第三章

焦燥感 - ①

「……おはよう」

「…………」


 目を覚ましたカイリがリビングに出てくると、台所で調理をしている最中の悠一がいた。

 コンロの上のフライパンに溶き卵を流し込み、そのままの体勢で固まっている。

 カイリの声に気がつくことなく、その視線はどこか虚空を見つめていた。


「ゆういち」

「……あ。おう。おはよう、カイリ」


 カイリが近寄り、服の裾を引っ張ったことによって、ようやく気がついたらしい。

 悠一は首をぶんぶんと振り回した。


「先に顔、洗ってこいよ」

「うん」


 とてとてと……そんな擬音が似合いそうな歩き方で、カイリは洗面所に向かっていった。

 背伸びをしながら蛇口を捻り、ばしゃばしゃと顔を強く、擦るように洗う。


「あ……」


 そこでカイリは、タオルを持って来るのを忘れたらしい。

 ぼたぼたと水滴を地面に垂らしながら呆けていると――。


「忘れもんだ」


 その頭に、ふわりとタオルが投げられた。

 顔にかかった桃色のタオルからは、大好きな家の匂いがした。


「朝飯、できてるからな」

「うん」


   ***


「いただきます」

「……いただきます」


 テーブルに着席した二人は、示し合わせたように手を合わせた。

 それから箸を手にとって、半熟卵の目玉焼きに触れる。

 カイリはまだ、箸の扱いに慣れていない様子で、苦戦していた。


「別に、フォークでもスプーンでも、なんでも使っていいぞ」


 悠一が言うと、カイリは勢いよく首を左右に振った。


「ゆういちとみうと、おなじがいい」

「……そか」


 炊きたての白米と、塩コショウで味付けされた目玉焼き。簡単なインスタント味噌汁と、幾つかの種類があるふりかけ。それから、作りおきの漬物。


 それが悠一の作る朝食の全貌だ。


「美味いか?」

「うん」

「よかったよ」

「……ゆういち」

「なんだ?」

「大丈夫?」


 不意に箸の動きを止めたカイリは、対面に座る悠一を見上げた。


「……何が?」

「なんか、その……ぐあい、わるい?」

「……平気だよ。ありがとな」


 悠一は箸を置いて、身体を伸ばし、カイリの頭を軽く撫でた。

 カイリは心地よさそうに目を細める。


「少し風邪ひいちゃってさ。ぼーっとするんだ」

「……みうも?」


 カイリは、美翅の眠る寝室の方を向いて言った。


 カイリがこの家に来て、一週間が経過する。

 美翅が朝になって顔を見せなかったのも、朝食を悠一が作ったのも、今日が初めてだった。


「ああ。なんか、僕の風邪が移っちゃったみたいでさ。まだ寝てる」

「そう……なんだ」


 心配そうに部屋の方をじっと見つめるカイリ。

 悠一は、そんなカイリに「ありがとな」と、礼を言った。


「起きてきたら、美翅に言ってくれ。おかゆ用意してるから、って」

「……うん」


 カイリは頷いて、再び、食事を再開した。


「……ゆういち」

「ん?」

「おやさい、ちゃんとたべないと、だめ」

「うぐっ、口調ばかりか言うことまで美翅に似て来やがって……わーったよ」


 悠一はしぶしぶといった様子で、テーブルの中央に鎮座された漬物に箸を伸ばす。

 カイリは嬉しそうに、自らもきゅうりを口に入れた。

 野菜全般が苦手な悠一は、よく美翅に注意される。


「お野菜も食べないとだめだよ」


 ――と。


 それは、谷村家の食事風景においては、ある意味定番の流れだった。

 カイリは満足そうに鼻を鳴らし、眉尻を下げる悠一もどこか嬉しそうで。

 悠一は手近にあったリモコンに触れて、テレビの電源を入れた。

 聞き慣れた軽快な音楽のコマーシャルが、お茶の間に流れる。


「……ごちそさまでした」

「おそまつさまです」


 先に食事を終えたカイリが手を合わせ、悠一は軽く頭を下げた。

 そこで、テレビ画面がニュース番組に切り替わった。


『続いてのニュースです。**県で起きた、連続刺殺事件。昨日もまた、被害者が出ました』

「…………」


 遡ること三日。

 悠一の暮らす県で、連夜続く通り魔事件の報道。


 深夜零時を過ぎた真夜中、若い女性を狙った通り魔事件が立て続けに怒っていた。

 被害者は全員二十代前半。

 遺体は全て、首元を鋭利な刃物で一突きにされて絶命。

 腹部が大きく抉られていた。


 まるで、噛みちぎられたとしか思えない形で。


『本日は、【擬態種(ミメシス)】の生態に詳しい大島教授をお迎えしております。教授、やはりこれは、【擬態種】による犯行と見て間違いないのでしょうか?』

『ええ。【擬態種】には、それぞれ人間の身体において、好みの部位が存在します。共通する犯行時間や殺害方法からは理性的なものを感じますし、捕食された被害者は全員若い女性。何より腹部が噛み千切られている。十中八九、【擬態種】の仕業でしょう』


 事件は、県内で広範囲に起きていた。

 一つの小さな区画に限った犯行でない為、悠一たちが暮らすこの街や、隣の県であっても、起きない保証はまるでない。


「……ゆういち」

「ん?」


 テレビの報道に目を奪われていたカイリが、真剣な顔をして、悠一の方を向く。


「どうした?」

「……おしえて」

「……何を?」

「たたかいの、やりかた」


 カイリはまた、美翅が眠る部屋の方を見た。


「……いざとなったら、隠れろ。対抗しようなんて考えるな」


 一度大きく、カイリは首を横に振った。


「みうは、ちがうから」

「違う?」

「みうは、いたいの、よくならない」


 カイリは立ち上がり、寝室に戻った。

 それから、鞘に収まった小ぶりなナイフを両腕で抱えて、戻ってくる。

 悠一はこれ見よがしなため息を吐いた。


「無理だって。……お前には、武器がない」

「ある」

「そうじゃない。リーチも短いし、力だってないだろ。それに、」


 ――元々【持っていない】のか、まだ【持っていない】だけなのか。


「ともかく、この話は終わりだ」


 悠一は食器を盛って立ち上がり、台所へ向かう。

 そんな悠一のズボンをカイリが引っ張って、動きを止めさせる。


「ある」

「…………」


 カイリは俯き、ナイフをさらに強く抱きかかえた。

 悠一は膝を折って視線を合わせ、いつものように、カイリの頭に手のひらを乗せた。


「僕が守る。カイリのことも……美翅のことも。だから、安心してくれ」

「……うん」


 カイリは悠一から視線を逸らして、小さく、頷いた。

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