それが彼の選択で

「沙奈子もいつかはこうやって僕や絵里奈以外の人と人間関係を築いていくんですね」


ヒロ坊くんや千早、そして沙奈子さんの様子を見ていた時、山下さんがしみじみと呟くように言いました。


確かに、普段の外出では常に山下さんの傍に寄り添っている沙奈子さんが、今日はヒロ坊くんと千早と行動を共にしているのです。


これは、海に行った時もそうでしたが、沙奈子さんにとってはむしろ例外的な行動だと思われます。しかし成長と共に<例外>だったそれが徐々に増えていき、やがて山下さんの下を離れていくのかもしれません。


それこそが、<巣立ち>、<親からの自立>なのでしょう。


この世で山下さんだけが味方であった沙奈子さんに、山下さん以外の<味方>ができつつあるとも言えるのでしょうか。


それにヒロ坊くんや千早が関われているということが、私にとっても誇らしく思えます。


「大丈夫? 疲れてない?」


会場内を一通り廻ると、ヒロ坊くんが沙奈子さんにそう尋ねました。そんな気遣いが当然のようにできる彼に、胸がキュンとなります。


私以外の女性を気遣ってるのですから、普通だとヤキモチを妬いてしまうような状況なのかもしれませんが、彼がただ友達として沙奈子さんを気遣っているのがしっかりと伝わってくることで私は嫉妬せずに済んでいるのだと分かります。


翻って、だから分からないのです。自身が交際している相手がただ知人を気遣ったりすることに嫉妬する人の気持ちが。


そんなに自分が心を寄せている方のことが信用できないのでしょうか?


そんなに信用できない方を好きになったのでしょうか?


とても不思議です。


私も、以前はヒロ坊くんの一挙手一投足に一喜一憂していたのは事実です。


でも今から思い返せば、それは、彼のことを信じ切れていなかった、彼のことを分かっていなかった、自身が彼に受け止めてもらえているという実感が十分になかったからこそのものだった気がするのです。


けれど今では、そんな些細なことでは揺るがないというのが実感できています。


それが心の余裕を生んでいるのでしょう。


千早や沙奈子さんを<恋のライバル>と見做して浮ついていた頃がもはや懐かしい。


ただ、同時に、今のこの関係が永久不変のものであると盲目的に信じることもありません。


もしかしたら、彼に、私以外の好きな人、いえ、今現在では私はまだ彼の<恋人>としては認識されていないので、それは心変わりというものではないでしょうが、別の女性を好きになってしまう可能性も否定はできないのでしょう。


そんなことを思えば体からサーッと血の気が引き、腰から下に力が入らなくなる感覚があるのも事実ですが、その一方で、それが彼の選択であるのなら受け入れることができるような気持ちもしているのでした。


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