矛盾する二つの事柄

『自身の気持ちに素直になる』


という言葉は、とても魅力的に聞こえます。


自身の行為を後押ししてくれるようにも思えることでしょう。


でも私には、それこそが<落とし穴>のようにも思えるのです。


それを真に受けて自らの中にある攻撃的な本性に正直になったことにより<事件>となった事例が、いったい、どれだけあるのでしょう。


カナのお兄さんの事件など、『自分に正直になった』例の最たるものではないでしょうか?


ストーカー行為なども、『自分に正直に』なればこその事件ではないでしょうか?


そう。正直になることは、必ずしも良いことではないのです。


それを考えると、『自分に正直になるべきだ』的なことを無闇に大きな声でおっしゃってる方は、自身の行為を正当化する為にそんなことをしているのでは?と勘繰ってしまいます。


そうではないのだろうと思いたいのですが……


ゆえに今の私は、自分の気持ちに正直になろうとする時、それが誰かを傷付けようとする行為ではないかという点に注意を払おうと思っているのです。


そして私が素直になることで誰かが傷付く可能性が高いのならば、慎重になるべきだと思っています。


無論、だからと言って何もかもを押し込めてしまうのは、それ自体がまた危険の種を植えることになるだろうと考えますので、これについてもまた、慎重にならざるを得ません。


無理に押し込め続けたことによりいつかそれが爆発してしまうということもあるでしょうし。


だから、無制限に自分に正直になるのも、逆に自分を抑え付けすぎるのも、どちらも同様に危険だと考えます。


ゆえに考えるのです。


この矛盾する二つの事柄についていかに折り合いをつけるべきかを。


その答えを探す為に、人間には高度な思考力が備わっているのではないでしょうか?


考えることを放棄してしまっては、人間は人間であることを放棄するにも等しいと感じます。


一方で、考えるのではなくただ感じることが必要になる場合もあるのでしょう。しかしそれも、常にそういう状態である訳ではないはずです。


今が考えるべき時なのか、それとも考えるのではなく感じるべき時なのか、それを判断するにも考えなければいけないでしょう。


結局、人間は考えることを放棄はできないのでしょうね。


それに倣い、私も常に考えます。ここは正直になってもいいのか、それとも正直になってはマズいのか。


私はヒロ坊くんが好きです。愛しています。


しかしそれは、彼が幸せでないと意味がないのです。私が幸せである以上に彼が幸せでないと、私の幸せもないのです。


その為には何が必要なのかを、私はこれからも考え続けたいと思います。


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