第三十四節:星の砂の導き

 

 アディリオンの街は、クロエ達が想像していたような最悪の事態には陥っていなかった。

 しかし「最悪」ではないだけで、状況は概ね想像通りであったが。

 

 「こりゃ何処の神殿もパンクしてんだろうねぇ」

 

 不快げに顔を顰めながらルージュは呟く。

 街に入った冒険者一行が目にしたのは、そこかしこに溢れる無数の病人の姿だった。

 道行く人間はひっきり無しに咳き込み、突然意識を失って倒れる者もいた。

 街の各所にある神殿は、奇跡治療を求める人間が絶えず運び込まれ、今もごった返している。

 舟レースの余韻で賑わっていた水の都は、今は病に冒された人間のか細い吐息に満ち溢れていた。

 

 「此方としても、事態を把握し切れていなくて……皆さんが無事に戻って良かったです」

 

 そう言葉をかけて来たのは、クロエの冒険者登録を進めてくれた『角』の受付嬢。

 四人は最初の調査報告を組合に持ち込むと共に、今後どうするかについての方針を思案をしていた。

 この宿を出る前にはいなかったもう一人――クウェルも、難しい顔をして。

 

 「この状態、間違いなく《疫病の風》によるものだろう。

  影響を与えている範囲が広い為、今はまだ個人個人の被害は小さいが……」

 「具体的に、どんだけヤバい事になんのコレ」

 「病を引き起こす風は、抵抗力の弱い者から効果を発揮するはず。

  そして吸い込めば吸い込んだだけ、症状は悪化を続けていくだろう」

 

 返ってきた答えに、ビッケはうげっと嫌そうに呻いた。

 

 「このままだと、最悪大量の死人も出かねないわけね……止めるには、やっぱり魔剣本体をどうにかするしか?」

 「ない、だろうな。奇跡治療は有効だが、風が止まない限りこの状況は変わらない」

 「ならば、いつも通り殴れば良いだけだな」

 

 変わらぬ結論に、ガルは力強く頷く。

 が、それを横で聞いていた受付嬢は困った表情で。

 

 「此方も、恐らく何かしら原因があるだろうと、所属の冒険者でまだ動ける方に調査を依頼しましたが……」

 「大本は見つかってないとか、そんな状態かい?」

 「残念ながら。他の組合、『爪』や『心臓』とも連携を取って動いてますけど、なかなか……」

 「その《疫病の風》って魔剣、そんな広範囲に力を使えるんかね」

 

 アディリアン自体、西部地方では有数の大都市である。

 それ全体を丸々包み込む程の範囲に影響を与えつつ、しかも冒険者組合が複数連携しても簡単には発見出来ない。

 一体何処で、どれ程の距離まで病の風を吹かせているのか。

 

 「魔術師の方が、占術で調べたりもしてるんですけど、どうも妨害を受けているそうで」

 「相手も知恵がある、というわけか。面倒な話だ」

 

 ガルは言いながら、顎下をゴリっと爪で掻く。

 占術――文字通りの「占い」であり、未来や過去、或いは失せ物など「本来は知り得ない」事柄を知る術式だ。

 優れた占術の使い手ならば、遥か彼方の事象や遠い未来までも見通すという。

 しかしそれが魔術の一種である以上、同じく魔術を使える者なら邪魔する事も出来る。

 敵はこの地の何処かに身を潜め、更に占術による調査も阻んでいる。

 そうなれば、後はもう人を多く使って虱潰しに探し続ける他ないが……。

 

 「悠長過ぎるねぇ、あたしらも何時まで影響を受けずにいられるかわからないし」

 「……頑丈なガルや、その、私は『帳』を纏っていれば、外からの悪影響は大体弾けるけど」

 「オレとか姐さんはヤバいよなー。いや姐さんが奇跡治療出来るし、大丈夫っちゃ大丈夫なんか?」

 「病を受けては治療して、では面倒極まりないな」

 

 果たしてこの状況、どうする事が正しいか。

 四体いるだろう騎士の内、既に一体は討ち取った。

 直接見える事が出来るなら、力で勝利する事は可能だろう

 けれどその肝心な、「敵を見つけ出す手段」が見当たらない。

 それは既に人を動かしている組合に任せるべきかと、そう考えていると。

 

 「……その、良いか?」

 

 考え込んでも唸るばかりの中で、遠慮がちに声を出したのはクウェルだった。

 彼女自身、やや自身のない様子ではあったが。

 

 「私も占術を使う事が出来る。それを使えば……」

 「占術での調べ物は妨害されてるんじゃなかったかい?」

 「勿論、それは分かっている。ただ、占術の精度や強度は、『知りたい事』が曖昧であるほど弱まる。

  逆に、術者にとって知りたい事が曖昧でなければ、使う術の強度も高くなる」

 「それってどういう――あっ」

 

 言っている意味を問おうとしたところで、クロエも気付いた。

 クウェルは言葉を続ける。

 

 「この状況、引き起こしているのは間違いなく魔剣《疫病の風》だ。

  私はそれがどういう見た目をして、どういう力を持った物なのかを、この場で一番よく知っている」

 「成る程ねぇ。そんだけハッキリ分かってりゃ、妨害を抜いて居場所を探れるかもしれないと?」

 「あくまで、『可能性はある』程度の話だが……」

 「それでもやってみる価値はあるだろう」

 

 頼めるか?とガルに問われて、クウェルは小さく頷いた。

 それから腰に下げていた大きめなポーチを、細い指で漁る。

 取り出したのは、手のひらに乗る程度の小さな布袋。

 封をしていた紐を解くと、その中身をテーブルの上に広げた。

 

 「これは……砂?」

 「あぁ、占術用の触媒だ。清めた浜辺の砂に、粒の大きさが揃うよう砕いた宝石を混ぜたものだ」

 

 クロエの疑問に応じつつ、クウェルはキラキラと光る砂粒を指で伸ばしていく。

 

 「これ絶対に結構なお値段する奴だよねー」

 「そうだねぇ、一部の術はこの手の触媒は付き物さ。

  あたしも宝の分け前で、金貨より宝石優先で貰ってるだろ?」

 「確かに、『宝石が必要な奇跡がある』と言っていた事があったな」

 

 冒険者三人が雑談を交わす横で、クウェルは黙々と術式の準備を進める。

 触媒の砂がある程度テーブルの上を均一に広がった事を確認したら、一息。

 

 「……星の砂よ、夜影の煌きよ。病の風を映し出せ、その源を照らし出せ」

 

 歌うように呪文を唱える。

 クウェルの魔力が広がった砂の隅々にまで浸透し、やがてザワリと波打つ。

 砂が動く。先ずそれらが描き出したのは、アディリアンの街だった。

 遥か空の彼方から覗き込んだような俯瞰図。

 続き、都市周辺の地形も砂は象っていく。

 

 「さて、どうかねぇ……?」

 「…………」

 

 砂の描いた地図を覗き込むルージュ。

 まだ其処には望む反応は見当たらない。

 クウェルは更に意識を集中させた。

 占術の力を妨害する波動は、確かに感じられる。

 逆に言えば、探られる事を嫌がる敵がこの範囲の何処かにいるのだ。

 

 「照らし出せ、星よ」

 

 更に呪文を口にして、術式の力を強める。

 見つけ出す物はハッキリしている。

 多少夜霧に紛れさせようが、星の光は誤魔化せない。

 ある。あるはずだ。

 クウェルは強く意識を集中させて――。

 

 「……んっ?」

 

 最初にそれに気付いたのはビッケだった。

 砂の図が描き出す一点。

 宝石の粒がいつの間にか寄り集まって、淡い光を放っている。

 

 「もしかして、コレ?」

 「あぁ、間違いない。何とか見つけ出したが……」

 

 一度砂の図に視線を向けて、クウェルは己の成果を確かめる。

 しかしそれを誇るでもなく険しい表情を見せる。

 確かに占術の結果は、望んだ物の在り処を指し示した。

 問題はその位置だった。

 

 「この位置って……」

 「恐らく、海だな」

 

 クロエに頷きながら、ガルはその事実を口にした。

 そう、クウェルの占術が示した反応。

 それはアディリアンの街から更に西へと離れた海の上にあった。

 しかもそれはゆっくりながら、砂が描いた海を移動しているように見える。

 

 「何これ、次の奴は海の上でも歩いてんの?」

 「或いは船か。流石に空を飛ばれてたらお手上げかねぇ……」

 「……どちらにしろ、これは辿り着くだけでも面倒ね」

 

 砂の俯瞰図を信じるならば、実際の距離もそれなりに離れている。

 向かうつもりなら、当然船が必要になるだろう。

 

 「ふむ……俺一人ならば、最悪泳いでも良かったんだが」

 「流石に死んじゃうからダメよ。ダメ。いいわね?」

 

 本気か冗談か、判断が付かないのもガルの常だが。

 其処にクロエはツッコミ混じりに念入りに釘を打ち込んだ。

 幾ら何でも泳いで沖まで出るのは無謀に過ぎるし、敵は魔剣を持った死の騎士だ。

 ガルならば船に辿り着くぐらいはやり遂げるかもしれないが、その先まではどうなるか。

 何にせよ、たった一人で挑むのは流石に愚かに過ぎる話だ。

 

 「すまない、まさか反応が海に出るなんて……」

 「別に、貴女が謝る事じゃないわ。むしろ此処までやる相手なんてね……」

 

 申し訳なさそうに言うクウェルに、クロエは苦笑した。

 海上から病を発生させる風を街へと運び、戦わずして此方を一方的に弱らせる。

 まったく容赦のない戦術で、合理的な手段だ。

 姿も何も見えないまま、背後にいる者の狡猾さを強く感じさせられた。

 

 「……あの」

 

 再び、横から組合の受付嬢が口を開く。

 如何にすべきか思案していた一行の視線を受けながら。

 

 「確認を取る必要はありますが、船なら多分何とかなると思いますよ」

 「マジで? この状況で出せる船なんてあるの?」

 

 その言葉に、ビッケは当然の疑問を即座に返した。

 組合の宿に戻るまでに、仲間と共に街の様子をよく見て来た。

 症状の重い軽いはあるが、大半の人間が何かしらの病に冒されている状態だった。

 港も直接確認したわけではないが、とても船を出せる状況ではないだろう。

 しかし、それを聞かれるのは百も承知だったか。

 受付嬢は少し笑ってビッケの言葉に応じる。

 

 「それについては、問題ないです。組合所有の船があり、それはいつでも出航可能です」

 「組合は、船まで持っているの?」

 「『角』は大きいですから、この街の海上貿易にも関わりがあるんですよ?」

 

 新鮮味のあるリアクションを受けて、受付嬢は楽しげに答えた。

 それから一つ咳払いをすると、表情を可能な限り引き締めて。

 

 「話が前後してしまいましたが、正式に組合からの依頼という形で、事態の解決をお願いしたいのですが」

 「まだ、例の調査依頼は完了したとは言い難いが」

 「それとは別に、かつ平行して進めて下さるようお願いします」

 「正直なところ、これ以上関わるのはヤバいとは思うんだけどね。

  ――んで、報酬はどんな感じだい? タダ働きってわけにはいかないしねぇ」

 「それについては、後ほど応相談という形で宜しいですかね? 勿論、相場はちゃんと守りますから!」

 

 先ず相場というものをよく分かっていないクロエは、緩く首を傾げつつそのやり取りを見ていた。

 その横でビッケは軽く笑いながら。

 

 「こんなんでもオレ達、結構等級ランクあるからお高いんだよ?」

 「……そうなの?」

 「こういうあからさまにヤバい話に組合が直接お願いに来るぐらいにはね」

 

 実力はあれど、冒険初心者のクロエには余りピンと来なかった。

 それはそれとして受付嬢との話はルージュが何とか纏めたようで、景気付けに麦酒を一杯呷っている。

 

 「それじゃあアンタら、海に出てゴミ掃除の仕事だよ。これ以上街に臭い空気を垂れ流されないようにねぇ」

 「組合の船など、詳細もこれからご説明しますね」

 

 受付嬢の言葉に続き、クウェルは軽く手を上げる。

 

 「私も、同行して構わないだろうか。見ての通り、既に魔剣の位置は掴んだ。

  これと同じ術式を船上で使えば、追跡も容易のはずだ」

 「鬼ごっこやかくれんぼの必要がなくなる、というのはありがたいな」

 

 ガルは頷いて了承の意を示し、クロエもまた異論を挟まなかった。

 ビッケも同様であったが、ルージュだけは少し違っていて。

 

 「クウェル、あたしも別に付いてくるのは構わないけど、一つ気になる事があってねぇ」

 「それは、何だ? 私の実力に不安がある、と言うなら……」

 「いやいや、そっちじゃなくてね」

 

 如何にも真面目ぶったような口調であった、が。

 ルージュの目に悪童めいた輝きがある事を、そこそこ付き合うのあるビッケは見逃さなかった。

 

 「これ、砂」

 「……砂?」

 「あぁ、テーブルの砂。早いとこ片付けてくれないと、話をするのに邪魔だろ?」

 

 まるで御伽噺の悪戯猫のように、ルージュは意地悪そうに笑う。

 クウェルは「あっ」と声を漏らしながら、魔力も薄れてきた砂の山を見た。

 

 結局、砂粒が飛び散らないよう片付けるのには、少しばかりの時間を要したのだった。

 

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