些細な失敗
「ふわ~っ……」
館に入ると、吐息のような声が聞こえてきます。
沙奈子さんでした。それと同時に、絵里奈さんと玲那さんが何かを探すような仕草をしたのが分かりました。
「この屋敷は完全に洋風のそれを再現していますので、靴のままおあがりください」
アンナがそう言うと、
「あ、そ、そうなんですね…」
お二人は顔を真っ赤にして応えます。むしろこの反応はこの館に初めてきた方なら当然のことなので、私は気にしません。
フミも同じ反応をしましたし。
世の中には、他人のそういう些細な失敗などをことさらあげつらって笑いものにする方がいらっしゃいます。
私にはそういう方の考えが理解できません。
御自身はそのようなことをされて嬉しいのでしょうか? もし、嬉しくないとおっしゃるのであれば、どうして自身がされて嬉しくないことを他人に対してなさるのでしょうか?
先にやられたから?
先にやられたからやり返しただけとおっしゃるのですか?
それはもしかしたら相手も同じように思ってらっしゃるのではないですか?
どちらが<先>など、本当に確かめられるのですか?
私はこれまで刑事裁判の資料をいくつも読み込んできましたが、ごく一部の例外を除いて、その殆どで被告、つまり加害者側は、被害者側にこそ責任があると、被害者が先に自分に対して不法な行為を行った故に、その仕返しとして、報復として、復讐として今回のことを起こしたに過ぎないと主張しているのが常でした。
しかしそれを理由に無罪になった事例は、私が読んだ中では一件しか該当するものはありませんでしたね。
日本において無罪判決が出る事例は稀有であると言われますが、まさにその通りだと思います。
かように、『やられたからやり返しただけ』という理屈は通用しないのです。
でなければ、玲那さんの事例において、執行猶予付きとは言えど有罪判決が出る筈がありません。
他人を嘲笑う方は、自身が同じように嘲笑われることについて異を唱える資格がないのでしょう。
いえ、言うのは勝手ですが、その理屈は通らないと考えた方がいいのでしょうね。
もっとも、そういう方にはこの私の言葉もきっと届かないのでしょう。
『やられたからやり返しただけ』
という論理を信奉なさる方には。
もはや狂信ですね。
自身がストレスの原因を作っているのだということさえ気付かない。
このように、日常の些細な出来事の中からさえ、多くを学ぶことができます。
かつての私はそれに気付くこともなかった。今ではそれを恥じずにはいられません。
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