第15話 接近09

 もしかして僕が藤堂に気を許していることがつり橋効果だって言われたのに、藤堂の気持ちもそうだったらって思ってるってことか?


「それじゃあ、まるで僕が藤堂を好きみたいだろ」


「好きみたいじゃなくて、好きなんだろ!」


 目を瞬かせ、まさかと呟けば、呆れ返った明良の怒声が店中に響き渡る。その声に店内の視線がこの場に集中するが、店員たちは一瞥するだけで業務に戻っていく。それに習い客たちも興味が失せたように自分たちの会話に戻っていった。


「ああ、もう。そんなにわかんねぇならしばらく距離置けよ。しばらく顔あわせなけりゃ、どんだけ相手のことが気になってるかわかるだろ」


「なあ、ほんとに僕が藤堂のこと好きだと思うか?」


「俺に聞くな!」


 僕の問いに顔を真っ赤にして怒鳴る明良は、ふいと背中を向けてビールを煽っている。そんな背中を見ながら僕はいまだ納得がいかないように首を傾げていた。

 好きって、どういう感情だったっけ? 随分と昔にそんな気持ちは置き忘れてきてしまった気がする。この内側にあるもやもやとした気持ちがなんなのか、いまの僕にはさっぱりわからなくて、逆に不安が募った。

 人を好きになるってどんな時? そんな簡単な答えさえ見つからない。




 あれから日付が変わる頃まで明良に付き合わされて、朝になり目が覚めて見ればどうしようもないほどの胸のムカつきを覚えた。それは悩める心の内から来るものではなく。

 明らかに――二日酔い。昨晩いつの間にかアルコール入りにすり替えられていたグラスのおかげで、僕は清々しさとは縁遠い朝を迎えていた。


「明良のやつ、今度は絶対に奢らせてやる」


 二日酔いの頭痛に悩まされて出勤すれば、朝一番に明良からのメールを受信した。


「悪い、覚えてない」


 大ジョッキを二十杯も飲んで酔わないやつはもはや人間ではない。一応、人並みだったのかと思いもしたが、明良は次の日にまったく残らない人並み外れたアルコール分解能力の持ち主だ。しかも飲んでいるあいだはほとんど酔っ払った様子を見せないので、会計時にどれだけ飲んだのか改めて知らされて驚かされることがよくある。

 こちらは下戸だから割り勘という言葉は明良と食事に行く際には存在しない。食べ物もそんなに食べない、酒も飲まないため、大体は三分の一を僕が支払う。それでも多いような気分になる時がある。


「まったくなにが悪いだ。バーカ」


 恨み辛みを思いつくだけメールに打ち込み送信する。

 送信完了の文字を目に留めて携帯電話を閉じると、ふいに外のざわめきが届いた。それにつられて窓の向こうを眺めて見れば、生徒の群れの中に見慣れた顔を見つけた。けれどいつもとは違うその光景に一瞬戸惑い、僕は首を傾げる。


「……ん? いない」


 準備室の窓からはちょうど校門がよく見え、机に向かっているとそこから登校してくる生徒たちの姿が目に入る。普段の今頃は片平と三島、そして藤堂が並んで歩いてくるのだ。けれど今日はそこに藤堂の姿がない。


「休み、とか?」


 見えない姿に思わず眉間にしわが寄る。


「メールでもしときゃよかったかな」


 昨日のことを思い出し胸がざわりとした。

 泣きそうに顔を歪め、それを伏せたきり藤堂は帰るまでこちらを振り向かなかった。結局、お互い居心地悪い雰囲気のままで、あのあとすぐに別れてしまい今日の朝になっても藤堂と連絡は取っていない。


「そういや、こっちから連絡したことないな」


 藤堂に告白されたあの日、連絡先を交換してからいつも鳴るのは僕の携帯電話で、毎日欠かさずメールが届く。かといってなにか用があるわけでもなく、ただ「おはよう」とか「お疲れ様」とか、「おやすみ」とか――そんな他愛もない一文だけ。

 だから特に重く感じることもなく、こちらも短く返事するだけ。


「それにしても、考えてみればそんなに経ってないんだな」


 ふとアドレス帳の名前を見下ろし僕は思わず首を傾げた。

 藤堂に告白されたのは新学期の始まりで、それからまだ二週間も経っていない。それなのにもっと長く一緒にいるような気持ちになる。


「一緒にいて疲れないんだよな」


 いつも気を遣う前に気を回されているのだから、本当に適わない。それになんとなく隣にいるだけで安心する。


「顔を見ないのは」


 ――落ち着かない、そう呟きそうになって思わず顔が火照った。


「そこまで重症か」


 少し距離を置いてみればいい、そう言われたばかりなのに。すでに物足りなさを感じているのはどういうことなのだろう。短絡的な自分の脳みそに呆れてしまった。

 忘れていた頭の痛みがぶり返す。


「今日はもう帰りたい」


 痛む頭を押さえれば自然とため息が漏れた。


「とりあえず、あとで片平か三島にでも聞いてみるか」


 悩みに悩んだ末、携帯電話を握り締めたまま肩を落とし、僕は準備室をあとにした。


「おはようございまーす」


「おはよう」


 旧校舎の二階にある準備室から、本校舎一階の職員室へ向かうためには、それを繋ぐ渡り廊下を通らなくてはならない。その渡り廊下の端は本校舎の中二階の踊り場へ繋がる。そして大概ここを歩いていると、慌ただしく駆け込んでくる生徒たちが通り過ぎながら挨拶をしてくる。

 にわかに生徒が慌てふためいているということは、そろそろ予鈴が鳴る頃か。壁かけの時計に少しだけ視線を向けて歩けば、慌ただしい生徒たちの群れの中でふと視線が止まる。


「ん、藤堂?」


 てっきり今日は休みかと思っていた藤堂が下駄箱の傍にいた。どうやらいま着いたばかりのようで、ちょうど靴を履き替えているところだった。

 朝が弱いとは言っていたがこんなギリギリに来るのは珍しい。少し顔色もよくないその横顔に思わず顔をしかめてしまう。


「具合、悪いのか?」


 立ち止まりじっとその姿を見つめていると、視線に気がついたのか藤堂は顔を上げた。しかし一瞬こちらを見たと思った藤堂の目は、すぐにそらされ再び下を向いてしまう。


「いま、目が合ったよな? 気のせいか?」


 教室へ向かい歩き出した藤堂の後ろ姿を見ながら思わず僕は首を捻る。その背中が見えなくなるまで、しばらくその場に立ち尽くしていると、少し先の職員室から大声で名前を呼ばれた。


「ヤバイ、職員会議に遅れる」


 鳴り始めた予鈴の音に、僕は慌てて小走りに職員室へ駆け込んだ。



 そしてこのあと僕は過ぎ去る藤堂の後ろ姿を呼び止めなかった、自分の行動を後悔する。



接近 / end

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