人型の少女 - ④


「……まだかなぁ……」


 変哲のない集合住宅の一室。

 最上階である五階の部屋で、少女が呟いた。


 谷村家の台所で鍋に火をかけた少女は、不意に天井を見上げる。


 肩の少し下で切りそろえられた真っ直ぐな黒髪。

 宝石を嵌め込んだかのように美しいブラウントパーズの双眸。


 黒枝美翅(くろえだみう)はため息を落とし、ガスを切った。

 十分な調理工程は終了したらしい。炊飯器を見れば、保温のランプが付いていた。


「…………」


 ――ピンポーン。


 そこでチャイムが鳴った。

 夕暮れ時に、勧誘などはあまり来ない。

 であれば、この家の住人である彼の可能性が高い。


 しかし、なにゆえに鍵を使って中に入らないのだろうか?


 持っていくのを忘れてしまったのだろうか?

 そんなことを考えながら廊下を進んだ美翅は、ドアののぞき穴を見た。



 そこには愛しい幼馴染である悠一の姿。

 ほっと一息をついて、鍵を空けた。


「悠一くん、おかえりなさい。今日はどうしたの――」


 言いかけて、その言葉を飲み込んだ。

 悠一の背中に抱えられた少女の存在に気がついたからだ。


 血に濡れた病衣を身にまとった少女。

 長過ぎるくらいの髪に顔が覆い隠されている。


 そして、その首には――緑色のランプが点滅する機械。


「襲われていたんだ。……相手が【擬態種】かは、分からなかったけど」

「そう、なんだ……」


 ――【ヒトガタ】を目にするのは、美翅としても初めての経験だった。


【ヒトガタ】はどれだけの数存在しているのか、一般に公表されていない。

 そもそも、見たことがあると語る人が殆どいないのだ。


 言ってしまえば、【ヒトガタ】など、都市伝説のようなもの。


「……その子、怪我してるの?」

「いや……」


 悠一は首を振って、少女を玄関におろした。


「……傷は、見当たらないね」

「うん。たぶん、そういうことだ」


【擬態種】は人間の形をしているだけで、人間ではない。


 彼らは意識を肉体から乖離させ、俯瞰する事が可能な新生物であるとされている。

 人が意識的に手足を動かすように、彼らは意識的に肉体を再生出来る。


「……ともかく奥に寝かせよう。起きたら、事情を聞いて……全部それからだ」

「……うん」


 美翅はその場で屈み込んで、少女の顔を覗き込んだ。


 無垢な顔だ。

 しかし――それでも、彼女は【ヒトガタ】だ。


 つまり【擬態種】であり、人間ではない。

 悠一がポツリと呟いた。


「しかし、【ヒトガタ】か……」

「……色々聞いてみる?」

「……そうだな。機会があれば、色々聞いてみようか」


 普通の人間だったのなら、怖がって然るべき状況だ。

 例え本当に少女が【ヒトガタ】であるとして――【擬態種】であることに変わりはない。


 どんな状況下であっても、家に連れてくるなんて選択肢が、浮かぶわけもない。

 どうして、悠一はそんなことが出来るのか。その答えは――。


「…………」


 美翅はそっと、少女に触れた。


「っ」

「どうした?」


 とっさに手を引っ込めた美翅に、悠一は声をかけた。

 美翅はしばし呆然としたまま自らの右手を見つめ――。


「ううん。なんでもない。わたし、ガスを切ってくるね。料理の途中だったから」

「ああ」


 美翅は首を左右に振って、台所に戻っていった。


   ***


「…………」


 目を覚ました少女は、見覚えのない天井に違和感を覚えた。

 首を固定したまま、瞳だけぐるりと回して辺りの様子を伺う。


 記憶の片隅にすらない光景。

 年季を感じる白いフロスと、二重輪っかの丸型蛍光灯。


 少なくとも、これまでの人生で飽きるほど見てきた真っ白な天井と、ドーム型の蛍光灯ではない。


 少女はゆっくりとした動作で身体を起こした。

 半身を起こした状態で頭を抱えながら、寝る前までの記憶を遡る。


 そして――。


「あ……」


 思い出す。

 窮地を救ってくれた男性のことを。


「ありがと……いわなきゃ……」


 持ち上げていた手を降ろすと……不意に、【首輪】に触れた。


『絶対に外してはいけないよ』


 それは、少女の担当研究者から釘を刺されるように言われ続けてきた言葉だ。


 無感情な人間であると、その女性研究員について、少女は感じていた。


 淡々と研究に没頭し、少女とは事務的な会話に終止する。

 他のどの研究員も少女と意識的に関わろうとしてこなかった中、その研究者だけは一定の距離を保って離れようとも近付こうともしてこなかった。


 ――でも、あの人は、もう……。


 不意に、少女の頬からは涙が溢れていた。


「あれ……」


 しばらく一人泣いていた少女は、突然室内に差し込んできた灯りにびくりとして、肩を震わせた。


 部屋の扉――襖が開き、顔を覗かせたのは……美しい容姿をした女性だった。


「あ、起きた?」


 少女から見る、その女性の第一印象は綺麗で温和。


 他には――よく、わからない。


 女性は部屋着と思われるラフな格好の上から、桃色のエプロンを着用している。

 そのことを意識すると、少女は身体の一部とすら思っていた病衣を着ていない事実に初めて気がついた。

 今、少女はサイズが大きい、ダボダボの服を身にまとっている。


「……え、っと」


 女性は少女に近寄って膝を折り畳んだ。

 少女は再び身体を震わせ、半身だけのけぞる。


「あ、わたし、美翅って言うの。大丈夫? 帰ってきてから、ずっと眠っていたから……お腹空いていない? 夕ご飯丁度出来たから。ほら、おいで」

「あ、そ、その……」


 差し出された手は躊躇なく少女の手を引き、その小さな身体を立ち上がらせた。


 美翅に続いて部屋を出ると、一層強さを増した灯りに目を細める。

 明順応が機能して、瞼をしっかりとおしあげると、リビングにはもう一人居た。


 テーブルに着席し、新聞を読んでいる男性。

 新聞紙を読みながら、片手では何やらメモ帳に必死で書き込みを行っている。

 その顔はあまりにも真剣だ。


「悠一くん」


 少女と手をつないだまま、美翅が男性に声をかけた。


 すると、男性――悠一は顔を持ち上げて、声をあげた女性を見る。


 それから視線を回して……少女を一瞥。

 少女は背筋を伸ばして、緊張した面持ちで、まばたきすらも我慢するような顔を作る。

 担当研究員も、今手を繋いでいる人も……少女がこれまで関わってきた相手は女性ばかりだ。


 それに、昨日は『あんな事』まであった。

 男性である悠一に見つめられ、萎縮してしまうのも無理ないことだろう。


「…………」

「――っ」


 悠一は立ち上がり少女に近づいた。

 少女とて、悠一が命の恩人であることを忘れたわけじゃない。

 口を結んで、悠一の瞳を見つめ続けた。


 悠一の容姿は女性と正反対だ。


 優しいではなく、怖いにステータスを振っているまである。

 キツめの釣り眼で、背も高い。

 一般的な女性より、ずっと肩幅が広いのが性別を誇張しているようであり、恐ろしい。


「……どこか、痛いところはない?」

「……え?」

「いや、怪我は治っているみたいだけど、服、結構破れてたから」

「見た限り身体は大丈夫みたいだけど、どう?」


 美翅が、悠一の言葉をつなぐように小首をかしげた。

 少女は首をぶんぶんと左右に振り回して、「だいじょぶ」と小さな声で呟いた。


「昨日、悠一くんが怪我をした貴方をここへ連れてきたのよ」

「ぁ、し、し、ってる……」


 少女の声は尻すぼみに小さくなり、終いには誰の耳にも届くことなく闇に消えた。


「…………」

「…………」


 悠一と少女が見つめ合ったまま固まり……生まれた沈黙を破ったのは美翅だった。


「さ、貴方の分も用意するから。ちょっと遅いけど、夕ごはん。座って座って。……あ、悠一くんの隣は怖いだろうから、対面でいいよ」

「おい」

「とりあえず、その目つきのわるーい瞳を治してから反論してね。ささ、こっちこっち」


 美翅に言われるがままテーブルについた少女。

 美翅は少女の両肩に優しく手を置くと、にこりと笑って台所に戻っていった。

 背後からは、鼻歌が混じった調理の音が聞こえる。


「ったく」


 悠一は後頭を掻きむしりながら、もともと座っていた定位置――少女の対面に腰を降ろし、再び新聞に目を走らせた。


「…………」

「…………」


 悠一も、美翅も……少女からすれば、とても「変わった」人間だ。


 ――この人たちは……違う、の?


「そんなわけ、ない」


 少女の呟きは小さすぎて、台所に居た美翅はおろか、目の前の悠一にすら届かない。


 分からないはずがないのだ。


 それを分からせる為に、少女の首には証が巻かれている。


 ――なのに、どうして?


「はいどうぞ。昨日の残り物ばかりで申し訳ないけれど」

「っ」


 美翅が少女の隣に腰を下ろした。


 眼の前には、湯気を上げる料理。

 山盛りの白米と味噌汁。

 それから、茶色く色の滲みきった肉じゃが。


 見れば、悠一はすでに新聞をしっかりと畳み、メモ帳と共に机に置いていた。

 それから、大きく手を合わせて「いただきます」と口にする。


「はい、いただきます」


 美翅も、悠一と同じような動作で、小さく礼をした。

 少女もまた見よう見まねで同じように手を合わせる。


「……ます」


 言葉の意味は、分からない様子だった。


 少女はごくりと唾を飲み込んだ。


 匂いや、二人の挙動からそれが食べ物であるとは瞬時に理解が出来た。

 ただ……この場には慣れ親しんだスプーンはない。

 見渡せば、二人は用意された二本の棒を巧みに操って食事を取っていた。


 少女は頷き、二本の棒を握りしめて、白いご飯をよそった茶碗を持ち上げる。

 顔を顰めながら、口を近づけて白米をかっ込む。


「あ、スプーンの方が良かったかな?」

「みたいだな。典型的な握り箸だ。にしても、がっつくな。よほど腹が――」

「はふっ。はふっ、ふがふが……」


 二人から聞こえてくる小さな笑い声などちっとも気にならないらしい。

 少女は一心不乱に、無我夢中に……ご飯を食べ続けた。

 気を利かせた美翅が立ち上がり、台所から匙を持ってくる僅かな間に、少女が抱えていた茶碗の中から白米は姿を消してしまっていた。


「…………」


 少女はじっと、殻になった茶碗を見つめている。

 美翅がにこりと笑って、その手から優しく食器を取り上げた。


「おかわり、いる?」

「……いいの?」

「もちろん。たくさん食べて良いよ」


 美翅が先程よりも多くよそってきた白米。

 手渡された少女はごくりと喉を鳴らして、再び口に詰め込んだ。

 やはり箸よりもスプーンの方が扱い慣れているようで、食べ終わるまでの速度はさっきより速い。


 おかずには目もくれず、ひたすらに白米を咀嚼する少女。

 豪快なその食べ口には目を引くものがあり、二人は少女が再び茶碗を空にするその時までその光景を見続けていた。


「……あったかい」


 少女は小さく呟いた。

 そんな彼女の瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れて、机を濡らす。


「ど、どうした? 怪我が痛むか?」


 対面に座っていた悠一は狼狽えたが、少女は首を左右に振るばかり。


「……そっか」


 対して、美翅は何か納得をしたのか、一度頷くと食器をテーブルに置いた。

 それから、ゆったりとした動作で少女の頭を抱え……抱きすくめる。


「辛かったんだね。ごめんね。……ごめんね」

「う……うああぁぁぁ、あああっ」


 堰を切ったように、少女はおんおんと声を上げ、泣いていた。

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