二百十二段 秋の月はめでたき

【徒然草 二百十二段 原文】


 秋の月は、限りなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひ分かざらん人は、無下むげに心うかるべき事なり。




【本文】


 漆器店に来ていた。漆塗りの食器を買うためだ。

 九月下旬、今日は中秋の名月である。

 秋のイベントと言えば最近ではハロウィンが盛り上がっているが、その前に日本人なら忘れてはいけないのがお月見である。

 遥か昔から月は日本人に愛されていた。百人一首なんかにも月を詠んだ歌は多い。ハロウィンを否定はしないが、俺はやはり古くから伝わる日本の文化も大切にしたい。


「何かお探しですか?」


 キョロキョロと物色する俺に壮年の店主の声が掛かる。正直今まで漆器なんて見たこともないからどれがいいのかわからない、素直にお店の人に頼るとする。


「お盆と、月見団子を乗せるようなお皿を探しています。値段は多少なら高くても構いません」


「なるほど、今日は十五夜でしたね。お若いのに風流な方だ」


 諸君は十五夜、という言葉に違和感を感じた事は無いだろうか? 十五日の夜に空を見上げても満月では無いときの方が多いだろう。それもそのはず、十五夜とは旧暦の十五日の夜の事なのだ。昔は新月の始まるさくの日を朔日ついたちとして、月の満ち欠けの1サイクルを一ヶ月としていた。なので毎月十五日が満月になっていたのだ。現在では太陽の周囲をまわる地球の一周を一年とした太陽暦が使われている為、満月の日は毎月違ってくる。


「これなんかどうでしょうか? 京都の老舗の物でして、値は張りますが見事でしょう?」


 店主が出してくれた朱色の丸盆。綺麗な朱に木目が映えて美しい。確かに三万円と高いが……三万円!? そんなにするの? いや、高くても構わないと言ったのは俺だ。三万円なら良い漆器の相場なのかもしれないし、今更安いのがいいなんて言いづらい。しかし予想以上の値段に思わず声がうわずった。


「ほ、ほほう、素晴らしいですね」


「有明盆と言いましてね、月をイメージして作られたおすすめの一品ですよ」


 有明? そいつはいただけない。思わず眉間にしわを寄せる。


「有明と言うと、有明の月をモチーフにした、という事ですか?」


「そうです。古い言葉をよくご存知ですね」


「中学校の国語教師をしております。有明の月はゲンが悪いというか、ジンクスがありまして買う訳にはいかないのです」


 他のお盆を見せて貰う事にした。特に今日に限って有明の月は縁起が悪いのだ。決して値段にビビった訳ではない。ほ、本当だよ? 三万円ぐらいポンと出せるんだからねっ。


「ではこれは如何でしょう? 高級品ではありませんが、若い方にも受けいられやすいデザインかと」


 黒の丸盆と、三日月を模した笹舟のような形の金色の皿だった。金箔が貼られているのだろう、キラキラと照明が反射している。 

 美しいというよりは可愛らしい感じだが、漆器初心者にはこういうのが丁度いいのではないだろうか。三日月は願いを込めれば満月になり願いが叶うと言われ、縁起もいい。

 値段も二つで八千円とお手頃だ。金箔って高いのかと思ったが意外にそうでもないのな。


 勧められた漆器を購入し、アパートへと帰った。



『徒然ww 二百十二段 秋の月はめでたき』



 九畳の自室に戻り、早速月見の準備をする。

 お盆と三日月の皿を洗い、この日の為にお取り寄せたお高い和菓子を乗せる。

 可愛らしい三日月の上に置かれたウサギの形のらくがんが今にも跳びはねそうだ。うん、素晴らしいぞ、インスタ映えというやつだな。インスタやった事ないけど。


 さて、月見のお菓子は完璧だ。あとは場所のセッティングだな。このアパート、二階の部屋にはロフトがついている。そのロフトの天井の一部がガラス張りの大きい覗き窓になっており、空を眺める事が出来るのだ。中々に洒落乙である。ここに寝転んで月を見ようという訳なのだ。カーペットを敷き、クッションを置いて、仕上げにススキを生けた花瓶を置いて完成。うむ、我ながら完璧である。

 ロフトの覗き窓から外を見るとすっかり暗い。そろそろ時間だ。


 ピンポーン♪


 チャイムの音にドアを開けて待ち人を招き入れる。

 今夜の主役にして俺の想い人、抄子先生だ。

 

「お邪魔します。意外に綺麗だね。男の人の独り暮らしの部屋ってもっと散らかってるかと思った」


 ソファに腰を落ち着けた後、キョロキョロと部屋を見回して彼女は言った。

 そりゃあ女の子を呼ぶんだから念入りに掃除をした。普段はこれでもかというくらい散らかっている。

 抄子先生がこの家に来るのは二回目だが、前回は俺の忘れ物を取りに来ただけで玄関しか入ってもらわなかった。中に入るのは今回が初めてである。抄子先生は興味深そうにあちこちに視線を巡らせた。見られて困るものは既に処分済みだ、思う存分見てくれて構わない。

 部屋の片隅に置いてあるロードバイクに跨がらせてみたりして時間を過ごした後、作ってきてくれた晩御飯を二人で食べた。俺がリクエストした通りにグラタンを作ってきてくれた。秋らしいカボチャのグラタンでとても美味しかった。

 

 時刻は九時を回った頃、月も窓から見える高さになっただろう。抄子先生と共にロフトへと上がり、空を見上げた。残念ながら月は雲に隠れてしまっていた。雲が晴れるまで和菓子をつまんで時間を潰す。


「わあ、可愛いねこの漆器。兼好くん、こういうセンスいいよね」


 店主にすすめられるままに買った物だから俺のセンスではないのだが、否定する事でもないだろう。俺が気に入って買ったのは間違いないし、ありがとう店主。

 用意した和菓子を全部食べてしまったが、まだ雲は晴れていなかった。二人で並び寝転んで月が姿を現すのを待つ。


「なかなか雲晴れないね」


 ぽつりと呟いた彼女の言葉に、俺は国語教師らしい洒落た返事をする。


「――めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな――」


「それは和歌?」


「百人一首の中の五十七番、紫式部の詠んだ歌だよ。やっと会えた愛しい人との時間もほんの少しだけで、すぐにお別れしなくちゃいけなくて、それを雲に隠れた月に例えて愛しい人への未練を詠んだ歌さ」


 源氏物語で有名な紫式部はロマンチックな歌が多い。それに簡単で分かりやすくて、感情移入もしやすい。


「俺もね、同じ気持ちになる。毎日学校で会ってるのに、仕事が終わって家に帰ると、君に会いたくなってどうしようもなくなる」


 俺も彼女も、空を見上げている。抄子先生がどんな表情をしているかはわからない。

 やがて雲が晴れて、見事な満月がその堂々とした顔を見せた。


「一人で月を見ているとセンチな気持ちになるんだろうね。月を詠んだ歌っていうと悲恋が多くて、とりわけ有明の月になると悲しいものしかない」


「有明の月?」


「うん。夜が明けて、朝方の明るい空に残った白い月を有明の月って言うんだ。満月が終わってからの五日間ぐらいの間に見ることが出来る」


 明けても有る月、で有明の月という訳だ。


「これも百人一首の一つなんだけど、壬生忠岑みぶのただみねのこんな歌があってさ。

 ――有明の つれなく見えし 別れより あかつきばかり うきものはなし―― 

 有明の月の様につれないあなたと別れてから、有明の月を見ると悲しくて仕方がないっていう意味」


 喉がカラカラになる。声が掠れそうになるが、想いを余すことなく伝えるために心の底の方から絞り出す。


「俺は君という満月を有明の月にはしたくないんだ」


 来年度は他の中学校に転任するかもしれない。そうなったら本当に彼女は有明の月だ。手遅れになる前にこの想いを伝えなければならない。それが今、この時なのだ。


「抄子ちゃん」


「はい」


「君に伝えたい想いがあるんだ」


 ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた。

 空には満月。壮大で優雅な月を見ていると自然に、ごく自然に言葉が出た。

 ああ、君と並んで一緒に見る世界はこんなにも――


「月が綺麗ですね」




【徒然草 二百十二段 現代訳】


 月は何と言っても秋の月が一番美しい。


 月なんていつでも同じだなんて言い切れるような人とはきっと分かり合える事はないだろう。




 

【補足と蛇足】


 トベ先生の告白に抄子先生がどんな返事をしたのかはご想像にお任せします。

 ロマンチストというよりはリアリストのイメージが強い清少納言が彼女のモデルですから、真っ赤な顔であわてふためく様子が浮かぶ気もしますが、皆さまの心に委ねるとします。

 

 さて、私も折角なので月の映える晩に妻に「月が綺麗ですね」と言ってみました。活字に興味がなく夏目漱石も読んだ事がない妻なので「は?何言ってんの?」と言われるかと思いましたが意外にも知っていたようで、「死んでもいいわ」と返してくれました。この返しには私の方がテンパッてしまい、つい「あなたは死なないわ、私が守るもの」なんて答えてしまい、結局妻には「は?」と言われてしまいました。妻はアニメも詳しくないですから失敗しましたね。


 とまあ、この時の妻の様に「月が綺麗ですね」の返事は「死んでもいいわ」が定番なのですが、トベ先生ならどんな返しをするのか、この話を書きながら考えていました。調べていた和歌の中にピッタリなものがありまして、恋の歌が多い西行の中から一つ。


 君にいかで 月にあらそふ ほどばかり めぐり逢ひつつ 影を並べん


 キザなトベ先生にぴったりかなと思いましたので紹介しました。以上蛇足でした、失礼しました。お読み頂きありがとうございました。




 



 


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