復讐の鬼

<七人殺しの役童>と呼ばれた元死刑囚、役童強馬えきどうきょうまは、ある山間やまあいの集落で生まれ育ち、そして死刑台でその人生を終わらせたといいます。


役童強馬の生い立ちは大変に不遇なものであったようです。彼の母親はその集落において代々蔑まれる家系に生まれ、また集落の外から来た父親も余所者として疎まれ、役童強馬は生まれた時から蔑まれ虐げられる境遇にあったようですね。


これにより恨みを募らせた役童強馬でしたが、それでも時代の変化にそって表面上は苛烈に虐げられることはなかったようです。


あくまで『表面上は』ですが。


彼自身は無口で必ずしも人付き合いの上手い方ではなかったそうでありつつも、その一方で大変に恵まれた体格をしていたこともあって柔道の才能に恵まれたらしく、小学校の頃には既に<神童>と称されるまでになったとのことでした。


中学でもその才能はいかんなく発揮され、県の代表に必ず選ばれるような選手だったのだとか。


高校へもその才能を見込まれて県でも有数の柔道部を擁した学校へ特待生扱いで入学できたそうです。


しかし、彼の出生にまつわる<いわく>はその後も付いて回り、オリンピック選手を選考する大会において、非常に疑義のある判定が行われ、彼は代表選手の座を逃してしまったのです。


それでも役童強馬は審判の判定は絶対だとしてそれに従ったそうです。


ただし、そうまでして彼から代表選手を座を奪った相手は、実際のオリンピックで不甲斐ない結果に終わったとのこと。


それもまた、彼の心に暗い影を落としたのかもしれません。


その後、彼は、柔道での活躍を認められて地元で就職も果たし、職場で出逢った女性と結婚もし、男児を設けたと資料にはあります。


彼はやはり無口で決して要領がいいとは言えなかったようですが仕事は大変に真面目にこなし、上司からの信頼も厚かったといいます。


にも拘らず、ある年、彼の母親が病死したことをきっかけに、それまで抑えに抑えてきたものが一気に爆発してしまったようでした。


しかも、彼の母親の死は、母親が住む集落で医院を営んでいた医師の、あまりにも杜撰な、医療を志すものであれば学生ですらしないようなミスによるものが原因であり、さらにはそれにとどまらず、地元では絶大な力を持つ家系だったこともあってか悪質な医療事故として立件すらされず、謝罪さえなかったそうです。


それどころか、支援者が集まった席で、その医師は、


「あんなゴミに我々が支払った年金保険料から年金が支払われることを考えれば、我ながらよくやったと思うよ」


とまで発言したとか……


かくして役童強馬がそれまで募らせてきた憎悪はついに閾値を超え、彼は<復讐の鬼>と化したのでした……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る