ベッドの下の涙
昼間、癒しの女神と恐怖の使用人という飴と鞭を味わった新は、予定通り両家の食事会に参加していた。
( 色々あったけど、あれも一応デートだよな。 てことは、俺は一つ経験を増やしたって事かな? )
親同士の会話が弾み賑わう食卓で、一人物思いに耽っていると、
「何ぼーっとしてるの?」
少し不機嫌そうな顔の幼馴染が声を掛けてくる。
「えっ、ああ、何でもないよ」
「……何それ」
それに応えるとみやびは不満気な声で呟き、新は顔を背けられてしまう。
( 何怒ってるんだ? 変なの…… )
その後、特に気にする事も無く食事を続けていると、母恵美子が、
「最近ね、うちのモテない息子が女の子を連れて来たのよ」
「――ぶッ……か、母さんっ!?」
みやびが自分の息子に気があるなどと夢にも思わない母は、今ナイーブな関係である二人の前で危険球を投げつける。
「へぇ、どんな子なの?」
それに興味を示したのは、当然の如く美しいみやびの
「小柄で、大人しい感じの――」
「やめてってばッ!」
必死の形相で止める新に、「はいはい、思春期ねぇ」と母は話を終わらせ、父親勢はそれを肴に酒を煽り出した。
「なるほどね、それで……か」
意味深な呟きを零し、流し目で冴えない表情の娘を捉える優衣。
( 余計なこと言って……息子の身にもなれよっ! )
新は心中で母に怒りをぶつけるも、言ってしまった以上後の祭りだ。
やがて、子供達は食事を終え、大人はつまみながら晩酌と言った状態になった頃、
「ちょっと大人の話をするから、子供達は二階に行ってなさい」
「大人の話?」
「ママ……?」
そう言い出したのは優衣、二人は何事かと困惑している。
( でも、ここに居てまた母さんに余計なこと言われるよりいいか )
「みやび、行こう」
「え? うん……」
それも悪くないと判断した新は、みやびを促してリビングを後にした。
「なになに? なんかあるの?」
「別に? せっかく子供も大きくなったんだし、偶には大人だけもいいでしょ?」
「うん、そうね。 あっ、あとね、これもまた珍しいんだけど、新が男友達家に呼んだのよ。 それがまたイケメンでね~……」
今度は泰樹の話を持ち出す恵美子。 彼女なりに新の交友関係が広がったのを喜んでいるようだ。
「大人の話ねぇ、進路の事かな?」
「………」
来年には高校生。 時期的な予想をする新と、無言でクッションに座るみやび。
( なんだ? まだなんか不機嫌そうだな )
反応無く黙られ、独り言になってしまった。
( はぁ、それにしても夕弦さん、キレイだったな……。 見た目は目立つのに、中身は家庭的で落ち着いてるのが良いよね )
それならばと黙るみやびを放置し、膝枕で見上げた、あの優しい笑顔を思い出す。
( それでいて、どこか芯の強さを感じる。 お嬢様ではあるけど、自由に甘やかされたお嬢様じゃないからかな? まあ、沙也香さんに頼ってるところは―― )
「新っ」
「――んっ?」
やや強い呼び掛けに反応する。
見れば、先程は不貞腐れていたみやびが弱気な表情をしていた。
「本当に、どうしたの?」
「何が?」
「今日、ずっと変だよ? ぼーっとして、それに……昨日色々あったのに、私のこと何も気にしてないし……」
どうやら、不機嫌の理由はそこにあったようだ。 今朝は新も気に掛けていた、今日みやびとどんな顔で会えばいいのかと。
「――そっ、そうだ、何だよ昨日のはっ、心配してたのに、あ、あんな格好で……」
「わ、私だってやり過ぎたと思って……。 今日会うの、恥ずかしくて……なのに、新はちっとも気にしてないんだもん」
「うっ」
新以上に今日を気にしていたのだろう。 向きになってやった事とはいえ、好きな男に肌を見せたのだ。
「やっぱり、フった女になんて興味無いんだね……」
悲痛な表情で俯くみやび。
追い討ちの言葉に狼狽える新だったが、少しずつ気持ちを鎮め、引き締まった表情で口を開いた。
「みやびがあんなに辛そうなの珍しいから、心配した。 そりゃ心配するし、俺なんかで助けられるなら助けるよ」
真剣味を帯びた声に顔を上げるみやび。 そして、新は続ける。
「みやびは、一番大事な友達だから」
「………」
今までの新なら、『そんなことない』。 大失敗なら、『昼間色々あって』。 などと言っていたかも知れない。
だが、そうは言わなかった。 母からのアドバイスか、あるいは経験した数々の出来事が彼を変えていったのだろう。
ただみやびを元気付けて、以前のように自分が楽になるような事はしなかった。 それが自分を追い詰め、周りを傷つけるという事に気付いたから。
それは、
「……嬉しくて―――悲しい……」
言われた言葉は、一番大事な人。
何かあれば助けたい、そう思う相手だ。
だが、それは―――『友達』として。
それでも、どうしてもみやびは言えなかった。
『わかった』、とは。
彼女は目を泳がせ、藁にも縋る思いで言葉を探す。
そして、見つけた言葉は―――
「ぬいぐるみ………捨てたの?」
「ううん、捨ててないよ?」
みやびは二人の思い出、この部屋の監視役がいない事に気付いた。
「ああっ、そうだ!」
その所在を思い出した新は、ベッドの下からシャチのぬいぐるみを取り出す。
「はは、忘れてた……」
夕弦との勉強会の際、ベッドの下に隠したのをそのままにしていたようだ。
苦笑いの新に、沈んだ声が届く。
「そうだよね、私の名前入りのぬいぐるみなんか、邪魔だよね」
「みやび……」
「……持って帰る。 シャチくんも、可哀想だから……」
「……そっか」
みやびは、新の手からぬいぐるみを受け取り、埃を払う事もせず抱きしめる。
そして立ち上がり、背を向けた後、
――――泳がないシャチの背が濡れていた。
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