第二章:蒼褪めた馬

第三十二節:小人の大鞄

 

 「……よし、こっちは終わったよ」

 「はーい、こっちもオッケー」

 

 夜。空に月はなく、淡い星の光だけがうっすらと輝いている。

 街道から少し離れた林の中で、冒険者達は野営の準備を進めていた。

 アディリアンの街までそう遠い距離ではないが、誰もがそれなりに消耗している。

 その状態で無理に進むより、安全を確保した上で一夜を明かした方が良いと判断した。

 ルージュは水袋に入った酒――ではなく、「聖別」した水を野営地の周辺に撒いていく。

 簡易の儀式を施しただけの物だが、低位の不死者なら嫌がって足を止める程度の効果はある。

 二度三度と、綻びが出来ないようにそれを重ねて振り撒いた。

 

 「ま、気休めではあるけどね」

 「そんでも無いよりかはマシでしょ。こっちも同じ」

 

 言いつつ、ビッケも作業を終えて一息吐く。

 彼が行っていたのは、主に襲撃を警戒しての罠の設置。

 後々の撤去が面倒なため普段は其処まで仕掛けないのだが、今は状況が状況だ。

 足を引っ掛ける草結びから、木々の間に張り巡らせた幾つもの鳴子。

 加えて一つ、中見のない古ぼけた鳥籠のようなものを地面に置く。

 

 「《夜鳴き鳥の籠ナイトバード・ケージ》、出来れば出したくないんだけどなぁ」

 「あー、めっちゃ五月蠅い奴だっけねぇ」

 「うん、予め『覚えさせた人間』以外が近付くとスゲー音出す奴。

  こういう場合に便利だけど、音量の調整が出来ないせいで不人気な魔道具」

 

 出来ればこれが騒ぎ出すような事態にはなって欲しくないと、ビッケは願わずにはいられなかった。

 何にせよ一通りの準備を終えたところで、二人は野営地の中心、焚き火の方へと戻る。

 其処にはクロエとガル、それともう一人。

 赤い騎士の従える死者の群れから助けた、古妖精の女が座っていた。

 

 「お疲れ様、二人とも。食事の方は、もう少しで用意出来るから」

 「いや悪いねぇ、そっちは任せっぱなしにしちまって」

 「そうは言っても、別に手の込んだ事をしているわけじゃないから……」

 

 火に掛けた鍋をかき回しながら、クロエは苦笑いを溢す。

 中で煮えつつあるのは肉の入ったスープだ。

 冒険者の宿で売られている保存食で、乾燥させた野菜や豆類を幾つかの香辛料で固めた物だ。

 塊から砕いた破片をそのまま食べる事も出来るが、落ち着いた状況ならお湯で戻すのが一番良い。

 これに更に干した肉を入れて火を通せば、それなりに上等な御馳走になる。

 鼻先をくすぐる匂いに尻尾をパタリと揺らしつつ、ガルは一つ頷き。

 

 「実際に助かっているからな。他はビッケ以外がやると、大体焦がしてしまう」

 「火加減とかねー、あたしゃそういう細かい作業は向いてないからね。ウン」

 「姐さん、姐さん。流石に女としてどうなのその台詞」

 

 本当に、傍から聞いていて苦笑いしか出てこない話である。

 この面子で野営をする場合、火や食事の用意はクロエかビッケの仕事となっていた。

 

 「……んで、ぼちぼち落ち着いたと思うし」

 

 咳払いを一つ。それからルージュは、改めて視線を仲間達以外の者へと向けた。

 様子を見るように沈黙していた、古妖精の女。

 黙って座っているだけでも、御伽噺の一節を切り取って絵にしたかのように美しい。

 そんな彼女は、自分に意識を向けられた事に応じて小さく頭を下げる。

 

 「改めて、窮地を救って貰った事に感謝を。あのままなら私は、亡者の群れに取り込まれていただろう」

 「冒険者としての義務の範疇だった。礼は別に構わん」

 

 やるべき事を、出来るからしたまで。

 何の事はないように言いつつ、ガルは顎の下を軽く爪で掻いた。

 煮えて来た鍋を火から少し放しつつ、クロエも視線をそちらへと向ける。

 

 「……それで、貴女も何処かの依頼を受けた冒険者なのかしら?」

 「冒険者、という身分にそう間違いないが、恐らく君らとは少し事情が異なると思う」

 

 果たして、その言葉はどういう意味なのか。

 四人が問う前に、古妖精の女は一度背筋を伸ばす。

 それから少し息を吸って。

 

 「名乗ろう。私はクウェルバンナ・アルギ・リアン・ルーエストム・ギャラグ・イヴァンナ・リムガルド」

 「長っ!?」

 「えーっと、どっから何処までが名前なんだい? ソレ」

 

 一息で歌うように告げられた名前に、ビッケとルージュは思わずツッコミを入れる。

 

 「名前はクウェルバンナで、家名はリムガルドだ。長ければクウェルと縮めて呼んでくれ」

 「クウェルか。俺はガル=ロゥ。剣鱗の氏族の戦士だ。………しかし本当に長いな」

 「古い家の習慣で、家名を継ぐ者は祖霊全ての名も継承する事になっている。

  普段は省略する事もあるが、正式な名乗りの場合はな」

 「私はクロエよ。祖霊の名前?」

 

 名乗りつつ、疑問を口にするクロエに対し、クウェルは一つ頷いて。

 

 「私達エルフは長い生の果て、肉体が死した後は魂は精霊になる。

  それらは祖霊の名を継ぐ後継者に対し加護を与える。……尤も、その風習を失った家も珍しくはないが」

 「そうなのかい? 古妖精の風習とか、正直あんまり詳しくないんだけどねぇ。

  あぁ、あたしは幸運の女神デューオの司祭でルージュと呼んでおくれよ」

 

 ルージュの言葉にも応じつつ、クウェルは少し悩まし気にため息を漏らす。

 

 「元より、古妖精は等しく『始原の神』たる深き森の王テオ=アディールの仔らだ。

  他の人の仔らより遥かに長い生も、この地に蔓延った『混沌』を見張る使命の為に与えられたモノ。

  故に、古妖精の家はどれも歴史と誇りを何より重んじて来たが……」

 

 しかしその歴史と誇りも、遥か神代から続けば色褪せも揺らぎもする。

 祖霊を自らの名として掲げる者は、古妖精の中でも随分と少なくなってしまった。

 忘れたのか、途絶えたのか。理由は様々だろうが。

 故に冒険者として古妖精と交流した経験もあるガル達も、クウェルの名乗りには驚いたのだ。

 

 「嘆かわしい、と言うべきなのか。或いは私の方が、時代に取り残されたのか。

  それは何とも言葉にし難いが……」

 「ふむ。古妖精にも色々と込み入った事情があるのは分かったが」

 

 それもまったく興味がないわけではないが、今ガル達が聞きたいのは別の事だ。

 

 「結局、お前はどういう事情であの場にいたのだ?」

 「ん、あぁ……すまない、話が脱線してしまったな。

  私があの場にいたのは他者からの依頼ではなく、あくまで自分の意思によるものだ」

 「どういう事?」

 「……こう言って、信じて貰えるかは分からないが」

 

 僅かに迷い、けれど言葉にしないのは不義理であろうと。

 クウェルは一つの事実を口にする。

 

 「私の祖は、かつて魔王カリュブディスを討ち取った英雄の一人だ」

 「……マジかい、ソレ?」

 「少なくとも、父祖の言葉を私は嘘だとは思ってない。証拠もある……いや、と言うべきか」

 「詳しく聞いて構わんのか?」

 「そうだな……こうなった以上、私一人で事に当たるのは不可能に近い。

  この話を聞いた上で、協力を受け入れて貰えるかは分からないが」

 

 やや項垂れながら、クウェルは弱気を吐き出すように言った。

 クロエは少し考えながら、十分に煮えた鍋からスープを掬うと、木製の器によそい始める。

 それをその場にいる全員に、同じく木製のスプーンと一緒に渡して。

 

 「とりあえず、食べながらでも話は出来るでしょう?

  この状況、少しでも食べて体力を付けておいた方が良いわ」

 「……感謝を。温かい食事は、そういえば随分と久しい気がするよ」

 

 ぎこちないが、それでも笑みを返すクウェル。

 ガルやルージュ、そして少し離れた場所で様子を見ていたビッケも、同じようにスープを受け取った。

 焚き火がパチリと小さく爆ぜる。

 

 「我がリムガルド家は、かつて魔王カリュブディスを討ち取った英雄の末裔。

  しかし彼の魔王は不死にして不滅。討たれたとはいえ、いずれ目覚める可能性は存在した」

 

 死を超越し、死を支配した魔剣の王。

 故にカリュブディスは《死の大渦》の異名で恐れられた。

 

 「故に私の家は、万が一でもカリュブディスが復活しないよう守り人を務めていた。

  その中でも特に重要だったのが、魔王配下の四騎士が振るったという魔剣の管理だったが……」

 「四騎士……あの赤い騎士以外に、まだ似た相手が三匹いるわけか」

 

 ガルの言葉にクウェルは頷く。

 

 「だがそれらは、魔王崇拝の邪教集団の手で全て奪われてしまった。

  私はその足取りを追い、奴らが目論んでいるだろうカリュブディス復活の儀を妨げようとした」

 「……けど、失敗したのね」

 「そうだ、私は失敗した。私が儀式場である『死の山』に辿り着いた時点で、もう魔王は目覚めていた」

 

 細い身体が、恐怖に竦んで震える。

 クウェルが実際に其処で何を見ていたのか、クロエ達には分からない。

 しかし尋常でない恐怖に苛まれる姿から、「魔王復活」が与太や冗談でない事はハッキリと感じられた。

 七人の英雄によって討ち取られた、伝説の魔王カリュブディス。

 今は引き返したあの道の先に、本当に存在するのか。

 

 「……何も、どうする事も出来なかった。

  ただ逃げる他なく、それも途中であの赤い騎士に追いつかれてしまった」

 

 冒険者として雇った他の仲間も、其処で動く死体の仲間入りしたと。

 己の無力さを噛み締めるように、自嘲しながらクウェルは言葉を続ける。

 

 「それからは、君らも知っている通りだ。ただ一人救われて、生き延びてしまった。

  ……これを恥と言えれば、良かったんだろうか」

 「生きていれば負けではない。少なくとも俺はそう考えている」

 

 生き恥を晒したと、そう言いたげなクウェルを否定するように、ガルは小さく首を横に振る。

 

 「魔王カリュブディスとやらは、確かに復活した。それは間違いないのだな?」

 「あぁ、間違いない。私はこの目で確かめたんだ」

 「そうか。それが事実と分かったのであれば、後はどうするかだ」

 

 頷く。過去について、いつまでも拘っていても埒が明かない。

 ならばこの先どうするべきか、それを考えた方が健全だろうとガルは言う。

 

 「概ね事実だと判明しちゃった以上、それこそ冒険者の関わる案件じゃないと思うけどねぇ」

 「……確かに、魔王云々なんて、普通は関わらないと思うけど……」

 「俺達はその魔王某の配下である、四騎士とやらの一角を討った。

  それが相手に伝わっていないと考えるのは、流石に期待が過ぎるだろう」

 

 魔王からすれば、折角の切り札の内の一つを早々に葬られた形だ。

 既に注意を引いてしまっているのではないか、と。

 その事実を否定出来る要素がなく、クロエもまた小さなため息を吐いた。

 

 「……困った話ね。クウェル……さんは、その魔王をどうにかするのに、私達に協力して欲しいの?」

 「クウェルと、呼び捨てにして貰って構わん。で、そう、だな。

  先ほども言ったが、もう私一人で解決できる話でもない。出来れば、強力な仲間の助けを得たい」

 「まぁどうするにせよ、一旦街に戻るしかないだろうねぇ」

 

 クウェルの言葉を否定も肯定もせず、ルージュがそっと口を挟む。

 常ならば水袋の酒を舐め続けている彼女だが、今は殆どアルコールを身体に入れていない。

 この穏やかな夜が何時まで続くか分からない以上、ルージュは常よりもずっと神経を研ぎ澄ませていた。

 

 「進行している状況について、まぁ概ね分かったからねぇ。

  冒険者が動く案件なのか、それとも国や貴族が動くのか。組合辺りがどう判断するかだね」

 「……参考までに聞くけど、こういう場合って国の軍隊が動くのかしら」

 「魔王復活なんて前例無いから分かんないけども、まぁ其処まで大事になったら普通は国の管轄だよね」

 

 スープを呑むのに必死だった様子のビッケ。

 クロエの疑問には応えつつも、やはり視線は何処か別の場所を見ている。

 態度の理由が分からないまま、ルージュは少し首を傾げつつ。

 

 「ただ、アディリアンを含めた西部諸国は国としちゃ大した戦力を持ってないからねぇ。だからこそ冒険者の需要も高めなんだけど。

  ……ちょっと。そういやアンタ、彼女に名乗ってないだろ。ほら、一応言っときなよ」

 「ん、あー」

 

 名乗らないどころか、極力傍にも寄らないし言葉を掛ける事もない。

 そんなあからさまに避けているビッケの態度も、焚き火を囲む前までは見られなかったのだが。

 一体、何が切欠となったか。

 

 「…………ビッケ、ただのビッケ。まぁ宜しくね、ウン」

 「ビッケ、か。宜しく…………?」

 

 ふと、クウェルの視線がある一点で止まった。

 ビッケが下げている、大きな魔法の鞄だ。

 多くの物品を中にしまっておける《穴開き鞄バッグ・オブ・ホール》。

 それとビッケの顔の方を、クウェルは何度か往復して見た。

 

 「? 何を……?」

 「まさか、とは思うが」

 

 不可思議な様子に、横から問いかけようとするクロエだったが。

 それよりも先に、クウェルの方がその言葉を口にした。

 

 「ビッケ――大鞄ビックバケット。君は」

 「いや違う、絶対違う。人違いだから」

 「いや違わない、これだけの条件が気軽に揃うはずがないだろう」

 

 やや興奮気味のクウェル。ビッケはしまったと、明らかに顔を歪めていた。

 

 「さっきから、一体何の話だい? つーか、もしかしてビッケの知り合いだったとか?」

 「……まさか君達、何も知らないのか?」

 「だから何の話かねぇ」

 

 やや呆れたようなルージュに、クウェルは片手でビッケの方を示す。

 それから、彼が口にしていなかった事実を他の仲間達に告げた。

 

 「彼は大鞄の名を持つ者。それは、魔王討伐の伝説にも語られている」

 「……ちょっと、本気なの?」

 「間違いない。『彼』もまた大きな鞄を抱え、その為に家名は『大鞄』を名乗った」

 

 先ほどまでの沈んだ様子とは異なり、今のクウェルは熱っぽく語る。

 それは今まで縁遠かった親友と、偶然にも再会してしまったような喜びで。

 

 「ビッケ、ビックバケット。君も私と同じ、魔王を討ち取った英雄の末裔なのだろう?」

 

 カリュブディスの魔剣を、死の山の炎に投げ落とした者。

 特別な力を持っていたわけではない、一人の小人。

 大きな鞄を常に抱えていたと言い伝えられる、その英雄の子孫だろうと言われて。

 ビッケは否定も肯定も返さないまま、ただ小さくため息を漏らした。

 

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