第09話 誘惑

”ミィナ様、エクトさんの所へは暫く行かないでください。暫くは一人の時間も必要ですから……”



 ミィナはそんな言葉を、ユーミアから何度も掛けられていた。だが、一か月を過ぎた頃にミィナはついに痺れを切らした。ユーミアが外出するタイミングを見計らい、エクトが暮らすテントへと足を運んだ。

 辿り着いたミィナは一度深呼吸をしてから、出来るだけ明るい声を意識する。



「エクト、ひさし――」



 そこまで言って、ミィナは言葉を失った。その視線の先にあるのは山のように積みあがった魔族の体だ。ミィナにはそれが全てエクトの父親であるグラスを模したものだと分かった。しかし、それらは魔族と呼べる形はしていても、まるで別物だった。どれも四肢の曲がる位置も方向も滅茶苦茶で、生き物と呼べる構造をしていなかった。



「……あぁ、ミィナか…………」



 エクトはゆっくりとミィナの方へと視線を向けた。その瞳に光は一切なく、目の下には酷い隈が出来ている。エクトの体の向こう側では何かが光を発していた。その光を、ミィナは一度見たことがあった。エクトが初めてスキルを発動させた時と同じものだ。

 やがてその光が収まると同時に、エクトはその体がふらりと揺れる。



「エクトっ!」



 ミィナは咄嗟にエクトの体を支えた。



「それより、自分の体を――」



 そう言いながら差し出したミィナの手を、エクトは強く弾いた。『それより』。その言葉が、今のエクトの癪に障った。エクトを心配する者ならば誰でもそう言うだろう。だが、エクトの中で父親を生き返らせることの優先順位は、エクト自身の体よりも遥かに上だった。

 それでも、エクトが心配でならないミィナは食い下がる。



「だって……だって、エクトが倒れたら意味ないじゃん! だから――」


「ミィナには分からないだろっ!」



 突然エクトが発した大きな声に、ミィナは委縮する。その時ミィナが見たエクトの表情は悲しさと怒りが入り混じったものだった。今、エクトの心は帰ってこなかった父に対する悲しみと、力をうまく扱えない自分に対する苛立ちで溢れていてそれ以外のモノが入る余地が無かった。それはまるで何かを必死に拒絶し、余計なことを考えないようにしているように。

 このままではいけない。ミィナはそう思った。



「ご、ごめん……。でも――」



 どうにかしようと考えながら言葉を紡ごうとしたとき、ミィナの肩に手が置かれる。



「ミィナ様、落ち着いてください」



 気配もなく突然現れたユーミアに驚きつつも、ミィナは不満げな表情を浮かべた。ユーミアがエクトの状態を知っていたことを察したからだ。ユーミアに驚いた様子は一切なく、寧ろ哀れむような瞳をしていた。



「エクトさん、お邪魔をしてすみません。ミィナ様はすぐに連れて戻ります。それと、今日の分の食事はここに置いておきますから、きちんと食べてください」



 ユーミアはそれだけ言うと、その場にバスケットを置いてミィナの手を強引に引っ張って外へと出た。



「……ユーミア、知ってたの?」


「はい、知っていました」



 知っていた上で、ミィナには近づかないように言っていた。



「それならなんで言ってくれないの? あのままじゃエクトは――」


「では、ミィナ様ならどうにか出来るのですか?」



 ユーミアはぴしゃりとそう言った。

 ミィナはその言葉に答えることが出来なかった。先程どうにかしようと試みて、逆に激昂させてしまったところだ。



「今、エクトさんに対して私たちが出来るのは餓死しないように食事を提供するぐらいです」


「それなら私に言ってくれたって――」


「お優しいミィナ様なら、それを知れば会いに行くでしょう。ですが、これは優しさだけでどうにかできる問題ではありません。ティックさんが何度も危険を冒して話をしに行っていますが、それでも何の改善もされていません」


「……危険?」



 魔族の中でもスキルを発現している者はいる。

 だが、エクトのそれは過去の情報からは推測できないようなものだった。



「ティックさんが最初会いに行ったとき、先程のミィナ様と同様ににエクトさんを激怒させてしまったのです。それと同時に、ティックさんは他の場所へと移動させられました。恐らく、エクトさんの持つスキルの力でしょう」



 それは何の前触れもなく、エクトから突き放されるように実行された。まるで、エクトがティックとの間に距離を作り出したかのように――。



「エクトさんのスキルは未知の部分が多すぎます。今のところは平面でしか移動させられていませんから、ティックさんも大きな怪我はしていません。しかし、その場所によっては命を落としかねません」



 まだ扱いなれていないのか、その距離も方向もその時によって異なる。しかし、仮に上空や地下へと移動させられることがあれば軽いケガでは済まない。



「エクトがそんなことするはずが……」



 そんなことをするはずがない。ミィナはそう言い切れなかった。エクトは父親であるグラスが戦場へと向かってからどこか不安定だった。その時のエクトの事を、近くで支えてきたミィナは誰よりも知っている。だが、今のエクトは当時以上に不安定になっている。グラスがそれを望んでいないことに気が付けないほどに――。



「ミィナ様、私はその優しさも考えも正しいと思います。ですが、今はこらえてください。それだけではどうすることも出来ない時だってあるのです」



 ミィナは何も言い返せなかった。今のエクトを、自分でどうにか出来ると思えなかったから。

 そんなミィナの表情には悔しさと悲しさが混在していた。その瞳には今にも零れ落ちそうなほどに涙が満ちている。そんなミィナを、ユーミアは優しく抱きしめる。



「ミィナ様は何も間違っていません。ただ、この世界は正しいだけではどうにもならないこともあるのです」



 例え正しい思想だとしても、それがまかり通らないことは珍しくない。それらは力や権力があれば、ほとんどの場合においていとも簡単に捻じ曲げることが出来てしまう。

 魔王という逆らうことが出来ない存在によってグラスの命は途絶え、エクトは正気を失うほどに傷心し、それに呼応するように力に目覚めた。どこの部分をとっても、ミィナにそれを阻止することなど不可能である。





 数日後、エクトの元に魔王からの使者が送られてきた。

 使者たちはエクトのテント内に積み上げられたものを見てにやりと笑う。それと同時に、代表者らしき男が口を開く。



「初めまして、私の名前はイサクト。エクト君、私たちの所へ来ないかい?」



 イサクトはエクトの創造物に人差し指を向け、言葉を続けた。



「それ。君一人では完成させられなくとも、私たちとなら完成させられるかもしれないよ」

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