第09話 圧倒

 雲が月明かりを隠しているその日、作戦の初動が開始された。



「イサクト様、そちらの様子はどうですか?」


「問題ないね。丁度木箱に兵を詰め終えた所さ」



 ハーミスとイサクト、二人の目の前には数個の巨大な木箱が置かれていた。

 場所は魔族側の砦の屋上。松明がその木箱を不気味に照らしていた。



「雲は隠れているが、確かにこれなら視認は出来そうだね。流石、魔王様お気に入りの魔族といったところかな」


「お誉めに預かり光栄です」



 辺りはかなり暗い。しかし、人間側の砦もまた魔族と同じように松明で照らしているため、大まかな距離を視認するのはさほど難しくなかった。

 さらに木箱の魔族側の一面には松明が取り付けてあるため、こちら側からならば視認は容易に出来る。



「ではイサクト様、お願いします」


「あぁ、任せてくれ。とは言っても、実行するのは彼なんだがね」



 そう言うと、イサクトはエクトに命令を下した。次の瞬間、木箱の一つが一瞬でその姿を消した。それと同時に、人間の砦の向こう側で小さな光が落下していくのがかすかに見えたがすぐに消えた。人間の砦の向こう側の上空まで移動し、落下による風圧で松明の炎が消えたのだ。



「これなら問題なさそうだね。さあ、残りもさっさと終わらすとしよう」



 そう言ったイサクトの命令によって、木箱は次々と姿を消した。





 翌日、作戦は大きく動き始めた。人間の砦の向こう側に魔族を配置できたと想定し、正面から大量の兵による突撃を実行する。それにひるみ、人間が逃げ出すことがハーミスの想定である

 目下では大量の魔族が一斉に人間側に向かって走っている。全てが同じ顔、身長、体格の兵士である。上から見ても不自然なぐらいに動きが一致していて、気持ちが悪いとさえ思えてしまえるほどだった。

 そんなハーミスの表情を見て、イサクトが口を開いた。



「指揮する者としては、これが最善の兵ではないのかい?」


「……そうですね、確かに命令通りに行動してくれるのはありがたいです。ですが、私は部下一人一人に個性がある方が接しやすいと思っています。その必要がないというのも、私にっては苦痛かもしれません」


「まあ、そこは考え方次第だろうね。僕としては全てが計画通りに動いてくれる方がやりやすくて好きだけどね」



 そんな会話をしながら兵の突撃を眺めていたハーミスだったが、途中で若干の焦りの表情を浮かべた。



「イサクト様、あれは……」


「……ん? あぁ、人間側の精鋭だろう。私でも聞いたことがあるよ、斬撃を飛ばす強い人間がいるって話はね。きっとあれがそうなんだろう」



 二人の視線の先には、たった数十人で走るだけの魔族の兵を次々となぎ倒していく人間の姿があった。



「こちらにも精鋭は揃っているが、どうする? 君の判断に任せるよ」



 イサクトの言葉通り、魔族の砦にも魔族側の精鋭が当然いる。

 だが、ハーミスはその提案に対して首を縦に振らなかった。



「いえ、このままで大丈夫です。彼らの動きから察するに、時間稼ぎでしょう。今頃、人間の兵士の大半は砦の向こう側で自陣に向かって逃げる準備をしているはずです。そこで『突然自陣に現れた魔族と交戦、混乱した挙句に必要以上に大きく後退する』となってくれれば私としては最善なのですが……」


「なんだ、予定通りに進んでいるんじゃないか。そんなに焦る必要はないと思うが……?」


「私が焦ったのは、想像以上に人間のスキルが強力だったからです。人間側の将軍が有能で、こちらの戦力を過大評価していなければこんな簡単には進みませんでしたよ」



 この時点で人間側の砦にいる最高責任者であるルバルドが魔族側からやってきた大量の兵の評価を誤らず、人間側の全ての兵で戦っていたら結果は分からなかった。作戦の機密性によって、魔族側の砦にはさほど戦力は無いのだから。しかし、例えそうなったとしても失うのは無制限に作り出せる人形だけなのだから、魔族側にそれほど大きな損害はない。

 何より、ハーミスにとってはミィナとユーミアを向こう側へと送り込めた時点で作戦は成功したようなものである。



「……イサクト様、何をしているのですか?」


「ん? あぁ、ちょっと記録を書き記しているだけだよ。生成物を実際に戦わせたのは初めてだからね。一応、他の場所でも同僚が記録をっているはずだが、視点が多いに越したことは無いからね」


「そうでしたか。……もしかすると、今後はもっと簡単に出来るようになるかもしれませんね」


「それはどういう……?」


「仮に人間側の砦を占領したとして、そこから先への通行を禁止できるようになったと考えてみてください。他人の目を気にせず、実験を出来るとは思いませんか?」



 イサクト達が砦で実験をしなかったのは、道徳的観点から非難を浴びないようにするために隠れる必要があったからだ。今でさえ文句を言う可能性のある兵士を砦の一角に軟禁しているほどである。しかし、人間の砦を占領してしまえば最高の実験施設が手に入る。人間の砦と魔族の砦で隠す事の出来る最高の空間が、目の前にはあるのだ。



「それは……素晴らしい考えだね。魔王様に頼んで人間の砦を研究者で占領してしまうのも面白そうだ」


「一番攻撃を受けやすい場所ですから、情報を秘匿するためにも一角程度にしておいた方が良いと思いますが……」


「それもそうだね。ありがとう、参考にさせてもらうよ」



 そんな話をしているうちに、目下の戦闘は終わっていた。エクトの作り出した兵は人間の砦までたどり着いた所でぴたりと止まり、待機している。



「さあ、人間の砦の見学にでも行こうか」


「流石に危険だと思いますが……」


「僕も魔王様にいくつか護衛の兵隊をもらっているんだよ。それを連れて行けば問題はないさ」



 それだけ言うと、イサクトは楽しげにその場を去っていた。

 ハーミスはそれを見送った後、少しの間人間側の砦の向こう側を眺めていた。頭の中にあるのはミィナとユーミアの事だ。二人の無事を祈った後、ハーミスは行動を開始する。ミィナとユーミアを迎えに行く最低条件である、『人間の蹂躙』を達成するために――。

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