6 巨人の腰かけ

 夜の湖が、東の半月を照り返す。

 白く輝く湖面の光が、さざ波にれた。


 低い空に浮かぶ月をながめ、マルコはナサニエルの次の言葉を待っていた。

 この湖畔こはんでマルコは、ナサニエルのためにマリスを取り出して見せた。

 しかし、即座にしまうよう言われ、それに従ったのだ。

 アルが切り出す。


「先生、たまごのマリスは……」


「確かに変わったマリスだ。そんなつるつるしたのは、見たことがない」


 ナサニエル老は、こわばった笑顔を見せた。

 アルとマルコは目を合わせ、ふうとため息をつく。

 老人はマルコに念を押す。


「エルフの女王は『充分に育てば、サマエルが生まれる』と言ったのだな?」


「はい」とマルコは上目遣うわめづかいに答えた。

 老人は二人を励ます。


「ならばまだ時間はある。もっと大きなマリスをいくつか見たことがある。それに……」


 ナサニエルは筋張すじばったたくましい手をマルコの肩にかけた。


「そのマリスは、毎日話すわけではないのだろ?」


 マルコはおもてを上げ、力強くうなづく。

「そうか!」と、アルが気づく。


あるじになってまだ一年たたないから」


 ナサニエルは微笑ほほえみうなづいた。


「マルコ、約束しよう。

 そのマリスの置き場を、私も探す」


 やっとマルコは、ぱあと明るい顔になる。

 だがアルは、怪訝けげんそうにたずねた。


「でも……あてはあるんですか?」


 とたん老人はあわてた顔で、月を指さす。

「いや、違う」とつぶやき、今度は両手で星空を指さした。


「……そら……かな?」


「えぇ?」とアルは、あやしむ目で恩師をながめた。

 だがマルコに顔を向けると、口もとをゆるめ片目をつむる。


「大変な時こそ、冗談を言うひとなんだ」


 ふっとマルコも笑顔になった。

 東の空に昇る半月が、微笑ほほえみ合う三人を、ぼんやりと浮かび上がらせていた。


     ◇


 子ども部屋、といっても魔物のにおいがただよう中で、若ドワーフのバールがいびきをかく。

 少年エルフのアカネは寝息をたてている。


 マルコは寝付けなかった。

 月はすでに高く、窓に顔を寄せて、半月を見上げている。

 ふり向いて二人が起きないか確かめると、彼は暗い袋から神の悪意の石を取り出した。

 ニワトリの大きな卵のようなマリスを、顔に近づけまじまじと見つめる。


「マリ……、月に連れてってもらおうか? ここにいると、皆に迷惑をかけてしまう」


 そう、マルコはつぶやいてみた。

 だが黒い石は、ぼんやりした月光をただ吸い込むだけで、マルコの手の中で静かにたたずんでいた。


     ◇


 翌日。

 仲間はナサニエル夫婦のもとから、南東へ出発した。

『巨人の腰かけ』チヴィタの街で、アルとマルコは、ナサニエルの依頼について調べてみるつもりだ。

 だが他の仲間に依頼の事はまだ言わず、王女を東へ送る途中の街、とだけ伝えた。


 バールは街に着くのが楽しみだった。馬車の手綱たづなをさばき、御者台のレジーナに語る。


「チヴィタは東の同族もよく立ち寄る。

 鍛治のわざが進んでいる」


 となりの王女が真剣な顔でうなづく。

 若ドワーフは緊張した。


「その剣も波紋はもんがあるから、そこで作られたしなだろう。

 れ、レジーナ、『るつぼこう』だ」


 とたん、すらりと刺突剣フルーレを抜いたレジーナは、刀身とを一心に見つめる。

 と豪華なさやに波打つ模様を見つけると、少女は輝く笑顔をバールに向けた。


 笑顔を返したあと、若ドワーフは鋭いまなざしで王女のさやを値踏みする。

 いくつも宝石がついた贅沢ぜいたくすぎる逸品いっぴん

 次の取引の元手に最適だろう。


 すると王女の笑顔の向こうから、馬上のユージーンがこちらをにらんでいる。

 厄介やっかいなお目付役めつけやく

 きっとまた「言葉遣ことばづかいが」などと怒っているのだろう。

 だがバールは、はたと考えた。

 彼が持つさやも価値がある。うまくすれば、充分な利が見込める。

 そう気づくと、若ドワーフは無理をして、ユージーンに怖い笑顔を見せた。


 先導者ユージーンは、ドワーフの不自然な笑顔にたじろぎ、馬をはやめてアルのとなりに並んだ。


「やあ」とアルが、眠そうな目を向ける。

 先導者は、エレノアが抱えた懸念けねんをたずねてみる。


「いいのか? あれ、連れてきて」


「あぁ。ドラゴンの子ね」とアルは言って、馬車の屋根へふり返る。

 屋根の上では、赤いトカゲを抱くエレノアと、それを指さし怒るアカネが、ずっと言い合っていた。



 赤い龍の子はすっかり巫女みこになつき、エレノアが旅に連れて行きたいと言い出した。

 その時、ルアーナとナサニエルはしばらく顔を見合わせ、また戻って返してくれるならとあっさり許したのだ。

 さらにルアーナ婦人は、エレノアの両手をしっかり握り「アルを支えてあげてね」とも付け加えた。



 というわけで結局、龍の子も連れてきた。

 まるで気にしてないアルを、ユージーンは鋭い目でにらむ。


「アル覚えてるか? 昔サニタ先輩が語った『北の探究者の龍退治』」


「そりゃもちろん!

 楽しかったよねあの話––––」


 ふとアルの言葉が止まり、眠気が吹き飛んだ目で、ユージーンの顔と屋根のトカゲを何度も見比べる。

「え? えええぇぇ?」と叫び、アルは何かに気がついたようだった。


     ◇


 アルバテッラの北の大地に、木枯こがらしが吹いている。

 茶色の荒野を、騎馬と馬車が横切る。


 ある日は、岩場のかげに野営し、交代で見張りをつとめた。

 またある日は、小川の岸辺に野宿した。

 その時は風をさえぎるものもなく、震えながらマルコは、マントで体をきつくくるみ星空を見上げた。



 そして数日後。

 仲間は、行く先のはるか彼方かなたに、白っぽい岩を発見した。

「きっとあれだ」とバールが風に向かって吠える。

 岩が近づくにつれ、一行の進みは早まる。


 やがて岩の全貌ぜんぼうがあらわになると、馬上のマルコは呆然ぼうぜんとなった。


「あれっ……て?」


「初めておとずれるが、本当に文献ぶんけんのままだな」


 となりからユージーンが応じた。

 反対側に、アルも馬を寄せる。


「横になった大岩が『巨人の腰かけ』だ。

 マルコ、あの上に人が住んでいる。周りの橋から街に入るんだ」


 そう聞いても、マルコは遠くの光景がにわかには信じられなかった。


 大地から生える巨大な数本の石柱。

 その上に、巨大な平たい岩がのっている。

 ながめるとそれは、確かに巨人が座りそうな椅子そのもので、その座面ざめんから細いり橋が何本も大地へ伸びている。


 マルコが目をらすと、り橋をアリのように小さな人々が渡っているのがわかる。

 そして白い岩の上のいろどりは、自然の模様ではなく、一つ一つが人の建物。

 つまり、宙に浮いた巨岩きょがんの上に、巨大な街が広がっていた。

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