第31話 家神様のお告げ

 今日は朝から集落の男たち総出で、日多江川の堤に土嚢を積んでいる。

 力仕事は足手まといになってしまうあたしは、祖母と一緒に差し入れのおにぎりを朝から握る。あたしの作るおにぎりは不揃いで不格好なのはご愛敬だ。


「台風が来るのって今晩の夜中なんでしょ? かなり雨も風も強くなってるし、みんな大丈夫かな? おばあちゃん」

「心配いらねえだよ、里花ちゃん。きっと氏神様が守ってくださるだで」


 その祖母の言葉に、思わずあたしは氏神様を見つめる。

 けれども氏神様の表情は複雑に歪むばかり。神力のなさに悔しさを滲ませているのかもしれない。


「……あたしについてていいの?」

『君が四六時中不安な表情を浮かべてるんだもの。ついてないと心配になるよ』

「……そっか、ごめんね。でも、ありがとう」


 こっそりと祖母の目を盗んで氏神様と内緒話。

 この一大事に集落の守り神を独り占めしていいものかと罪悪感が沸き立つ。けれどもそのお陰で冷静さを保っていられるのも確かだ。


 朝から一心不乱に握り続けたおにぎり。その数、百個ほど。

 土嚢積みに参加している人数は二十人ぐらいのはずなので、これだけあれば足りるだろう。

 おにぎり作りからやっと解放されたあたしは、その内の一つを頬張りながらカバンに詰めていく。もちろんつまみ食いのおにぎりは祖母が作った奴だ。


(そういえば……。この家は台風に備えなくて大丈夫かな?)


 風雨が激しさを増すに従って不安も増していく。

 ふと先日の大屋敷の改修の件が頭をよぎり、あたしは氏神様に相談を持ち掛ける。


「この家に傷んでるところはないか、家神様に聞いてもらえないかな?」

『そうだね、ちょっと聞いてくるよ』


 そう言い残して氏神様は姿を消す。するとタイミング良く、表の方からバタンバタンと騒がしい音が聞こえ始めた。

 たまたまなのか、それとも家神様が案内をしているのか。

 あたしは雨合羽を着込んで表に出ると、吹き付ける風に身構えながら音の出所へと足を進める。


 繰り返し耳障りな音を鳴らしていたのは、蝶番が外れかけた薪小屋の戸。戸締りのための安っぽいかんぬきは南京錠と共に弾け飛び、風に煽られては戸が壁を打ちつけていた。

 そしてその横には、あたしを待ちわびるようにたたずむ氏神様。


『彼が家神様だよ、って見えないかな?』

「えーっと……。いつもお世話になってます……」

『そっちじゃないよ、こっち』


 ここにいると言われても家神様の姿は見えない。そして声も聞こえない。

 とはいえ世話になっている手前、あたしは社交辞令でしかないけれど頭を下げる。


『それでどうだろう、直せそうかい?』

「うーん、わかんない……。ちょっと、おばあちゃん呼んで来る」


 農作業の手伝いで多少はたくましくなった自覚はあるけれど、大工仕事となると話は別。まずは壊れているところを見てもらうために、勝手口から祖母に声を掛ける。


「おばあちゃーん。薪小屋の戸が、吹き飛びそうだよー」

「そいつはえらいことだべな。ちょっと待っとくだよ」


 雨合羽を着て、物置から大工道具を引っ張り出してきた祖母。

 あたしが戸を支えて、祖母が蝶番を釘で打ち付けようとするけれど四苦八苦。

 見かねた氏神様は誰か応援を呼んで来ると言って、集落の中央に向かって飛んで行ってしまった。


「里花ちゃん、もうちっと上で支えてもらえるだか?」

「こんな感じでいい? おばあ……きゃぁ!」


 もう一息と言うところまでいくと、タイミング悪く突風が吹く。

 掴んでいる戸だけは絶対離すまいとあたしは踏ん張るものの、強い風に煽られて右へフラフラ、左へフラフラ。まるでバランスの取れていない凧のよう。


「あたたたた……」

「大丈夫? おばあちゃん」

「ああ、心配ねえだよ。ちっと足さ、捻っちまったみてえだべな」


 煽られた戸を避けようとして、祖母はぬかるみに足を取られた。

 尻餅をついた祖母は、雨合羽を着ているとはいえ身体中泥だらけ。平常時ならいざ知らず、こんな悪天候の中じゃ自分たちの非力さを思い知らされるばかりだった。


(助けを呼んでくるなんて言ってたけど、氏神様の声なんて誰にも聞こえないんじゃないの……?)


 戸の修繕は諦めるしかない。

 ひとまずへたり込んだ祖母に手を貸して、その身体を引き起こす。

 するとそこへ背後から、心配そうに声をかけながら耕作がやってきた。


「ばあさま、どした? 大丈夫だか?」

「やれやれ、歳はとりたくねえだな。小っ恥ずかしいとこさ見られちまった」


 手助けを拒否しようとする恥ずかしそうな祖母。けれど耕作は構わずにお姫様抱っこで祖母を抱え上げると、そのまま玄関へと運んで行った。

 あたしと氏神様も心配しながら後を追う。

 玄関で泥だらけの祖母の雨合羽を脱がせてやると、後は自力で祖母は家の奥へと入っていった。軽く引きずる右足が痛々しい。


「……一体どうやって耕作さんを呼んできたのよ……」

『それはね――』


 こっそりとあたしは、氏神様に小声で疑問をぶつける。

 すると氏神様が答えるよりも早く、耕作が大声でその理由を自ら明かした。


「いやぁ、なんか予感がしたもんだで、様子を見にきて正解だっただな」

「本当に? お腹が空いたから、おにぎりを取りに来ただけなんじゃないの?」

「へへへ、バレただか」


 どこまでが本当の話かわからない。

 耕作の言う『予感』が氏神様の力なのか、それともただの偶然だったのか。

 けれども今はゆっくりしている場合じゃない。さっそく戸の修理を耕作にお願いしてみる。


「薪小屋の戸が壊れちゃってて……。耕作さん、直してもらえない?」

「おう、里花ちゃんの頼みとあらば、お安い御用だ」


 耕作は二つ返事で薪小屋へ向かうと、あたしが手伝うまでもなく一人であっさりと蝶番を釘で止め直してしまった。あたしと祖母の苦労はいったい何だったのか……。

 そしてそのままかんぬきも釘で打ち付けて、当座しのぎの応急処置を施した。


「台風が過ぎたら、ちゃんと直してやるだで。今日のところはこれでいいだな」

「ありがとう、助かったよ。そしたら、おにぎり取ってくるね。耕作さんは車で待ってて」


 あたしは台所へ行くと、おにぎりを詰めたカバンの肩ひもに首を突っ込み、たすき掛けにする。そして居間の祖母に「おにぎりを届けに行ってくる」と声を掛けると、表で待つ耕作のところへと急いだ。


「よっし、急いで川に行かねえとだな」

「え? 川はそんなに大変なことになってるの?」

「大変に決まってるだよ。みんな腹空かして待ってるに違いねえ」

「ああ、そういう大変なんだ……」


 白い軽トラックの助手席に乗り込み、あたしはシートベルトを締める。

 それを確認した耕作は、すぐさま車を発進させた。

 ふと窓の外を見ると、すぐ外には氏神様。軽トラックと同じ速さで、漂いながら付いてきていた。


『――僕もついて行くよ。川の様子も気になるからね』

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