第33話 想い08

 放課後になってから仕上がって来たパンフレットや、招待状の発送チェックを手伝っていたら、すっかり時間が遅くなってしまった。


「思ったより時間がかかったな」


 気づけば校舎内は薄暗く、残っている生徒たちも少ないのか、運動部が使用しているグラウンドや体育館から時折喧騒が聞こえるくらいだ。

 峰岸やほかの生徒会役員にその場は任せ、慌てて会議室を飛び出して来たが――。


「もう十八時か」


 廊下の窓から見えた時計に眉をひそめると、僕はさらに歩く足を速める。だいぶ待たせてしまったけれど、藤堂はまだいるだろうか。


「藤堂?」


 明かりのついていない準備室の戸を恐る恐る開く。中を覗けば室内は静まり返り物音一つしない。しかし窓際の机に足を向けてみれば、僕が普段腰かけている椅子に藤堂は座っていた。


「もしかして寝てる?」


 微動だにしない藤堂に近寄ると、机に身体を伏せ腕枕をしながら目を閉じている。近づいても起きる気配がないということは、だいぶ眠りが深い。


「そういや、夜眠れないとか言ってたのよくなったのか?」


 しばらく黙ったまま藤堂を見下ろしていたら、ふいに安眠と言うにはほど遠いしわが眉間に刻まれた。なぜかその表情を見ているとたまらなく不安になる。


「なんの夢見てるんだ」


 僕はそろりと手を伸ばし、起こしてしまわないようそっと髪を撫でる。すると次第に藤堂の表情が和らぎ、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「そういや、お前のこと全然知らない」


 藤堂を意識し始めて、まだそれほど時間が経っていないのだから、仕方がないと言ってしまえばその通りだ。けどそれは少し寂しい。

 眠れないほど悩んでいるその理由も、藤堂はなにが好きでなにが嫌いでどんな未来を描いているのか。ほんの少しだけでもいいから、藤堂のこともっとちゃんと知りたい。


「いっつも僕のことばかりだしな、藤堂は」


 好きだと思ったら相手のことが知りたくなった、藤堂がそう言っていたことがいまになってわかる。相手のことが好きであればあるほど、近づきたくなってなんでも知りたくなるんだ。


「こういうのって初めてかもな、なんかいままでと違う」


 いままで誰かを好きになったことがないわけじゃない。確かに嫉妬するようなことはなかったけれど、それでも彼女たちのことは、別れた時に悲しくなるくらいは好きだった。でも――いまはそれよりもっと想いが深い気がする。


「こんなに傍にいないのが落ち着かなかったり、気持ちが見えなかったりするのがたまらなく不安なのは初めてだ」


 だからもっと知りたい、触れたいと思う。些細なことでもどんな小さなものでも、藤堂に関することならなんでも見たいし知りたい。


「もっとたくさん話がしたい。お前のことを知りたいよ」


 二人きりで長く一緒にいたのも、藤堂を近くに感じられたのも、初めて二人で出かけたあの日だけだ。あの時はあまりにもショックで、一緒に出かけなければよかったなんてそう思ってしまったけれど、やはりあの時が一番藤堂に近づいた気がする。


「もう一度」


「どこか二人で行きませんか」


「えっ」


 突然聞こえたその声に身体が跳ねた。そして身体を伏せたままの藤堂を覗き込めば、バチリと目が合い、さらに肩が跳ね上がる。


「起きてたのか!」


 目を細めて笑う藤堂から慌てて離れると、彼はゆるりと身体を持ち上げた。

 いつから起きていたのか知らないが、間違いなく恥ずかし過ぎる独り言は聞かれていただろう。茹で上げられたように顔が熱くて、火が出そうだ。


「せっかく佐樹さんが触ってくれてるのに、もったいなくて起きられません」


 なに食わぬ顔でそんなことを口にする藤堂は、うろたえて視線をさまよわせる僕の頬を指先で撫でる。


「真っ赤で可愛い」


「うるさい! 変なこと言う……」


「どうしました?」


 ふいに言葉を途切れさせ、目を見開く僕に藤堂は不思議そうに首を傾げた。


「いや、悪い……眼鏡」


「ああ」


 僕の言葉にやっと合点がいったのか、藤堂は机の上に手を伸ばしてなにかを掴む。カチャリと音を立てたそれは、普段藤堂がかけている銀フレームの眼鏡だ。


「伊達じゃないよな?」


「まあ、それなりに度は入ってますよ」


 手にした眼鏡を藤堂は僕の目の前にかざして見せる。ほんの少しレンズの先が歪んで見え、わずかながらに度が入っているのがわかった。


「どうしたの佐樹さん」


 僕をじっと見つめ、急にふっと笑みを浮かべた藤堂。その表情にぼんやりしていた僕は我に返った。


「あ、いや、その」


 自分でもわかるくらいに顔が紅潮する。たかだかレンズ一枚、隔てるものがなくなっただけで、その目に映るものがはっきりと見えて、恥ずかしくなってきた。

 綺麗な黒目に映る自分の姿は羞恥以外のなにものでもない。


「コンタクトにしたりしないのか」


 その場を誤魔化すように眼鏡を指差すと、藤堂は少し眉をよせて息を吐く。


「ああ、ケアが面倒だし。余計な出費ですから」


「ふぅん」


 その理由があまりにも現実的で、藤堂の堅実な部分がよくわかる。いるものはいる。いらないものはいらない。結構好き嫌いなんかもはっきりしていそうだ。


「佐樹さんがないほうがいいって言うなら考えますけど」


「いや、いい。眼鏡でいい!」


 藤堂の言葉に僕は大きく顔を左右に振った。

 普段からなに気なく笑いかけられるだけでも、顔が緩んだり鼓動が早くなったりするのに、素顔でいられるとなおさら心臓に悪い気がする。だから藤堂はレンズ一枚隔てているくらいがちょうどいい。それに誰かに素顔を見せるのがちょっともったいない。


「佐樹さんって、もしかして俺の顔が好き?」


「は?」


「嫌い?」


 まるで僕の心を読んだかのような問いかけに、僕は明らかに怪しい動揺をあらわにしてしまった。いまはっきりと認識してしまったが、僕は多分、いや絶対に藤堂の顔が好みなんだと思う。


「き、嫌いじゃない」


「そうですか。よかった」


 好きだとは言えずに曖昧な答え方をしてしまったが、僕の答えに満足したのか、嬉しそうに笑って藤堂はいつもの藤堂に戻る。


「それより佐樹さん。どこに行きたいですか?」


「えっ、ちょ、藤堂」


 首を傾げた藤堂を見下ろし、僕は慌てて身を引く。けれどそれを遮るように、腰へ回された腕が僕の身体を引き寄せた。


「しっ、あんまり大きい声を出すと廊下に響きますから、ね」


「誰か来たらどうするんだよ。学校ではスキンシップ禁止」


 ぎゅっと腕に力を込められ、それを咎めるように軽く叩けば、藤堂は少し不服そうに目を細める。


「学校でしかほとんど会えないのに、触れられないのって結構拷問です」


「うっ、でもな」


 それを言われてしまうとかなり弱い。僕も本当はもう少し傍にいたいと思うし、触れていられたらいいなとも思う。


「わかってます。佐樹さんを困らせたいわけじゃないですから」


 うろたえた僕を見て困ったように笑う藤堂。逆に彼を困らせているのは自分だ。体裁など気にせず傍にいられればいいのだろうけど、そう簡単に行かないのが現実だ。


「来週から連休に入るので、どこか行きましょう二人で」


「あ、うん。そうだな」


 離れた藤堂の手は抱きしめる代わりに僕の両手を握った。


「佐樹さんはどこに行きたい?」


「お前の行きたいところでいい。連休中もバイトあるんだろ? 数少ない休みなんだし」


「俺の、ですか?」


「ああ」


「そうですね、じゃあ」


 しばらく考える素振りを見せていた藤堂は、なにかを思いついたのか、ふいに顔を上げて笑みを浮かべる。

 そして彼の言葉に僕は目を丸くした。



想い / end

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