第24話 すれ違い09

 ジタバタともがく僕の身体を押さえながら、楽しそうに笑う峰岸はさながら肉食獣だ。だが、こんなところで弱肉強食を実感している場合ではない。どうにかしてこの状況から逃げ出さないといけないと、僕の中で警戒のサイレンのようなものが鳴り響いている。


「峰岸、どけ」


「嫌だ」


「嫌なのはこっちだ!」


 そんな甘ったるい表情で見下ろされても、全然嬉しくない。

 必死で腕を突っ張って離れようとするが、峰岸の身体つきがしっかりしているせいかまったくびくともしない。いや、自分が非力なだけなのかもしれないが、あまりの体格差に血の気が引いた。


「センセ、あんまり抵抗すると加虐心を煽るよ」


「無抵抗でいいようにされてたまるか」


 こっちにだって少なくとも男のプライドがある。こんなとこでいいように、もてあそばれてたまるか。


「はは、センセ可愛い」


「可愛くない!」


 あまりにも無邪気に笑う峰岸の顔を見ると思わず脱力してしまいそうだ。しかしここで力が抜けたら色んなことを後悔しそうで気が抜けない。

 峰岸が見せたこの無邪気さは幼い子供が持つそれと一緒で、時に残酷だ。


「なんでお前にこんな嫌がらせを受けなきゃいけないんだ。顧問はやる。だから、どけ」


「もちろんやってもらう、けどちょっとくらいはいいだろ」


「なんだその理屈はっ」


 駄目だ、まともに会話しようとすると自分のペースが乱される。そして峰岸のペースに巻き込まれると、上手くかわされて話にならない。焦りと共に吹き出す冷や汗が背筋を通って気持ち悪い。


「センセは藤堂とはどこまでした?」


「は?」


「あ、もしかしてまだ?」


 至極真面目な顔した峰岸に驚けば、ふっとからかいの色を含んだ目で笑われた。いまなぜこの状況で藤堂の名前が出てくるのかがわからない。もう頭の中は混乱で極限状態なのに、そんな意味のわからない話をされると余計に頭が真っ白になりそうになる。


「頼む、わけのわからない話はしないでくれ」


 ふぅんと意味あり気に呟く峰岸の様子に、どうしようもなく不安になる。そして目の前で思案しているその姿はやけに嬉々とした雰囲気を持ち始め、早く逃げ出したい。


「センセ、キスしようか」


「やだ」


 近づけられた峰岸の顔から逃れようと顔をそらす。けれどいつの間にか抱きかかえられた身体は、机上に背中を押し付けられている状態だ。のしかかるように体重をかけられると、椅子や机がぎしりと悲鳴を上げ、無意識に肩がびくりと跳ね上がる。


「こんなに可愛いって知ってたらもっと早く喰ってたのに」


 意味がわからない、全然わからない。なんでそういう結論が導き出されるのか。


「や、やめろ。やだって」


 髪を撫でられその指が顔の輪郭をたどれば、どうしようもないほど身体が冷えていく。


「触るな」


「藤堂じゃないとやだ?」


「だからなんでそこで藤堂が出てくるんだ」


「なんでだろうな」


 そう言って口元を緩める峰岸が本気でないことはわかっている。本気を出されたら間違いなく騒ぐ隙もない。けれどふざけているだけだとわかっていても、膨れ上がる嫌悪感で気が遠くなりそうだ。


「もっと面白味がない奴かと思ってたのに、予想外で惚れそう」


「は? なに言って」


 あ然とした顔で峰岸の顔を見返すと、目を細められにやりと笑われた。企みを含んだようなその視線が正直言って怖いとさえ感じる。


「そうだセンセ、さっきのもう一回言ってみて」


「な、なにをだ?」


 峰岸の言っていることがわからず眉を寄せれば、急にふっと唇が歪み、笑いを堪えるように結ばれる。そしてそれをゆっくりと峰岸は僕の耳元へ寄せた。


「やだ、ってもう一回言って」


 耳に息を吹きかけるように囁かれると、途端に恥ずかしさが増し自分でもわかるほど顔が紅潮する。


「さっきの声、ちょっとエロ可愛かった」


「誰が言うか!」


 ありえない、ありえない、ありえなさ過ぎる。この男の頭の中身はどうなっているんだ。って言うか無駄にエロい色気をなんとかしてくれ。こんなのは絶対高校生じゃない。なにかおかしい、絶対おかしい。


「お前、女子にもいつもこんな真似してるんじゃないだろうな」


 あまりにも手慣れた行動と落ち着いた余裕のある態度。まさかと思い峰岸の顔を見れば、意外にも驚きの表情を浮かべていた。


「そんなにしょっちゅう手を出すわけないだろ。女は下手に手をつけるとすぐ本気になる。まあ女に限ったことじゃないけどな」


「……まさか」


 普段は女子をはべらせている姿ばかりが目にとまったが、なんとなくこの無節操さは感じていた。


「ああ、俺は両方イケるけど?」


 なに食わぬ顔で答える峰岸に、一瞬だけ目の前が暗くなる。


「お前、最悪だ」


「いやいや、最高の間違いだろ?」


 血の気が引いて真っ青になっているであろう僕の顔を見下ろしながら、峰岸は唇を舌でなぞり目を細める。その視線に身体中が冷えて、すくみ上がってしまう。


「どいてくれ」


「センセ、もしかして怖いとか? 声が震えてるぜ」


「うるさい、こんな状態で冷静でいられるほど、図太くない」


 そもそも普通に生活をしていて、こんな状況に陥ることなんてあるわけがない。なにが悲しくて峰岸に押し倒され、キスを迫られなければならないのか。大体キスを迫られるだけでも戦々恐々なのに、背を抱きしめる手が力強過ぎて、逃げ出せないいまの状況が、もう耐えきれない。


「まあな、変に乗り気になられても興ざめだしな。これはこれで楽しい、けど」


「やめろ」


 ふいに目元を生温く濡れた感触が過ぎる。一瞬目を閉じてしまい、それがなんなのかわからなかったが、再び同じように伝い落ちて肩が震えた。


「泣かせるつもりはなかったんだけどな。センセ、泣くなよ」


「泣いてない」


 嘘つけと小さく呟かれ目尻に浮かんだものを舐めとられる。羞恥より身体が震えて仕方ない。


「お前無駄に迫力あり過ぎるんだよ、畜生」


「悪かったよ」


 腕で顔を覆い横を向けば、微かに息をつかれて身体の上にあった重みが離れていく。ふいに身体の力が抜ける。


「峰岸、お前なにやってんだよ!」


「……っ」


 突然室内に響いた戸が開く音と大きな声に身体が跳ねた。慌てて身体を持ち上げて見れば、戸口に立つ三島の姿があった。


「王子様じゃなくてお前が来たんだ。まあ、この時間じゃもういないか」


 さして驚いた様子もなくそう言って峰岸が肩をすくめると、足早に彼に近寄った三島が目の前で立ち止まった。そして振り上げた三島の手が躊躇いなく峰岸の頬を打った。

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