第二十一節:竜と決戦1
グルーガン要塞は一転して阿鼻叫喚の地獄と化した。
山そのものが鳴動するように震え、壁や床を問わずに亀裂が生じる。
そして溢れ出すのは、真っ赤な炎。
「走れ!」
叫んだのはガルだった。
その声に押されて、他の三人は踵を返して走る。
一瞬遅れ、冒険者達が先ほどまでいた空間を炎が舐めた。
吹きつける熱気だけで肌が焼ける感覚に陥る。
「マジかよもー! ホントに竜がいるとかさぁ!!」
「ギニルの話を聞いた時点で、覚悟はしていたでしょ……!」
「いやはや、最低限準備してたのは
走る。これまで生きて来た中で、最も早く走る。
余りの熱に大気が灼熱と化しており、普通ならば吸っただけで肺が焼け爛れるだろう。
予めルージュが施した《
黒妖精を襲った何者か。その時点では人の姿をしていたが、明らかに異質な存在感。
強烈な炎で鉄をも溶かしたという話から、最悪の想像はしていた。
そして今、最悪の想像は現実となって冒険者達を襲う。
『ハッハッハッハッハ!!』
嘲笑。竜にも独自の言語があるが、彼らの声は言葉の意味を超えて万物に伝わる。
暗闇に飛び込み、階段を駆け上がるクロエ達の頭に、赤い竜の笑い声が響く。
『どうした、宝を求めて死に飛び込むのが冒険者という生き物ではないのか!?』
「うるせー! 頭にガンガン声入れてくんな畜生!」
「存外お喋りな奴だな」
走る。走る。脅威はまだ始まったばかりだ。
後方で炎が爆ぜ、轟音と共に要塞を揺るがす。
振り向いて確認する余裕などないが、何が起こっているかは容易に想像できる。
「追って来てるわね……!」
「これ山ごと崩れるのもあり得るんじゃないかねぇ」
「丸焼きも生き埋めも嫌だなぁオレ!」
生じた恐怖を誤魔化すように言いながら、階段を一息に飛び出す。
それから迷わず通路も駆ければ、背後でまた炎が噴き出し壁を焼き潰す。
鋭い爪と、岩をも溶かす炎。
それで要塞を破壊しながら、赤い竜は冒険者達を追う。
弱者を甚振る行程に狩猟者の本能を刺激され、竜は興奮のままに吼える。
「爆ぜな!」
其処へ割り込むように、ルージュが叫ぶ。
爆発。走りながら構えた杖から、《火球》の呪文が炸裂する。
それは赤竜の顔面辺りにぶち当たり、炎で呑み込むが。
『ハハハハ! 赤き鱗に炎を向けるとは呆けたかな冒険者!』
「はいはい効果無し! やっぱ炎じゃダメだね!」
「ドラゴン卑怯過ぎねぇ!?」
まったくの無傷。煙と炎を突き抜けた竜の顔には、火傷どころか焦げ目すらない。
一番最初に「混沌」から生じたとされる竜の身体は、この世で最も古い元素で形作られてるという。
それは竜の色によって異なり、赤い鱗を持つものならば火の元素を宿す。
故に赤き竜は、如何なる炎や熱でも傷つく事はない。
そんな伝説が現実のものである事を確認し、冒険者達は要塞の中を駆ける。
『どうした、逃げるだけか!』
「そういうお前は、逃げる鼠にも追いつけんか!」
煽るような竜の言葉に、ガルは挑発めいた叫びを返した。
それはまだ、不快には感じなかった。圧倒的優位に立つ竜の耳には、弱者の強がりにしか聞こえない。
笑う吐息に炎が混じる。追いつけと言うならば、何処までも追い詰めるだけだ。
この限られた空間で、逃げる場所はどれだけある?
赤竜は、例えこの要塞が山ごと崩落したとて問題にはならない。
少々脱出には手間取るだろうが、脅威としてはその程度だ。
故に爪と炎で狭い通路を破壊して、逃げる鼠の追跡を続ける。
逃げ切れなかった冒険者どもが、竜の吐息に焼かれて死ぬ様を想像しただけで胸が躍った。
「――無事か」
「大丈夫、四人全員揃ってるわ」
一方、小回りが利く分だけ多少なりとも距離を離した冒険者四人。
彼らが飛び込んだのは、最初にこの要塞に侵入した場所、「巨人の通路」だった。
焼けた空気と硫黄の臭い、それと壁や床を破壊する音はすぐ其処まで迫りつつある。
「あーもう、やるの? マジでやるの??」
「向こうは逃がす気ないみたいだし、やるしかないんだろうねぇ」
ビッケは頭を抱えて唸り、ルージュは気付け代わりと水袋の酒を煽る。
竜との遭遇自体は、黒妖精からの話を聞いた時点で「最悪の可能性」として考慮はしていた。
そして万一そうなった場合、どのように戦うか。
これも簡単にだが、要塞に突入する直前に決めてはいた、が。
「……本当に、勝てるのかしら。 あんな相手に」
《冒険の教訓》に従うならば、出会ってしまった時点で失敗している。
出くわしてからまだ僅かな時間だが、竜が伝説の怪物である事は嫌というほど思い知らされた。
魔剣持ちを含め、幾つもの脅威と相対したクロエでも恐怖に震える。
正に神話の生き残り。魔王や神々を除けば、この世における頂点にも等しい存在だろう。
戦うべきではない。そんな事は幼子でも分かる事だ。
「勝つ」
その現実を、ガルは短い言葉で叩き割る。
「迷い、悩んでいる時間はない。 奴はすぐ其処まで迫っている。
生き残る為には、勝つ以外に道はない」
「…………」
恐ろしくは無いのかと、問う事はしなかった。
戦士にとって恐れるべきは、敵ではなく己の弱い心そのもの。
ならば「強く」在ろうとしているガルの姿こそ、その問いの答えと感じたから。
呼吸を整え、少女は己の魔剣を強く握った。
「……そうね。 私だって、こんなところで死ぬ気はないから」
「良し」
満足の行く答えに頷き、ガルもまた大金棒を担ぐ。
それから、ビッケとルージュの方を見て。
「すまんが、そちらも頼んだぞ」
「はいさ、最善を尽くしますとも。 アニキ達こそ気を付けて!」
「どう考えてもあたしらよりそっちの方がキツいんだから、死ぬんじゃないよ」
「問題ない。 俺一人なら死ぬだろうが、そうではないからな」
笑う。踏破不能の難敵が迫る中、信頼できる友と、背中を任せられる愛しい女がいる。
ならば敗北も死も、今はまだ遠い霞に過ぎないとガルは確信する。
それからほんの短い時間で、互いに必要な事だけを済ませる。
「……来るわ」
囁くような、クロエの言葉。
それと同時に「巨人の通路」の壁を破り、炎が溢れ出した。
空気は焼かれて、辺りは陽炎のように揺らめく。
炎を直接浴びないよう、ガルとクロエは距離を取った。
『なんだ、鬼ごっこはもう終わりか?』
焼け落ちた壁の穴から、赤竜はゆるりと首を出す。
見れば広い空間に立っているのは、金棒を担いだ蜥蜴人と黒い剣を構えた少女だけ。
あの小人の斥候や、女司祭の姿は見当たらない。
『なんだ、数が減ったが火の粉を浴びて焼け死んだか? それとも、命惜しさに逃げ出したのか?
仲間の命を救う為、竜を相手に殿を務めるというなら、笑い話として覚えてやろうか』
竜の嘲笑。傲慢な殺意と、狩猟の歓喜をその眼に込めて睥睨する。
対する蜥蜴人と少女は、それには応じない。
代わりに、少女――クロエの方が、一歩竜の方に踏み出して。
「貴方も、《帝国》の薔薇に仕えている者なの?」
『如何にも。至高たる薔薇帝陛下に仕える火竜グラムベルジュ。
あぁ、そちらの名は良い。矮小なる者共の名など、記憶に留めるに値しない』
「そう、それなら別に構わないわ」
火竜グラムベルジュは、あくまで余裕の態度を崩さない。
即座に焼き払ってしまえば良いものを、言葉を掛けられた事で興に乗ったらしい。
『それで、私にそれを問うて何とする? 小娘』
「……聞きたい事は、一つだけ。答えてくれるなら、命は助けて上げても良いわ」
『――――ハッ!』
グラムベルジュは嘲笑う。
本気で言っているのではないにせよ、竜の畏怖に晒されながら良く吠える。
愉快だ。実に愉快で、この娘は四肢を焼いてからゆっくりと咀嚼してやろうと心に決めた。
だがその前に、一片程度の慈悲を見せるのも悪くはない。
『良いだろう、良いだろう。 竜とて死を恐れぬわけではないからなぁ。
それで? 何を聞きたいと言うのだ』
「……この魔剣、それと私の角と尾。これについて、貴方は何か知らないかしら。
私は、私の事を何も覚えていない。記憶にあるのは、炎にはためく黒薔薇の紋章だけ」
そう問われた事で、グラムベルジュは改めてクロエの姿を見た。
今までは矮小な獲物に過ぎぬと、相手の外見など気にも留めなかったが。
見て、それからほんの僅かな驚きが、竜の胸に広がった。
『……そうか、そうか。 成る程、お前が「そう」か。 小娘』
「! ……何か、知っているのね」
『あぁ、知っているとも』
竜の口元が、確かに笑みの形に歪んだ。
『だが、教えぬ。何故ならば、此処で死ぬのはお前達だからだ。
死せる者にそれを語ったところで、意味などあるまい?』
「……そう」
あくまで戯事を楽しむグラムベルジュに、クロエは一つ息を吐く。
今までは、輪郭すら見えなかった自身に関する手がかり。
それがようやく、手の届きそうな場所にある。
圧倒的な暴威を伴ってはいるが、結局、やるべき事に変わりはない。
魔剣を構える。柄を握る指先は、震えてはいなかった。
「なら、その良く喋る口から無理やり吐かせてあげる。そういう展開を期待してたんでしょう?」
『ク、ハハハハ』
竜は笑う。全ては、己の吐息一つで焼け落ちる薪に過ぎぬと嘲笑う。
そして。
『やってみせろ!!
炎。大きく開いた口、その喉奥から溢れ出す灼熱の嵐。
激しい業火が、竜の前にある全てを呑み込んだ。
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