裏なんて選択は浮かばない。人気がない場所ではなく、人が居ない場所を選んだ理由はそれだ」

「それで、廃ビルですか」

「ああ。他にも幾つか候補があったが、一番簡単に見つけたのはその場所だからな。標的のインテリジェンスを考慮するのも大事だ」


 二人がしばらく歩くと、目的地であった廃ビルに到着する。

 昼間にはない、おどろおどろしさが漂うその場所を見上げ、立ち止まった悠一。


 夏樹が笑った。


「ぶるってんのか?」

「……まさか」

「はは……ああそうだ。これ、持ってな」


 軽い調子で渡された、重々しい物体に、悠一は目を見開いた。


 それは拳銃だ。

 テレビドラマなんかでしか見たことがない、現代の武器。


「こ、これ……」

「あ? お前知らないのか? 【擬態種】に対抗する手段」

「……知っては、いますけど……」


 夏樹はコートのポケットから、小さな弾丸を取り出して、指の間に挟んで見せた。


「こいつには【抗体(ペスティサイド)】が塗られている。有事の際は、躊躇なくこいつを【擬態種】に向かって打ち込むんだ。安全装置の解き方は分かるか?」


 戸惑う悠一に、夏樹は「若いんだからそんくらい知っとけ」などとむちゃを言いながら、拳銃発砲の手ほどきを行った。

 軽く誰も居ない方に向けて銃を構え――その重さに、息が詰まった。


「この銃に入っている弾にも……【抗体】が塗られているんですか?」

「ああ。正式には、アストラル結合阻害薬って名前らしいがな。面倒くさいから、オレらは皆、【抗体】って呼ばせてもらってる。それが何なのかは、知ってるな?」

「簡単な知識くらいだったら……」

「なら、暇つぶし程度に、軽く講義をしてやろう」


 夏樹はそう言って、廃ビルの中に入っていった。

 慌てて、悠一もその後を追う。

 階段を登りながら、夏樹による【抗体】についての講義が開始された。


「【擬態種】は、意識と肉体のかかわりが人間とはまるで違う」

「意識と肉体……ですか」

「ああそうだ。端的に言うと、肉体『全て』を思うがままに制御可能である、と言えば良いか。脚を動かす、物を掴む……そんなのりで、『傷を癒やす』なんて事が出来ちまう理屈さ」

「…………」

「とはいえ、肉体の強度事態は人間という生物と変わらない。臓器が持つ機能もだ。そんな【擬態種】に弱点はないと言われているが……唯一あるとすれば、ここだ」


 頭を指さした夏樹。

 意外だったのか、悠一は目を見開いた。


「脳……」

「ああ。一度でも脳みそが損傷しちまったら、その時点で、脳を再生させなきゃ! なんて思考も生まれない。その時点で、人ではなくなっちまう」

「だったら、頭を潰せば……その、殺せるってことですか?」

「……そう単純だったら、苦労しないんだぜ。……ま、そんなこんなで、奴らに対抗するために生まれた武器が、【抗体】ってわけだ。【擬態種】の粘膜組織がこいつに触れると、奴らの意識と肉体を乖離させちまう。……そんな作用があるのさ」


 やがて辿り着いたのは、屋上近くにある大広間だった。

 家具もなにもない場所で、埃が絨毯のように積もっている。

 途中まではスプレーアートが多く見られた壁も、この階層まで来ると殆ど見られない。


「……最近は、【抗体】の他にも【擬態種】に対抗すべき術が編み出されたらしいんだが……生憎、研究は専門外でね。詳しいことは知らねぇんだ。悪いな」

「いえ……」


 そこで沈黙が生まれた。


 まだ時刻は九時を回っていないが、普段よりずっと空に近く、人気の少ないこの場所は静かで……まるで、外界から隔離されてしまったかのような感覚に、悠一は陥っていた。


「――わりい、トイレ」


 唐突にそう言って、夏樹は階段の方に向かって歩いた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよっ」

「おいおい、レディーの花摘みを見る性癖があるのか? 確かにここにはトイレが無いから、適当などっかで垂れ流すしかないが」

「っ、違います」

「なら、一人が怖いか?」

「――っ」

「はは、すぐ戻るから心配すんなって」


 夏樹は悠一の言葉を待たず、闇の中に消えた――。


 殆どの雑音が聞こえない空間に一人、悠一は立ち尽くした。

 一人であることを自覚したのか、悠一は一度、大きく身震いをして……頭を強く振った。


 それは当然の反応かもしれない。

 なにせ、この場所には来るかもしれないのだ。


 少なくとも、三人を喰らった【擬態種】が。


「……遅い」


 あれから何分が経ったろうか。

 時間にして十分は経過している。

 夏樹はまだ、戻る気配を見せない。


「何やって――」


 ――ドスン。


「……え?」


 大きな物音が、ビルの中に響いた。

 同じ階層ではない。

 悠一は足元を見つめ、唾を飲んだ。


「…………」


 それから、足音を殺し、壁際に移動して手をついた。

 誰かが下の階に居るのは、間違いなかった。

 トイレに去った夏樹はまだ、戻っていない。


 ――もし、この場所に自分が居ることが悟られたら。


「っ、」


 悠一は咄嗟に口元を抑えて、壁に頭から身体を押さえつけた。

 ゆっくりとした動作で膝を折り、こみ上げてきた何かを飲み干す。

 そして静かに立ち上がると、階段に向かって歩み始めた。


「…………」


 僅かな物音ですらにも細心の注意をはらい、悠一は階下へ降る。

 一階層下に降り、柱の影から、半身だけ覗かせる。


「……ふう」


 廊下に人影はない。


 しかし――確実に、その奥には誰かが居る。

 しきりに聞こえてくるのは、水音だ。


 包丁で魚を三枚におろす時に聞こえるような、骨を砕く音。

 ぴちゃぴちゃという音に混じり、静かなビルの中で鮮明に響く。


 廊下を進んだ先にあった、開けた空間。

 大きな窓から照らす月明かりが、人影を映した。


「くちゃ、くちゃ……」


 無言で、小脇に抱えた女性の腹部に喰らいつく影。

 漂ってくるのは、強い鉄の香り。


 口を開いて、一心不乱に肉を喰らう。

 くちゃくちゃと、咀嚼する音まで聞こえてくる。


「あ――」


 聞いたことのある音に、嗅いだことのある匂いに――悠一は後退して、柱にぶつかった。


「誰だっ!」

「っ、」


 悠一は咄嗟に、壁に身を隠した。

 やかましく鳴る心臓を押さえつけるように、胸に手を当てた。

 背中を預けていた壁から背を離し、猫背になって、荒く呼吸を繰り返す。


「……いるな?」


 足音が近づいてくる。

 悠一が歯を食いしばり、立ち上がろうとして――。


「見たな?」


 眼前に女性の顔があった。

 口元は血で濡れ、吐き出された呼気から、この世でもっとも嫌いな香りが漂う。


「うわあああぁぁぁ!」


 悠一は咄嗟に竹刀袋を握りしめ、振り回した。

 女性は軽く後ろに跳び、前傾姿勢を取って、うつろな瞳で悠一を見据える。


 軽く舌なめずり。

 乾燥した血液を舌で拭い、にやりと笑う。


「男の肉は嫌いなんだよな」


 刹那、接近する気配。

 すでに、【擬態種】は悠一のすぐ傍にまで迫っていた。


「――っ」


 悠一は身を低くして女性の脇を通り抜け、前転するように地面を転がって逃げた。


 ――この時点で、悠一にとって逃げ道が塞がれる。


 八階を超えるビルの一室で、外界に通ずる為の道は階段のみ。

 その階段に最も近い位置に居ながら、目先の逃亡に負けて敵と位置を入れ替えてしまう。

 窓から飛び降りた時点で死ぬ。

 かと言って、もう一度位置を逆転させる事など不可能に近い。


 なぜならば、この【擬態種】は――。


【持っている】


「おらあああぁぁぁぁ!」


 女性は右腕を振り上げて、伸ばした指先を突き立てんばかりの勢いで悠一に手刀を繰り出した。

 その一連の動作を見定めて、不意に、悠一の頭には事件の被害者情報が浮かぶ。


『喉を一突きにされて絶命。その後、腹の肉が削がれている』


 女性は見る限り、鋭利な刃物など持っていない。

 なのに、よく観察すれば、現場に転がった死体もまた、喉から血液が垂れ流しにされている。


 つまり、今繰り出される手刀の威力こそが、恐らく――。


「あっぶな、いっ」


 身を低くして横に跳ぶ。

 すると、女性の繰り出した手刀は壁にあたり、その手が大きくめり込んだ。


「良い目をしてるじゃん?」

「はぁっ、はぁっ、」


 軽い動作で壁から手刀を引き抜いた女性。

 その手は月光を反射して、きらりと輝いた。


「きん、ぞくっ?」

「正解。私は、体表面に鉄で出来た鱗を張ることができるのよ」


【具象化(リーク)】


 俗に、【持っている】と言われる、【擬態種】の特徴だった。


【擬態種】にとっての本体と呼ばれる意識。

 彼らの中には、そんな『意識のごく一部』を体外に表し、己の力として活用することが出来る個体が存在した。


 その力を指す言葉こそが、【具象化】である。


 地球上には元々、常識では考えもつかないような肉体を持つ生物も少なくない。

 中央インド洋海嶺の「かいれいフィールド」と呼ばれるエリア。

 そこは熱水噴射孔のある場所で、そんな過酷な土地では自らの身体を金属化させて生き延びる生物がいる。


「【捜査官】ではないみたいね。肝試しでもしにきたの? ふふ、運がなかったわね」


 女性は右腕を鉄の鱗で多い、手のひらを開いて、悠一に向かって振り下ろした。

 その指先はまるで刃物を取り付けたかのように鋭利な形をしていた。


「くうぅっ!」


 地面を転がり、視線は女性から逸らさず、悠一が意識するのは「間合い」だ。

 幸い、女性は【具象化】こそ有していたが、身体的な能力は悠一より少し高い程度。


 捉えられないほど、超高速で動くわけではない。


「すぅ……はぁぁぁ……」


 立ち上がり、悠一は竹刀袋から竹刀を抜き去って、袋を捨てて構えた。

 ズボンの後ろポケットには、夏樹から渡された拳銃。


 ――対抗手段は、間違いなくある。


 悠一は構えなれた中段で竹刀を握り、両足を開いて構えた。


「おらぁぁぁ!」

「っ」


 迫ってくる敵を視界内に収め、悠一は剣道の基本に立ち返った。


 突き出された【擬態種】の右腕。

 左斜め後ろに後退しながら、小手の勢いで手背を横から叩いて、その軌道ごとずらす。


「えっ?」


 狙い通り、間合いを詰めさせた悠一は、胴を決める勢いで、竹刀を腹部に向けて振った。


「うぐぅ!」


 肉体の傷を即座に回復させる【擬態種】といえ、痛覚神経がないわけではない。

 彼らにとって肉体はただの道具に過ぎないが、その構造や役割は人間に等しい。

 少なくとも、成熟しかかった男性の身体から放たれる全力の一撃を腹部に受け、何ともないという事はありえない。


「かっ、はッ」


 束の間だけ動きを止めたその瞬間を好機と捉え、悠一は竹刀を放り投げ、後ろポケットから『それ』を取り出した。


 安全装置を外し、決して外さないように身体の中央を狙って銃口を向ける。


「うおおおおっっっ!」


 狙いをつける暇も、注意するための余裕もあるはずはなく。

 悠一は思い切り指を引き絞って、弾丸を発射させた。

 重い衝撃が悠一の身体を遅い、構えた腕が反動で天井を向きながらも――放たれた弾は、間違いなく【擬態種】に向かって飛んだ。


 きぃぃぃんんんんん――と。

 軽快な金属音が屋内に鳴り響いた。


「な……」

「ははッ、危なかったわね」


 穴の開いたティーシャツの奥。

 見れば――【擬態種】の全身は、黒い鱗で覆われていた。

 悠一が呆けたその一瞬を見逃さず、【擬態種】は距離を詰めていた。


「あっ」

「お返しよ」


 服の首元を掴まれ、思いきり壁に向かって放り投げられる。


「うわあああぁぁぁっっっ!」


 背中から突き抜けるような衝撃が悠一を襲い、こみ上げてきたものを軽く吐き出した。


「ぐうううぅぅぅ……」

「やはり、【抗体】を持っていたのね。対抗手段がないわりに、堂々としすぎてたのよ」


 近寄ってくる足音。


 ――ダメだ。動けない。痛みに負けている。


 そもそも悠一は、自らの目的を達する為に夏樹の誘いにのった。


 その目的は、先程、眼の前の【擬態種】から投げ捨てられ、地面を転がっている。


 勝算などなかった。

 居場所が特定され、ばれてしまったのがそもそも、運の尽きだった。


 ――待てば良かったのか。だけど、それじゃあ……。


 考えることは尽きない。

 網膜の裏に焼き付いたのは、家で待つ二人の顔。


「じゃあね」


 室内に吹く風。

 続いたのは、金属音だった。

 横たわる悠一と【擬態種】を隔てるように。

 刀を抜き去り、【擬態種】の一撃を受け止める存在。


 灰音夏樹は、小さく振り返って、笑った。


「待たせたな、少年」

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