手前勝手

他人を嘲笑うような人が困っていたとしたら、あなたは素直に『助けたい』と思えるでしょうか?


いえ、思えるという方は、素直にそうしていただければいいのです。ただ、そう思えないとおっしゃる方は、ご自身は誰かが失敗した時にそれを嘲笑ったりしていないでしょうか?


他人の失敗を嘲笑いながら、それでいて、自身が何か困ったことになった時に誰も手を差し伸べてくださらなかったとしたら、そのことについて嘆いたり不満を抱いたりしないでしょうか?


自身は、他人の失敗を嘲笑うような方が困っていても助けたくないと思いながら、他人の失敗を嘲笑ったりしていないでしょうか?


そういうのを<手前勝手>というのではありませんか?


『そんなの、みんなやってることじゃないか!』


とおっしゃるかもしれませんが、決して『みんな』じゃありませんよ。しない人はしないのです。ヒロ坊くんやイチコやお義父さんや山下家の方々のように。


また、千早も今ではそれは好ましくないと理解していますし、カナやフミも、以前はそういう部分もあったものの、それが自分の利にならないと理解しています。


そして私も。


だから私達は、こうして互いに寄り添い合うことができるのです。


これを知ってしまった以上、かつての私に戻ることはできません。


他人を見下し、蔑み、嘲笑っていた頃の私には。


これは、『善人になる』とかいう綺麗事ではないのです。こうすること自体が自らの<利>になることが分かっているからそうするという、利己的な判断故のことなのです。


他人のためなどでは、決してない。


だからこそ、それを貫くことができる。


利他的に生きることは難しいでしょう。辛いでしょう。苦しいでしょう。


でも、自分のためにすることが結果として他人の利にもなるとなれば、それは比較的、実行しやすいのではないですか。


互いに気遣うことが結局は自分のためになるというのが実感できる関係。


それが、今の私達なのです。


だから、一緒にいることが苦にならない。


<家族>がそうであれば、とても楽に生きられるとは思いませんか?


ただ、分かっていてもそのようにできないというのも<人の業>なのかもしれませんが。


それでも私は、イチコを嘲笑わずにいられるようになったことで、この輪に加わることができました。自身が自らを変えていかなければ、今の状況を変えることはできません。


他人が何とかしてくれることを期待してていいのは、それこそ子供のうちだけでしょう。


私はそれを思い知らされたのです。


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