遭遇戦 - ②

 悠一が外へ出ると、もうすっかり朝日が登っていた。

 一度家に戻り、美翅の作った朝食を食べ、通学に出る

 歩き慣れた道を進み……赤信号の横断歩道で足を止めた。


「分かんねぇな……」


 ふとした独り言。


「……んん?」


 そこで悠一は気がついた。

 いつも、肌身離さず持ち歩いていたはずの竹刀袋を忘れて来てしまったことに。


「やべ……取りに帰るかな――」


 悠一が振り返ろうとして、顔を持ち上げると。

 横断歩道を挟んだ道の先から向けられていた視線に気がついた。


 そこには、一人の男が立っている。

 薄墨色のツナギ。

 目深に被った帽子。


 ――間違えようがない。それは、昨日、カイリを追いかけていた男だ。


「――っ」

「…………」


 信号が青に切り替わり、聞き馴染んだ音楽が道に響く。

 途端、悠一の隣や背後に居た人たちは一斉に横断歩道を渡った。

 悠一もその波に乗って、前へ進む。

 丁度、横断歩道の真ん中に差し掛かったところで――ツナギ姿の男とすれ違う。


「…………」

「…………」


 お互いに無言のまま通り過ぎ、悠一はほっと息をついた。

 しかし――。


「っ」


 背後から近寄る足音に気がついて、即座に歩くことを再開する。


 ――追いかけてきている。

 事実、付かず離れずの距離を保って、男は悠一を追っていた。


 ――巻くしかない。

 悠一はそう考えた。


 このまま学校まで連れて行く選択肢は有り得ない。

 また、家に帰ることなどもっと出来ない。


 悠一の家には、美翅が居るのだ。


「一か、八かっ」


 不意な方向転換をした悠一は、人気の少ない道を全速力で駆けた。

 右へ左へ――土地勘のある地元民ならではの動きをして、とにかく走る。


「はぁっ……さすがに、もう――」


 路地を曲がり、細道を抜け、息を吐こうとしたその瞬間。


「よう」


 道の先から、ツナギの男が現れた。


「…………」

「あいつを何処へやった?」

「……さあ? なんの事だ?」


 とぼけた調子で答えた悠一に、男は「まあいい」と続けて、ナイフを引き抜いた。


「辛うじて口が聞けるくらいは残してやる。丁度――腹が減っているからな」

「っ、」


 その言葉は、悠一に男が【擬態種】であることを確信させるには十分だった。

 悠一が得意としている長物は、あいにく、現場に見当たらない。

 見よう見まねに徒手で構えた悠一。


 男は懐から武器を取り出すと、一息で距離を詰める。


「おおおっ!」

「っ!」


 男はナイフを逆手に構え、悠一に向けて振り下ろした。


 ――通常、刃物とは振るう武器だ。

 しかし、ナイフのように取り回しのよい武器の場合は、「振るう」より「突く」動作が有効な場面も多い。


「点」での攻撃は防御がし難く、運動エネルギーの減衰も相対的に少ない。


 倒す動きではない。

『殺す』動きだ。


 それは、狩りに慣れた【擬態種】そのもの――。


「あ、っぶねっ!」


 されど――悠一とて、無意に鍛錬をしてきたわけではない。

 横に飛び、地面を転がり……剣道で培ってきた「間合い」を意識する。


「らあぁっ!」

「てめぇっ――」


 悠一は起き上がり様に拾った石を投げ、両手で顔を塞いだ男と距離を詰めた。


「ふっ」

「がっ!」


 そのまま、思い切り右ストレートを顔面にお見舞いする。


「っ、今――」


 そこで悠一は追撃をせず、背中を向けて脱兎の如く駆け出した。

 その選択以外に、選ぶ道などなかったのだ。


 しかし――。


「逃がすか、よぉっ!」

「っ」


 背後から聞こえたのは、地の底から響くような怒声。


「しまっ」


 びくりと背筋を震わせた悠一は脚がもつれて、そのまますっ転ぶ。

 熟練の狩人が、その機会を逃すはずもなく。


「ひゃっはぁ!」


 悠一に向かって飛びかかった男は、ナイフを思い切り振り下ろした。


「があぁっっっ!」


 身を捩り、どうにか致命傷を避けた悠一であったが……右肩に強い痛みが走る。


「死ねっ、死ねっ、死ねっ!」

「ぐぅぅぅっっっ!」


 ぐりぐりと傷口を抉るように、ナイフを動かす男。

 口元は釣り上がり、それはまるで、ゲームに興じる子どもようだ。


「ひゃはははっ、さあ、あいつの場所を――」


 ――リン。

 涼やかな音が鳴った。


 ――リン、リン。

 なんとも形容がし難い、断続的な音。


「そこをどけ」

「……は?」


 今度は鈍い音が一度。

 悠一は、流血する右肩を抑えて振り返った。


「げほっ、くっ、て、てめ――」


 ツナギの男は民家の壁に強く背中を打ち付け、何度も咳き込んでいた。

 そして、そんな男と悠一の間に割って入るように――まるで、昨日のカイリと同じようなシチュエーションで……そこには、一人の女性が立っていた。


 太陽光を、キラキラと反射する銀色の髪。

 黒のロングコートが風でなびき、右腕には仰々し過ぎるほどの武器――日本刀が握りしめられていた。


「伏せてな、少年――」


 ノイジーで不規則な音域の声が聞こえた。

 その女性は、峰を肩に乗せた刀を強く振り、両手で構えた。


 瞬間、また、甲高い音が聞こえる。


 それは、女性の持つ日本刀にぶら下がった鈴からなる音だった。

 女性は体勢を低くし、脇腹を抑えて自身を睨みつける男を見やって、言った。


「現行犯だな。――裁くぜ」

「やろっ――」


 懐に飛び込んできた女性に向かって、男はナイフを振り下ろす。

 しかし、女性はそんな男の動きを鼻で笑う。


「おせぇんだよ」


 ――一閃。


 男の右脇から左脇腹にかけて淀みなく振り抜かれた剣筋が、煌めきとなって悠一の網膜に焼き付けられた。


「あがぁぁぁっっっ!」

「おら、避けねぇと、どうなっても知らねぇぞ」


 痛みに喘ぐ男を追い詰めるように、女性は次々に剣を振るった。その度に鈴が音を鳴らし、全てが見事に男の身体を裂いて、血の華が辺り一面に咲き誇る。


「うぐうううぅぅぅっっっ!」


 たたら脚で後退した男に向かって、女性は左の腰に下げていたホルスターから拳銃を引き抜いて構えた。


「お互い、運がなかったな」


 ――二回轟いた発砲音。

 撃ち抜かれた男の銃痕から、灰色の煙が立ち昇る。


「っっっ、ぅぅぅっっっ!」


 男は声とならない絶叫を発しながら地面をのたうちまわり……やがて、力尽きた。

 男が完全に動きを停止してから数秒――女性が息を吐いて、両手に抱えていた武器をそれぞれ、腰に下げていたホルスターに戻す。


 それから、コートのポケットから携帯電話を取り出し、通話を始めた。


「灰音だ。現行犯で【擬態種】一体、屠ったぜ」

『……またか。灰音捜査官。キミはいつになればホウレンソウを守るようになる』

「緊急事態だったんだよ。許せ。……少年が襲われていた」


 そこで女性は携帯の通話を切り、視線を尻もちついたままである悠一に向けた。

 真っ赤な、燃え盛る炎のような瞳をしていた。

 髪の色と、病的にまで白い肌の色も相まって、その姿は何処までも神秘的に思える。


 ――どんな傷でさえ癒やし、人類では死を与える事が不可能とされてきた【擬態種】を、簡単に葬り去った女性。

 その正体は、考えるまでもない。


「貴方は――」


 悠一が言葉を紡ぐよりも早く、女性は胸のポケットから手帳を取り出して掲げた。

 その表面には、剣のマークと【Specified-creature Protection Committee】という文字列。


 ――やはり、彼女は。


 女性はにやりと笑うと、悠一に向かって歩いた。


 一歩踏みしめるごとに、刀の柄頭に縛り付けられた鈴が鳴る。

 それはまるで足音のようで……何か神々しい存在が近寄ってきているかのような……そんな錯覚に陥る。


「特定ヒトガタ生物保尊委員会所属、【捜査官(コーディネータ)】の灰音夏樹だ。怪我はないか? 少年。……って、見るからに負傷してるか。……唾でもつけときな」


 女性がそう言って笑うと、白い歯が輝いた。


 ――これが、後に【捜査官】として師弟関係を結ぶことになる両名の出会い。


 その一幕であった。

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