第07話 圧倒

「あれは……?」



 ギルドの外側で、中に入るために順番待ちしていた誰かがそう呟いた。それに反応するように、周囲の人々の目線はそちらへと向かう。

 万を軽く超える数のそれらは、近づくにつれてその正体が目に見えてくる。



「おい、嘘だろ……」


「何でこんなところに……」



 人々の表情が絶望に染まり始める。徐々に空を埋め尽くさんとする飛行型の魔族の羽音は大きくなり、地面を走ってくる屈強な肉体の魔族による足音はまるで地震のように響いてくる。その数は少なく見積もっても数万はいる。

 やがて辺りには悲鳴が響き始め、人々は迫ってくる魔族とは逆方向へと雪崩のように駆け込み始めた。





「ウィスリム、ベル。ロートのまとめ役であるお前らには出来れば逃げて欲しいんだが……」


「こんな時に冗談言わないでください。トップクランである僕たちがここで逃げたら、まともに戦える人なんていないじゃないですか。こういうときのために僕らをここに残したんじゃないんですか?」


「それはそうだが……」



 中間層の実力者が王都へと加勢に行っている状況で、もう一つのトップクランであるデスペラードは非戦闘員の避難のために別行動をしている。ウィスリムとベルが率いるロートが今いなくなってしまうようなことがあれば、ウィスリムの言葉通りまともに戦うことなんて出来なくなってしまう。

 言葉に詰まるギルドマスターに、さらにベルが迫る。



「それに、ここから逃げてどこに居場所があると言うのですか? 王都はギルドと魔族領の間にあります。あの方向から魔族が来たのなら、王都が壊滅している可能性だってあるんですよ?」


「あぁ、そういえばヴィレッサがそんなこと言ってたな……」



 そんなギルドマスターに、二人は思わず苦笑いを浮かべた。



「僕たちと冒険者をしていた時と、何も変わってないですね」


「当時と違ってヴィレッサさんという優秀な秘書が付いた分、寧ろ悪化しているんじゃないですか?」


「お前らは相変わらず息ぴったりだな。ま、お前らが逃げない理由は分かったが……」



 そう言いながら、ギルドマスターは後ろを振り返った。

 そこには目に闘気を灯らせた、ギルドのほぼすべての冒険者がいた。



「ここが堕ちればどうしようもなくなることは、僕らでなくとも分かることです」


「そりゃそうか」



 そうため息を吐くと、ギルドマスターは声を張り上げる。



「お前らぁ! ヴィレッサとビトレイに非戦闘員の非難は任せてある! 覚悟のない奴はそっちに行け!」



 その様子を見たウィスリムは、笑みを浮かべながら口を開く。



「……どうやら意味はなさそうですね、ギルドマスター」


「全くだ」



 闘気に溢れるギルドマスターと対照的に、冷静な様子のベルは考えるそぶりを見せながら問いかける。



「それで、どうしますか? これだけの数なら指揮が必要なのは必須ですが……」


「馬鹿、俺に指揮が出来ないのはお前も知ってるだろ。指揮官は後衛のお前が指名して決めておけ」


「分かりました。それはそれとして、私としては本調子ではないギルドマスターには下がっていて欲しいんですけど……」



 ギルドマスターの空っぽの袖を見て、ベルはそう呟いた。ギルドマスターは魔物との戦闘で隻腕になってしまったから前線を退いていた。本来の実力を出せないのは火を見るより明らかである。



「あぁ、下がって酒でも飲んでたいな。こんな状況でもなけりゃの話だが――」



 ギルドマスターがそこまで話した時、突然肩に手を掛けられた。



「いいですよ、下がってて」



 その場の全員が驚き、安堵した。今、この状況で、これほどまでに頼りに出来る存在は他にいない。誰もがそう思った。





「ねぇ、ビトレイ。僕らは何もしなくていいの?」



 ベウロはそう問いかける。その場所はギルドから離れた茂みの中。そこからはギルドの人間と魔族の両者の姿がよく見えた。



「えぇ、何もする必要はありません。今のところは、ですけどね。第一、逃げるように言われたあなたが前線に居たらおかしいでしょう?」


「それはそうだけどさ……」



 ベウロはルーク達と共にいた所、偶然にもギルドへと現れたソラと会っていた。ソラはベウロに逃げるように指示を出すと、ルーク達と何かを話し合い、そして自分たちは再びギルドから姿を消した。



「ルーク君達に逃げるように指示しなかったのなら、ネロさんには何か策があるはずです。それが意味をなさなければ、ここにいるデスペラード全員で参戦します。敵の背後から、ギルドの人間に悟られないようにね。出来ないのなら話は別ですが……」


「僕らは隠密と対人戦に長けた集団だよ? それぐらいできないわけないじゃん。魔物としか戦えないあいつらと一緒にしないでよ」



 頬を膨らませながらベウロはそう言う。



「それは悪い事を言いましたね。……っと、来たようですね」



 ギルドの方に生まれた多少のざわめきに気が付いたビトレイは、ベウロと背後にいるデスペラードの仲間と共にそちらへと視線を移した。





「ネロ……っ⁉ お前いつの間に――」


「その話は後です。それより、ギルドマスターは周辺の村に冒険者の派遣をしてください。あれから逃げてる魔物が物凄い勢いで迫ってきてます。俺の知っている場所は粗方片付けましたが、あの広範囲ならすぐに収まることはないはずです」



 それだけ言うと、ソラはギルドマスターの肩から手を離し、単独で魔族が迫ってきている方向へと歩いて行った。その姿はまるで何かに集中しているかのようにゆっくりとしたものだった。



「指揮官がいない……と言う事は――」



 ソラは一人、誰にも聞こえない程小さな声でそう呟いた。

 エクトのスキルによって創造された魔族は命令が無ければ動けない。目の前にいる気色の悪いぐらいに規則的な行動をしているそれは、十中八九創り出されたものだ。その指揮官がいないことは、ある程度自立して行動できる魔族を生成できるようになったことを示していた。

 一人で前へと進んでいくソラを、ウィスリムは止めようと動いた。しかし、それはギルドマスターによって遮られる。



「待て」


「ですがギルドマスター、あの数が相手では個人の実力など関係あるはずが――」



 いくら個人の力が強かろうが、数万の敵に囲まれて無事でいられるはずがない。それを伝えようとしたウィスリムの視界に入ったのは、ソラが鞘から抜いた小太刀の刃にあたる部分だった。そこにあるのはウィスリムが一度目にしたことのあるものだった。黒く、不定形で炎のようなナニカ。かつてウィスリムの剣を切り裂いたそれは初めこそそれは小太刀に相応しい大きさをしていたが、まるで油をつぎ込まれた炎の様に大きくなっていく。

 全員が息を呑んで見守る中、ソラは小太刀を構え、軽く振るった。小太刀の刃だった部分はソラの手元を離れ、前方へ、上下左右に広がりながら突き進む。その向こうで躱そうと様々な方向へと逃げる魔族の姿が隙間から見えたが、誰一人としてソラの放ったそれから逃れることは出来ない。

 後に残ったのは、魔族による強襲が発生する前の景色と静寂だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る