第五十四節:魔王との戦い(2)

 

 燃える。炎が燃える。

 発火した油は魔法由来のものであり、燃える炎も自然のものではない。

 久方ぶりに感じる熱。死体も同然の肉体に痛みはない。

 けれど魂に刻まれた痛みは覚えている。

 かつて炎の中に崩れ落ちた日の事を。

 魔剣は手から離れ、全身は燃え盛る炎に包まれている。

 ならば結末もあの時と同じであるのか。

 ――否。同じ轍は二度踏まん。

 それでは余りにも無様に過ぎるだろう。

 炎によって視界は遮られているが、カリュブディスは構わず呪文を発動させる。

 

 『破滅の嵐よ!』

 

 掲げた錫杖の髑髏が不気味な音を立て、同時に周囲の空間が大きく歪む。

 《破滅の嵐ルインストーム》。

 死のエネルギーを文字通り嵐の如く解き放ち、一定の範囲に存在する物質を破壊する大魔術。

 魔王を中心に真っ黒い風が玉座の間を吹き荒れる。

 

 「っ……!?」

 

 蹴り飛ばした魔剣を拾いに走っていたビッケも、負傷で動けぬクウェルも。

 そのどちらもが、その破壊的な魔法を受けて吹き飛ばされる。

 死の嵐が荒れ狂ったのは、ほんの一瞬の事。

 それだけだったが、カリュブディスの周囲には無惨な破壊だけが残された。

 身体を包んでいた炎も、呪文の余波によって吹き散らされている。

 焼けた黒衣を自らの手で解き、魔王は朽ちた屍の身を晒す。

 

 『まったく、小人という種は油断も隙もないな』

 

 笑う。それから軽く手をかざして、口の中で小さく呪文を唱える。

 転送の魔術。離れた床に転がっていた魔剣《死人の支配者》が、再び魔王の手に戻る。

 あの時も、油断や慢心が無ければこうなっていたのか。

 分からない。過ぎ去った過去をやり直す事は出来ず、故に答えは永遠に出ないだろう。

 如何に不滅の魔王とて、目の前の現実に向き合うしかない。

 

 「ちっくしょ……!」

 

 ズタズタに引き裂かれ、半ば瓦礫と化した床の上。

 同じく先ほどの魔術で全身をボロボロにされたビッケが転がっている。

 幸いと言うべきか、クウェルは距離もあった為に先ほどの呪文によるダメージは大きくない。

 それでも元々重傷だった為、息はあるがビッケ同様に床に転がったまま動けない状態だ。

 動けない。それなりに粘ったつもりだが、それでもこれが限界か。

 軽い足音が、間近まで迫ってくる。

 見たくもないが、ビッケは掠れた視界でその相手を見上げた。

 

 『望まぬだろうが、賞賛を送ろう』

 

 夢に出てきそうな焼け焦げた骸骨。

 虚ろな眼窩に宿った赤い光が、倒れたビッケを見下ろしている。

 

 『忍びの身であろうに、よく戦った。久方ぶりに楽しめたぞ』

 「それは……ドーモ」

 『だが、これまでか。かつて我を討ち取った者の裔が、これで終わりか?』

 「……何を期待してたか、知らんけどさ」

 

 此処から奇跡の一つでも起こしてみろと、そう言わんばかりのカリュブディスの口ぶりに。

 ビッケはややウンザリしつつも、言葉を一つ一つ口にしていく。

 

 「オレは、アンタを倒した御先祖様と、直系なわけじゃないっつーの。

  第一、昔の人と今のオレを、同一人物みたく思われるとか迷惑極まりないってば」

 『ふむ』

 

 カリュブディスは少し首を傾げた。

 それからやや不可解そうに。

 

 『ならば何故、お前は我に挑んだ。《死の大渦》たる我の目覚めを知り、此処まで来たのだろう。

  それはかつての、お前の祖たる英雄が挑んだ難行にお前自身が挑む事。ならば――』

 「たまたまだって。たまたま」

 

 かつての英雄の行いを、自分がなぞっているなんて気は微塵もない。

 ビッケ自身は、カリュブディスが何を思っているかなど知る由もないが。

 ただ偽る事無く、自分の本心を言葉にするだけ。

 

 「たまたまそういう時期にこの辺来て、たまたま巻き込まれて。

  後はその場の流れと、「何かお宝あるんじゃない?」って期待だけだよ。あるのなんて」

 『……それだけの為に、このカリュブディスに挑んだと?』

 「危険に挑むからこその、『冒険者』じゃん? そんなのはいつもの事だし、慣れっこだね。

  其処にお宝ってリターンがあれば、最高だ。あ、期待しても良い?」

 

 それだけ。魔王に挑んだのなんて、それだけの事だと。

 かつてのカリュブディスであれば、そんな俗な理由は浅ましいと切って捨てただろう。

 けれど今は少し違う。不思議とビッケの言葉を、不快には感じなかった。

 運命だと思っていた。数百年の時を経て目覚め、その時にかつての面影を見つけた事。

 愚かな神々の意思か、見果てぬ天の定めた事か。

 どちらにせよ、カリュブディスにとってこの邂逅は運命に他ならないと、そう考えていた。

 だが相手にとって、これはそんな御大層なものではないらしい。

 御伽噺の魔王に挑む事さえも、冒険者彼らにとってはいつもの事だと。

 

 『……ハッハッハ!』

 

 カリュブディスは笑う。心底愉快そうに。

 そうだ、そんなものに過ぎないのだ。

 運命だの何だのと、そんな風に御大層に考えていたのはカリュブディス自身だけだった。

 恐らくこの小人にとって、魔王の存在など通りすがりの嵐に等しいだろう。

 お宝があるかもしれないと、それに敢えて飛び向こう行為は愚か者だと嘲ってやるべきか。

 何にせよ、奇妙な納得を得たカリュブディスは、笑いながら剣を掲げる。

 

 『なかなかに愉快な一時であった。返礼は必要か?』

 「遠慮しときます。むしろ、礼はこっちが言いたいかなぁ」

 

 ニヤリと、わざとらしい笑みをビッケは浮かべた。

 その笑みが意味するところは分かっている。

 ビッケとカリュブディス。両者は合意の上で、その茶番を演じていた。

 

 「時間稼ぎの無駄話、付き合ってくれてドーモ!」

 『なに、思いの外楽しめたのでな』

 

 そう言って笑うカリュブディス。

 直後、その視界を真っ白い閃光が焼いた。

 神威を宿した聖なる光。

 その程度はカリュブディスの存在を害する程ではないが、一瞬の隙は生じさせる。

 それをこじ開けるのは、勇ましき戦の声。

 

 「イアッ!!」

 

 雄叫びと共に、大金棒を構えたガルが魔王へと躍りかかった。

 振り下ろされる鉄槌を、カリュブディスは剣と杖を交差させて受け止める。

 激突の衝撃に骨の身体が軋みを上げるが、決して力負けはしていない。

 

 「貴様が魔王か」

 『如何にも。我がカリュブディスである』

 

 拮抗する二人は、示し合わせたように同時に一歩退く。

 気が付けば、カリュブディスの足元に転がっていたビッケの姿がない。

 

 「ちょっと、大丈夫……!?」

 「正直あんま大丈夫じゃないです……!」

 

 見れば、かなり距離を離した場所でクウェルと共にクロエに助け出されていた。

 ガルがカリュブディスを殴りつけたその時に、疾風となったクロエが二人を回収したのだ。

 ボロボロなビッケとクウェルに、ルージュも傍に駆け寄る。

 

 「よしよし、よく生きてたねぇ。死んでないなら何とかしてあげるよ」

 「……悪いけど、こっちはお願い」

 「あぁ、直ぐに済ませるからそっちも気張りなよ」

 

 怪我人をルージュに任せ、クロエは魔剣を片手に向き直った。

 相対する両者。大金棒を構えるガルに、カリュブディスは悠然と佇んでいる。

 まるで相手の戦う姿勢が整うのを待つように。

 

 「余裕のつもりか、魔王」

 『そんなつもりはなかったが、気に障ったのなら謝罪しよう』

 

 笑う。クロエがガルの傍らに立つのを確認してから、改めてカリュブディスは己の魔剣を構えた。

 ボロボロに朽ち果てて尚、恐るべき魔力が脈動する刃。

 同じ魔剣持ちであるクロエは、全身の血が凍てつくような錯覚を覚えた。

 此処に辿り着くまでに戦った、四騎の騎士達。

 彼らの持つ魔剣も強力だったが、それでも朽ちかけた魔王の剣には到底届かない。

 大いなる「剣」から分かれた魔剣の中で、七つしか存在しない頂点の一角。

 それが魔王カリュブディスの有する魔剣、《死人の支配者》だった。

 

 『――さて、此処まで辿り着いた勇者……いや、冒険者どもよ。

  何か魔王に語りたい言葉は持ち合わせているか?』

 

 カリュブディスはいっそ穏やかな調子で、ガルやクロエ達に言葉を向ける。

 其処には分かりやすい敵意や、憎悪といった感情はない。

 むしろカリュブディス自身が口にしている通り、激戦を向けて到達した者達への敬意すら感じられる。

 しかし、そんな単純な理屈を抜きにして、脳髄から発せられる本能的嫌悪。

 或いは魂そのものが、カリュブディスを「敵」として認識しているのか。

 

 「重ねる言葉など、俺達と貴様の間で必要か?」

 

 言葉が口から出てこないクロエに代わり、ガルは淡々と魔王の戯言に答えを返す。

 それすら愉快だとでもいうように、カリュブディスは肉の無い喉で笑いながら。

 

 『確かに。ならば語らう方法は、一つしかあるまいな』

 

 カツンと。軽く魔王の杖が石の床を叩く。

 そして。

 

 『

 

 聞く者の命を奪い去る、呪いの言葉。

 凄まじい重圧が、それを直に聞いたガルとクロエの二人に襲い掛かった。

 

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