第08話 警告

 その瞬間、ルバルドとユーミアは目を見開いた。

 振るったはずの大剣の刃は消え去り、鋭い爪はルバルドの眼前で止まっていたからだ。

 ソラは肩に担ぐようにして止めたユーミアと共に、後方へと移動する。その場所は、ユーミアがルバルドへと向かっていく前にいたのと同じ位置だ。

 地面に降ろされると同時に、ソラはユーミアの呪術を解いた。それによって全身の力が抜けてへたり込むユーミアを、小さな体が抱きしめる。



「ミィナ……様……⁉」



 それに対する返答はなかったが、胸の中で感じる揺れから泣いていることは分かった。



「本当に運がいいな、お主らは」



 ミラはそう言いながら片方の掌をユーミアの肩に乗せた。

 その手から溢れ出す何かは少しずつ、しかし確実にユーミアの体へと染み込んでいく。

 ユーミアはミラとティアの方を一度見てから、ソラの方へと視線を移した。



「なんで……」



 自分のためにしか力を使わないソラならば、絶対に来ないと思っていた。

 だから、ソラと合流さえすればミィナが自分と同じような目に合うことは無い。そう安心しきってユーミアは飛び出した。

 それなのに――。



「ユーミアさん、何か勘違いしてませんか?」



 優しく問いかけるその言葉に、ユーミアは何も答えられなかった。言葉の意味が分からなかったから。

 それを見たソラは、さらに言葉を続ける。



「何を犠牲にしてでも守りたいものがあったとしても、それは犠牲を許容してもいい理由にはならない。何より、ミィナにとってのユーミアさんの存在は、ユーミアさんが自分で思っているよりもずっと大きい。だから、今はそんな顔せずに自分が生き残ったことを素直に喜んでください」



 ユーミアの表情は、どこか不満げなものだった。

 ミィナを生かすために一人で出てきたのに、ソラはわざわざ助けに来てしまった。自分が生き残ったことに対する喜びよりも、この先の不安の方がどうしても勝ってしまう。



「しかし、これでは……」



 ユーミアは歯切れ悪くそう言いながら、周囲へと視線を配った。

 すぐ近くには人間の王がいて、周りには大量の武装した兵士がいる。今は呆気に取られて誰も動けていないが、いつ襲い掛かってきてもおかしくない。



「大丈夫です。それは俺たちでどうにかしますから」


「どうにかって……。だって、ソラさん達は人間で――」



 ユーミアがそこまで言った時、一人の男の声が辺りに響いた。



「お久しぶりですね、ソラ君。お元気そうで何よりです。皆、あなたの事を心配していたんですよ?」



 ルノウのその言葉を聞いて、ソラの雰囲気はガラリと変わった。

 ユーミアはそのあまりの変わり様に、それ以上ソラに言葉をかけることが出来なかった。



「ルノウ大臣、あんたは余計に心配してたんでしょうね。何せ、俺を殺せた事の確証がいつまでたっても得られなかったんだから」



 その言葉で人間達はルノウの方へ、ミィナとユーミアはソラの方へと驚きの表情を向けた。



「その言葉から察するに、私が想定していた『他人の記憶を覗き見る』ことは出来るようだね。それに加えて他人のスキルの消去を可能とし、一瞬で大量の魔族を消し去ることが出来るスキルを所有。そして王国に――いや、人間の存続に対して非協力的な危険思想を持つ。今更だが、凄く後悔しているよ。あの時、もっと確実に君を殺す方法をとっていたらと」



 ルノウは一切表情を変えることなく言い切り、そしてニヤリと笑ってから再び口を開いた。



「ソラ君、君は今、私たちの前で魔族を助けた。その事実は私の個人的な大義だけでなく、国を挙げて君を殺す理由に十分なる。それぐらい分かっているだろう?」


「分からないな。俺はあんたらと違って、『国のため』なんて大義で殺しを正当化できるほど狂ってない」


「それは残念な返答だ」



 ルノウがそう言うのとほぼ同時に、部屋の隅々に隠れている隠密スキルと急襲に長けた部隊が飛び出し、スキルを使用する暇も与えない速さでソラ達を殺す――はずだった。

 しかし、それはいつまでたっても出てこない。

 暫くの沈黙の後、ルノウの頬に一滴の赤い雫が落ちていた。

 上を見上げると、変形した室内の壁や天井が潜んでいた人間の体を貫いていた。それらはいずれも死なないように調整されていたが、誰一人として声を上げなかった。五月蠅くなるのを嫌ったミラが喉を確実に貫くようにしていたからだ。



「っ……」



 ルノウは声にならない声で驚いた。まさか、ルバルドやスフレアが気付けないようなレベルの隠密スキルを見破られるとは思っていなかった。

 内心で舌打ちをしたルノウは、ソラの方へと再び視線を戻す。ソラ達はその場から動かず、ルノウの事を冷たい視線で突き刺していた。

 周囲が騒めく中、ルノウはソラから見えない位置にある手で合図を送った。その細かな動きに、近くにいたプレスチアだけが気が付いた。

 プレスチアはルノウを止めようとしたが、丁度そのタイミングで周囲から溢れ出た赤黒い霧のようなものに意識を奪われて言葉を発せなかった。

 それはそこら中で体を貫かれている者から発せられており、一人の人物へと集まっていた。その現象をブライは、ルノウは、プレスチアは知っていた。古くから伝わる、一部の者しか知らない書物に記されているそれは――。



「ミラ……ルーレイシル……なのか……⁉」



 ブライがそう小さくつぶやいたのを、隣にいたカリアはしっかりと聞き取った。

 そして、そんなブライの言葉をルノウの焦りの叫びがかき消した。



「待てっ――!」



 ルノウの合図は、先程とは別の部隊を動かすためのものだった。

 ずらりと並んだ兵士の内一つの集団が、ソラ達に向かって杖を構えていた。その前にいた者たちもルノウの手下で、魔法の準備が整った瞬間に素早く左右へと避けた。そうしてソラ達の元へと作られた太い人の道を、青白い雷龍が走る。それは、ルノウが優秀な部下だけで密かに訓練させていた雷魔法と光魔法の複合魔法を大人数で発動させるというものだった。その威力と速度は絶大で、ルバルドやスフレアですら避けることは出来ない程だ。

 光の速さで迫りくるそれが届く前に、ミラは視線はそのままに片手だけをそちらに向けた。肩から掌にかけて、赤黒い霧が纏わりついている。一瞬の間でその準備は終わり、放たれる。

 光属性と火属性の複合魔法だった。しかし、それは黄金の炎ではない。赤黒い命の霧が合わさった、赤黒く光り輝いている炎。魔法を放った者だけでなく、その周りにいたものも優に巻き込み、城内の壁をいとも簡単に外まで貫いた。焼失した部分との境がドロリと溶けているだけで、それ以外のものは全て蒸発している程の威力だった。

 その衝撃で、ミラとティアのフードははらりと捲れてしまっていた。

 緋色の左目と、縦長の瞳孔の黄色い右目。それだけで、存在を知っている三人はいやでもその存在が目の前にいることを認識せざるを得なくなる。



「ルノウ大臣、これは最初で最後の警告だ」



 そんなソラの声が、あまりの状況に静まり返ったその場所に響き渡る。



「二度と俺に――俺たちに関わるな」


「それは……それは無理な話だ。魔族は私たち人間を滅ぼそうとしている。それぐらい君だって分かって――」


「俺の事を考えもせずに村の人間を皆殺しにすることを決めたあんたらの事情を、俺が汲み取るはずないだろ?」



 ソラはそう言うと踵を翻し、未だ立ち上がれそうにないユーミアへと肩を貸した。

 スキルで移動しようとした直前、ルノウはソラに向かって三人の名前を読み上げた。



「ルーク、フェミ、クラリィ」



 思わず、ソラはピクリと反応した。



「ネロという人物――つまり君を師と仰ぎ、慕っている三人。彼らは今、私の命令で拘束されている」



 ルノウは知らなかった。

 弟であるビトレイの作戦は破綻し、ビトレイ本人は既にこの世界から消え去っていることを。



「彼らを無事に取り戻したいのなら――」



 そこまで言った時、その場の全員の体を冷たい風が撫でた。

 建物の床から上が突然消滅したため、その場にあった暖かい空気は一瞬で流れ去ってしまっていた。天井が消えたことによって、ソラ達を月明かりが包み込む。



「奪いたければ奪えばいい。殺したければ殺せばいい。守りたいもの全てを守る力なんて存在しないし、それを叶えようとすることは傲慢な夢妄想でしかない。だから俺は、今更何かを必死に守ろうなんて思わない。ただ、俺はあんたが正義と謳うそれに二度も耐えられるほど大人でもないし、意味のない抵抗しか出来ないほど子供でもない。その時は俺がされたように――」



 そう言いながらルノウの方へと振り向いたソラの表情には、酷く歪んだ笑みが浮かんでいた。



「あんたが必死で守ろうとしている人間を一人残らず殺す」



 その言葉を最後に、ソラ達の姿はその場から消えた。

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