人型の少女 - ②


 ――数カ月後。


 じっとりとした暑さが生んだ汗が悠一の頬を伝い、顎を濡らした。


 キィボードを乱暴に叩く音。

 しきりに繰り返される貧乏ゆすり。

 夏休みが目前に迫った今日は、七月の中盤。


「オカルト研究部」と銘打たれた部室で一人、悠一はパソコンに表示された内容を読んでは、要点を纏めてテキストファイルに書き込むという動作を、ひたすらに繰り返していた。


「民家襲撃、一家全滅……これは隣の県。遠い。犯行は【擬態種】が疑わしい? そうに決まってるだろ。ただ……さすがに遠い。行って帰るだけで半日の距離は……」


 冷房が完備されていない部室棟。

 開かれた窓から吹き込んだ風は、室内に満たった薄気味悪い独り言を乗せて、対面の廊下に流れていく。


 放課後、他の部室とひとつなぎになったその廊下に、誰も居ないなんてことはなく――。


「ねえ、先輩。あの人って……」

「ああ、谷村くん? いつもの事よ。気にしちゃだめだって」

「……あ?」


 通りすがりの女子二人組が足を止めて、悠一を廊下から見ていた。

 悠一から向けられた、ガラの悪い刃のような視線に、女子二人は小さな悲鳴を上げる。


「ひっ」

「……ふん」


 足早に姿を消した女子生徒を見送り、悠一は再びパソコンに向き直った。


 昨年度、部員数ゼロで活動停止した倶楽部に、ただ一人の新入部員として入部。

 活動内容は、放課後部室に立ち寄り、一時間みっちりと【擬態種】の情報収集。


 しかも、その間ずっと、一人で何やら喋っている。


 そんな現状が噂にならないわけもなく、悠一は入学してから一年経った今、学内で知らぬ者がいない変人として名を轟かせていた。


「……もう、こんな時間か」


 悠一はシャツの胸ポケットからメモ帳を取り出し、テキストファイルにまとめた情報の中から、最重要と思われる項目を幾つかピックアップして書き込んだ。

 それからテキストファイルを保存。

 拡張子を適当な画像ファイルのものに差し替え、簡易的な暗号化を図って立ち上がり、鞄と竹刀袋を引っさげて廊下へ出る。


 放課後は一時間情報収集。

 その後は剣道場へ向かう。

 これは、彼にとって完全に決められたルーティンワークだ。


「遅くなりました」


 剣道場に踏み入ると、数人の生徒が道着姿で素振りをしていた。

 その中で一際背が高く、恰幅の良い男子生徒が悠一の登場に気が付いて手を上げる。


「お、来たか。お前はたまに、前触れもなく休むからな。今日は来ないかと思ったぞ」

「はは、まさか」


 悠一は一礼だけすると道場の隅へ行き、上着だけ脱ぎ捨てて素振りを始めた。


 ――右脚を前に、左脚は半歩引いて……剣先は天井へ。

 決して垂れないように注意して……振り下ろす!


 ブンッ、と強い音が、剣道場に響く。


 悠一はそれから二度、三度と素振りを続けた。

 彼のそれは、他の部員の誰のものと比較しても違う。


 一振り一振りが丁寧で、力強い。


「ふむ」


 先程悠一を出迎えた男子生徒は、顎に手を当てたままの様子で息を吐くと、近くで休憩していた一人の生徒に声をかけた。


「一ノ瀬、ちょっといいか?」

「はい?」

「谷村! こっちへ来てくれ!」

「……うす」


 悠一は素振りを止め、吹き出た汗をタオルで拭った。


「どうしましたか? 中澤部長」

「いやなに、実は本日、我が部に待望の実力者が入部してな。転入生で、この一ノ瀬という男なんだが……実力は折り紙付きなのだが、少し調子に乗っているみたいでな。お前にお灸をすえてやってほしいのだ」

「はあ……」

「部長。オレに誰も勝てないからって、こんな見習い部員みたいな奴に戦わせようって? あいにく、手加減なんてオレ、しませんよ」

「本気で構わないさ。なに、お前も我が部最強の男と、一度は手合わせをしておいた方が良いだろうと思ってな」

「最強……?」


 中澤と呼ばれた生徒は、悠一の背中を軽く叩いた。


 悠一は不服そうな顔をしながらも、しぶしぶ「わかりました」と答える。

 対して、一ノ瀬の顔も渋い。

 一年生ながら、他県にある学校ではレギュラー入りを果たしており、実力は推して知るべし。

 実際、剣道部の部長である中澤をも簡単に倒し、実力は入部初日で部内トップ。


 倒していない強者が他にいるとすれば――。


「ま、オレも全員ぶっ倒すっていう目標があったし、手加減なしで行きますよ、先輩」


 差し出された手に、悠一は軽く触れて離した。


「着替えてきます」


 それから五分程して、剣道場には二人の剣士が相対していた。


 一人は一ノ瀬。


 堂に入った構えは見るからに年季が入っており、軽くしてみせた素振りの鋭さは、なるほど確かにその強さを誇張するには十分である。


 対して悠一の方はリラックスし、脱力しきった様子が伺えた。


「準備はいっすか? 先輩」

「いつでも」

「ちっ」


 一ノ瀬は小さく舌打ちをして、構え直した。

 二人は示し合わせたように膝を折り曲げ、剣を持ち上げて、切っ先を向け合う。


 剣道の試合は、一般的に三本勝負である。

 二本先取が勝利条件だ。


「では――始めっ」

「きぃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 二人の間に立っていた中澤が、気迫のこもった声で開始を告げると――速攻。


 一ノ瀬が先手必勝と言わんばかりの速度で距離を詰めた。


 継ぎ足――それは、少し遠い間合いから、大きく相手に打ち込むべく使われる足さばきである。右脚に左脚をひきつけ、その反動を利用して右脚を大きく前へ踏み出す動き。


 剣道において、もっとも重要とされる部分は竹刀の振りではなく、足さばきである。


 相手から一本取り、相手からは一本を取られてはならない。

 重要となってくるのは対戦する相手との距離――間合いである。


 常に細かく脚を動かし、『どの体勢でも踏み込める』ことと、『適切な場所へ踏み込む』ことが出来る者が試合を制する。


 一ノ瀬の足さばきは高校一年生のそれにしては突出しており、これまで数多くの部員が動きを捉えるに至らなかった。


 努力を重ねて動きを身につける剣道というスポーツに置いて、才能は二の次である。

 どれだけ反復練習を重ねてきたか、どれだけ思考してきたかが問われる。


 一ノ瀬の動きからは、口ぶりから想像もつかない真面目な基質が感じられた。

 一ノ瀬がいの一番に狙った箇所。


 それは、悠一の右小手だ。


「てえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」


 ――これは決まった。


 観戦する部員の誰もがそう思っただろうまさにその瞬間。

 バシィッ! と、竹刀が唸った。


「……え?」


 間の抜けた声は、一ノ瀬からのものだった。

 場面は一転。


 悠一が片手で構えた竹刀が、正確に一ノ瀬の面を捉えていた。


「面ありっ」

「は? いや、ちょ、ま――」

「早く戻ってくれよ」


 急かす悠一の言葉に従うがまま、唖然としたまま……一ノ瀬は素直に開始線まで戻る。


 それから再び、二人は向き直った。


 ――たった今、悠一が行った動きは「小手抜き片手面」と呼ばれる技だ。

 一ノ瀬の狙いを察知し、即座に反応して右手から竹刀を離し、小手を避けた。そして、そのまま左手で竹刀を振り上げ、カウンターの如く面を放った。


 ただ、それだけの事である。


 しかし、その「それだけ」がどれだけ難しいかは語るまでもない。

 片手面とはそもそも、有効として取られにくい動きだからだ。

 剣道とは戦いではなくスポーツである。

 そして、放った技が有効であるとされるには、次の条件を満たす必要がある。


『充実した気勢、適正な姿勢をもって、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるもの』


 つまり、正確な動きが為されたとしても、気迫のない一撃であれば有効とされない。

 剣道家が技を放つ度に、奇声とも思える雄叫びを上げる理由は、審判に対する技の印象を少しでも良くする目的が強いのだ。


 しかし、悠一は静かだった。


 だが、審判である中澤はその技を「有効である」とし、部員の誰も文句を言わなかった。それだけ、卓越した技工であったと言わざるを得ない。


「始めっ」

「っ」


 動揺する一ノ瀬であるが、時間は待つことを許さない。強く竹刀を握りしめ、再び、腹の底から雄叫びを上げた。


「き、きえええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええええええ!」


 再び、距離を詰めた一ノ瀬。

 狙いは同じく小手――ではなく、手を引いて大きく振り上げる。

 意趣返しの意味があったのか、その狙いは悠一の面。


 しかし――振り上げられた竹刀は悠一の閃光のような一撃を持って撃ち落とされた。


 悠一は通り過ぎ様に華麗な面を決めると、振り返って切っ先を鋭く、一ノ瀬に向ける。

 面越しに分かる程、一ノ瀬の顔は驚愕の色で染まっていた。


「面ありっ!」


 そこで面を外し、垂れる汗を軽く手の甲で拭った悠一は、中澤へ視線を向けた。


「ああ、悪かったな」


 中澤の返事に満足したのか、悠一は一ノ瀬の方を見る事なく、更衣室へ歩いていった。


「ま、待てよっ!」

「…………」


 一ノ瀬が悠一を呼び止める。


「オレはまだっ、――」


 立ち止まり、振り返った悠一。

 直後――一ノ瀬の身体は硬直し、動けなくなっていた。


「あ、……」

「もういいか?」


 滝のような汗を吹き出した一ノ瀬は何も答えることが出来ず……悠一は、今度こそ更衣室にその姿をくらました。


「……部長」


 一ノ瀬からの言葉に、中澤が答えた。


「なんだ?」

「あの人は、一体――」


 谷村悠一とは、一体何者であるのか――。

 中澤は小さく「俺にも分からん」と言った。


「……お前も、肌で感じ取っただろう? あいつは、どこか俺たちと違う。少なくとも、大会で良い成績を残そうだとか、そういった考えの一切を持っていない」

「そんなわけ――」


 あるわけがない。


 常人であればそう思うのが普通だ。

 人間、誰しもが承認欲求を抱えて生きている。

 物事を始める動機には、誰かに認められたい、誰かに敬われたいと、そんな気持ちがほとんどだ。


 しかし――先程、一ノ瀬に向けられた、あの、刃のように鋭い視線。


 蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった身体を思い返し、首を強く振る。

 その手は、これ以上もないくらい……震えていた。


「信じられはしないだろう。なにせ、あれ程の技術だ。血の滲むような努力を積み重ねた上でしか到達の出来ない境地にまで、あいつは登っている。……ただ、その目的はやはり不明瞭なのだ」

「……オレは、その、殺されるかと思いました」

「……くくっ」

「な、何がおかしいんですかっ」


 本音を吐露した一ノ瀬に、中澤はこみ上げてきた笑いを隠すことなく晒した。


「いや……谷村と戦った奴は、誰でも同じことを言うから、おかしくてな。口下手だが、普段のあいつは、それこそ虫も殺せないように穏やかな奴なんだ」


 そうこうしているうちに、制服に着替え終わったらしい悠一が道場に戻る。

 それから定位置について素振りを再開した。

 まるで、先程の野良試合などなかったかのように。


 淡々と。

 粛々と。


 竹刀を振るっていた。


「間違いのない動機が、あいつにはあるはずだ。少なくとも、あれだけ真摯に強くなることに貪欲な理由が……エクササイズもどきなどと、俺には到底思えないよ」

 そんな中澤の言葉が、小さく、道場内に響いた。


   ***


「それでは、今日の部活はこれまでとする」


 ありがとうございましたと、部員全員が口を揃えて言った。

 空はもうオレンジに染まり、すぐにでも日が落ちそうな頃合いだ。

 さっさと帰り支度を済ませていた悠一の背に声がかかる。


「た、谷村先輩!」

「ん……」


 悠一が振り返った先に居たのは、先程の試合で敗北を喫した一ノ瀬。


「どうかしたか?」

「いやその、失礼な態度を取って、その、……すみませんでした!」

「……何が?」


 悠一は心底、一ノ瀬が何を言っているのか分からない様子で首を傾げた。


「え? あ、オレ、すげぇ失礼な事を」

「無駄だぜ一ノ瀬。そいつ、オカルトにしか興味ねぇから」


 部員の一人が、軽口を叩くように言った。

 続くように、数人が「そうそう」「だな」「間違いない」と笑う。

 それは決して、悠一を謗るための笑いではない。

 親しい間柄にこそ向けられる、冗談交じりの言葉だった。


「オカルト、ですか?」

「ああ。なんだっけ? ママシー、……ミメ、ミメーシ、」

「……【擬態種】」


 同級生の言葉を遮るように、悠一が言った。


「そうだそうだ、それそれ。こいつ、ミメシス事件の事をもうそりゃずっと漁っているんだ。もうオタクだよ、オタク」

「【擬態種】――」


 一ノ瀬とて、聞いたことがないわけがない。

 今でこそ耳にすることが極端に減った単語であったが……数年前はそれこそ、テレビでもネットニュースでも引っ張りだこの単語だった。


「大体、あんなのがそこらにいてたまるかって。事件も報道こそされるけど、数は月に一回あるかないかだ」

「そうそう。ど田舎のこの街に? ないない。現れないって」

「だよな。あははは」


【擬態種】は人を喰らう。


 だからこそ、人が集まる都心部に現れる。

 それは、社会科の先生も認める、極めて一般的な論調だ。

 ふと、一ノ瀬は悠一の方を見やった。


 悠一は冷めた視線で、ただ地面の一点を見つめて――。


「用心した方がいい。【擬態種】は、ずっとお前らの近くに居る――」


 そんな風に呟いていた。

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