アクシデント その3

『ここは私に預けていただけませんか?』


という私の申し出に、


「あ、いえ、そういうわけには…」


と恐縮するドライバーでしたが、突然、


「パアン!」


というクラクションの音がその場に響き、そちらの方に全員が目を向けました。見ればタクシーの後ろに自動車が一台、近付いてくるのが分かります。


「大丈夫ですよ。会社の方には私から説明させていただきます。それより、通行の邪魔になりますから、移動させないと。あと、これで清算をお願いします」


と言ってカードを渡すと、ドライバーは急いで近付いてくる自動車に対して頭を下げながらタクシーに戻り、道路の端へ寄せて止めなおしました。すると辛うじて自動車が通れるだけのスペースが空き、先に行かせることができたのでした。


私は石生蔵さんの手を取り、一緒にタクシーに近付いて清算を終えたカードを返してもらい、改めてお願いします。


「後のことは私に任せていただけませんか?」


するとドライバーは恐縮しながら何度も頭を下げ、タクシーを走らせ去っていきました。


「……」


「……」


残された私と、顔を逸らし私を見ないようにしている石生蔵さんは、手をつないだまま微妙な空気を漂わせ、少しの間そこに立ち尽くしていました。


だけど私がこんなことをしたのは、彼女がタクシーの前に飛び出したことが理由ではありません。タクシーを降りて改めて彼女の顔を見た時に、気になることがあったからです。


よく見ると彼女の左の頬が少し赤くなり、しかも泣き腫らしたような目をしてることに気付いてしまったからなのでした。


『こうしているだけじゃダメですね……』


まだ微妙な空気感は続いていましたが、私は彼女に向き直って、イチコがそうするように片膝をついて視線の高さを合わせて、静かに語り掛けるように言いました。


「びっくりしましたね。本当にどこか痛いところはないですか?」


「……!?」


彼女は驚いたように私を見て、それから小さく頷きました。


「そうですか、それは良かった。でも、どうして泣いていたんです? 何か辛いことがあったのですか?」


そう問い掛けたその時の私は、自分でもイチコのようだったと後になって思います。


そして、その言葉がきっかけになったかのようにポロポロと大粒の涙をこぼし泣き始めた彼女を、自分でも無意識のうちにそっと抱き締め、背中をトントンと叩いていたのでした。


しばらくそうしてようやく落ち着いてきた彼女に、


「ヒロ坊くんのところに行こうとしてたのですか?」


と訊くと、彼女はまた小さく頷きました。


「じゃあ、一緒にヒロ坊くんのところに行きましょう」


私が立ち上がって彼女の手を取り歩き出すと、彼女も黙って従ってくれます。


彼の家が見えるところまで来た時、この前の水曜日と同じように、彼が家の前で一人でボール遊びをしているのが見えました。そして彼も私達に気付き、


「いらっしゃい、ピカちゃん。あれ? 石生蔵さんも一緒だったんだ? こんにちは」


といつもの笑顔を見せながら出迎えてくれたのです。


でも、それだけではありませんでした。石生蔵さんの様子がおかしいことに気付いたのか、彼は彼女の顔を覗き込むようにして見て、


「石生蔵さん泣いてたの? 大丈夫?」


と言いながら彼女の頭をポンポンとしたのです。


それを見て私は、やはり彼に惹かれたのは正しかったと思いました。彼はまだまだ子供ですが、こうやって人を労わる気持ちを既に持っている人なのだと改めて感じたのでした。


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