呉越同舟 その2
抗議の意味も込めてイチコを見詰めた私に対し、
「そうなんですか。この前、急に私の前にあらわれて『負けません』とか言うから、ヘンシツシャかと思いました」
『な、なんですってえ!?』
思わず頭に血が上りそうになります。
―――――ですが…ここは抑えなければなりません。
相手は小学四年生の小さな子供です。六歳も年上の者として大人げない真似はできません。ですが、
『この目……子供のそれではありませんね。まぎれもなく<女>のそれです……!』
そう。私に向けられたその視線は、明らかに敵愾心をむき出しにした<女>の目だと思いました。やはりこの女、油断なりません。ここはひとつ、年長者としてガツンと言っておかなければならないでしょう。
「いえいえ、私はあなたが彼に意地悪をしていると聞きましたので、家庭教師として忠告させていただいただけですよ。仲直りしたのでしたら結構なことですが」
そう言ってたしなめるように一瞥をくれてやりました。なのにこの女ときたら、
「え~、でもそれだと、『負けません』っていうのはおかしくないですか?。そんなのウワキ相手が本命の彼女にケンカ売ってるかんじだと思います」
なんて言うんです。大人を舐めているとしか思えません。だから私はバシッと言ってやったんです。
「それは、あなたの様に性悪な人に彼は負けませんという意味ですよ。そんな浅知恵で相手を貶めようなんて世間で通用するとでも思ってるんですか?」
ですがその時、カーテンの向こうから、落ち着いた、でも有無を言わさぬ圧を感じる声が届いてきたのでした。
「ケンカなら他所でやってくれないか…?」
イチコのお父さんの声でした。けれどその時の声は、これまで私が聞いたことのないものでした。正直、かなり昂っていた私の感情に冷水を掛けるように冷まさせるのには十分な重みがありました。まさかイチコのお父さんがこんな言い方をするなんて……
その場にいた誰もが押し黙り、空気が固まる瞬間というものを私は実感したのです。
「すいません…」
重苦しい沈黙の中、私はようやく謝罪の言葉を口にしました。そうです。私達が楽しく過ごしている分にはお父さんも許してくださっていました。それはお父さんにとっても気に障るものではなかったからだと思います。でも険悪なムードを心地良いと感じる人はいないでしょう。ましてや自分が寝ている隣でなんて。
「ごめんなさい…」
私に続いて石生蔵千早も謝罪の言葉を口にします。
意外でした。生意気で性悪で目上の者に対する敬意のかけらもない彼女の口からそんな言葉が出るなんてと思ったのでした。
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