焦燥感 - ②

 公園のベンチに腰を下ろした悠一。

 遠くから、高校の予鈴が微かに聞こえてくる。


 すでに授業が始まっている時間だ。

 そんな中、悠一はその場でメモ帳を開き、ぶつぶつと呟いていた。


「次はどこにするか……考えろ……考えろ……」


 そこで、不意に悠一の視界からメモ帳が消えた。

 慌てて顔を持ち上げると――そこには、つい一週間前に出会った【捜査官(コーディネータ)】の女性。


 灰音夏樹の顔があった。


「よお不良少年。また会ったな」

「……返してください」


 悠一はぶっきらぼうにメモ帳を奪い返した。


 ――いつから居た?

 ――ずっと聞かれていた?


 悠一は立ち上がり、自分より僅かに背の低い夏樹を見下ろす。


「ん? どうしたどうした? オレの魅力に、どぎまぎしているのか? 不良少年」

「……違います」


 悠一は夏樹に背を向けて、公園の出口に向かった。

 そんな悠一の背に、かかる声。


「――メモ帳の中身、見させてもらったぜ」

「…………」


 ぴたりと、動きを止める悠一。


 夏樹は悠一の背後に近寄ると、その肩に軽く手を置いた。


「連続刺殺事件の情報がずらり。それも、とんでもなく濃い密度でな。とても、素人が興味本位で調べました、ってレベルじゃない」

「……だから、なんですか」

「なに。世間話でもしようぜってお誘いだ。オレも、休暇中だったのにも関わらず、仕事にかり出されてさ。せめて、息抜きに若い男と話したくなったんだよ」


 悠一は無言で振り返り、夏樹を見た。

 それから「少しだけですよ」と言って、再び、ベンチまで戻って腰を降ろす。


 夏樹はご機嫌に鼻歌を口ずさみながら、その隣に勢いよく座った。

 それから長い脚を組み、リラックスした態度で空を見上げた。


 近くの砂場で遊ぶ子どもたちがはしゃぎ、彼らを見守るママ友たちの甲高い笑い声が公園ないでこだまする中……夏樹が言った。


「この辺りは、どうも物騒だな」

「普段はそうでもないんですけど」

「みたいだな。オレも温泉にでもと思って、羽根を伸ばしに来たらこれだ。この間、少年が襲われていた件。ここ数日続く捕食。そんなことが日常的に起きているのだとすれば、町民全体の危機意識があまりにも低い」

「まあ、事件は深夜帯にしか起きていないですし。それに――同じ県内だとしても、人口の少ないこの街には来ないだろうって……たぶん、みんなそう考えてる」

「はっ。もう数年もすれば――そんな考え、たぶん吹っ飛んじまうんだろうにな」


 夏樹は脚を組み替えて、悠一の方に首を回した。


「【擬態種】が何故、ミメシスと訳されるのか。少年は知っているか?」

「……え? さ、さあ……どうでしょう」

「擬態には、様々な意味がある。隠蔽をする為、あるいは獲物を欺く為……獲物を得る為の場合もあれば、繁殖の目的で擬態する事を覚える生物もいる。ミメシスとは、その中でも隠蔽する事を主たる目的とした存在に与えられた言葉だ」


 隠蔽的、標識的、攻撃、ベイツ型、ミューラー型、メルテンス型。


 夏樹の言う通り、擬態にはその適正に合わせ、学術的には全く別の名称が用いられる。

 悠一は貧乏ゆすりを激しくして、「それがどうしたんですか」と口にした。


「擬態種は、必ずしも人を喰う必要がない。つまり、擬態する意味すべてを孕んでいる。だからこそ、人間に成り済ました者と意味で、公式に【隠蔽的擬態(ミメシス)】と名付けられた」

「だからそれが――」

「世間話だ、って言ったろ? 油断をするな。奴らは、何処にでも現れる。自分自身すらも、疑ってかかるんだ。……なんてな」

「…………」


 押し黙った悠一。

 夏樹は視線をまた空に戻して……雲が流れるような速度で、無言の時間が過ぎた。


「……じゃあ、そろそろ。僕は、学校に行きますんで」

「おいおい、不良が素直に登校してどうする」

「……不良でも、学校くらい行きますよ」

「じゃあ、夜遊びに出歩くタイプか? 条例で、未成年は深夜十一時以降の外出は禁止してる」

「灰音さんは、警察じゃないでしょ」

「確かに。なら、オレには何も言えねぇな」


 くつくつと笑いながら……夏樹は平然と、「なら今夜、協力してくれよ」と言った。


「……は?」

「おいおい、不良少年は国語力が低いのか?」

「そうみたいです……ちょっと、僕にはよく、分からない言葉が聞こえたので」


 夏樹はメモ帳が仕舞われた、制服の胸ポケットを指さした。


「興味本位で危ない橋を渡るんじゃない。なんて、普通の【捜査官】は言うぜ。でも、オレは興味が湧いた。性別や年齢だけならともかく、出身校から職歴。現住所まで調べる奴は初めてだ。まるでオレたちみたいだ」


 夏樹は笑うのを止め、悠一に対して軽い調子で手を差し出した。


「連続刺殺事件。丁度、調査をしているところなんだ。オレは土地勘が無くてさ。しかも、こんな田舎だ。上の奴らは、オレがここに遊びに来てるって知ってて、押し付けて来やがった。何の面白みもない事件だ。『ちょっとした刺激』くらい、あってもいいだろ?」

「…………」


 あまりにも破天荒。


 悠一が夏樹に抱いた素直な感想はそれで……しかしその裏で、暴れ狂う心臓の鼓動は動きを止める気配を見せない。


 ――まさか、気付いているのか?


 そんな疑念が、悠一の頭の中で浮かび続けた。


「冗談……ですよね?」

「オレが冗談を言うように見えるか? まあ……時には言うかもな?」


 灰音夏樹が【捜査官】であることは疑いようのない事実である。

 しかし、なればこそ、一般人であるはずの悠一を、死の危険が付きまとう【防除(コントロール)】に誘うことがあるだろうか。


「だがまあ……今のところは、本気のお願いだぜ? 頼むよ相棒」


 どれだけの時間、迷ったことだろうか。

 気づけば、悠一は差し出された手に触れていた。


 その行動が、薬になるのか……毒になるのか……まだ、分からないまま。

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