最終話 いつの日か、きっと
――それから、約1ヶ月。
5年前に起きた「シルディアス星人の災厄」を生き延びた、火鷹太嚨は。ごく普通の高校生として、朝の通学路を歩んでいた。
緑色のブレザーに袖を通す、颯爽とした黒髪の少年は、商店街を行き交う主婦や学生、サラリーマンの日常を眺めながら――人混みの中を進み続ける。
そんな彼が通りがかった街頭テレビでは、コメンテーター達による討論が繰り広げられていた。
『地球守備軍が大敗を喫した、シルディアス星人の厄災から今年で5年。軍備は当時の数倍になっているとのことですが、予算の無駄ではないかという声も上がっております』
『守備軍が創設されていなかった35年前も、5年前の災厄の時も。
『確かに星雲特警は、我らのヒーローでしょう。ですが、彼らはあくまで異星人。必ず我々を救ってくれる確証もない現状で、彼らに依存するのは危険……という見解もありますな』
『ならば、光楯以外の戦力を底上げするのが先。……なのですが、そんな機会は、もうない方がいいのでしょうなぁ』
――テレビの向こうで交わされる、そんなやり取りを一瞥しながら。商店街を抜けて住宅街に出た太嚨は、青空を仰いでいた。
全てを失う前……幼かった頃と変わらない、平和な景色。それは激戦と悲劇が絶えなかった宇宙での日々とは、まるで異なる別次元の世界だった。
それでも、たった1ヶ月である程度適応出来ているのは、やはりここが故郷だからだろう。例え何年離れようとも、太嚨は間違いなくこの星で生まれ育った地球人なのだから。
(……他の星でも、今はこうなんだろうか。……そうだといいな)
シルディアス星人が滅びたことで、全宇宙の治安は安定しつつあるのだという。
彼らの犠牲を払って得てしまった、この平和が……せめて、より多くの人々の幸せに繋がるようにと、少年は人知れず祈り続けていた。
――そんな彼が、横断歩道を視界に捉えた瞬間。
(……!)
ランドセルを背負った、小学生の少年。彼が横断歩道に入ったと同時に――信号無視のトラックが、迫ろうとしていた。
刹那。
その現場に通りがかった人々が、声を上げるよりも速く。少年を見つけた運転手が、急ブレーキを掛けるよりも速く。
……少年が、目の前の事態を飲み込むよりも速く。
かつて、最強の星雲特警だった男は――弾かれるようにアスファルトを駆け抜け、少年の体を攫っていた。
地球人の限界値まで鍛え抜かれた彼の躰は、少年を抱えながら軽やかに跳び上がり――横断歩道の向こう側へ、颯爽と着地する。
並外れた膂力が成せる芸当を目の当たりにして、助けられた少年はもちろん、周囲の人々も唖然となっていた。その英雄的行動に拍手が送られたのは、それから何秒も過ぎた後のことである。
「と、ともくん、ともくんっ!」
「あっ……お姉ちゃんっ!」
やがて、トラックから降りてきて頭を下げていた運転手を押し退けて――太嚨と同じブレザーを着た少女が、少年を涙ながらに抱き締めた。どうやら、少年の姉であるらしい。
家族と触れ合ったことで緊張の糸がほぐれたのか、少年も釣られるように泣き出してしまう。そんな姉弟を微笑ましく一瞥し、太嚨は立ち去ろうとする……のだが。
「あっ……ありがとうございます、ありがとうございますっ! ともくん……弟を助けてくれて! なんてお礼を言ったらいいか……!」
「はは、礼なんて別にいいですよ。その子が無事で、本当によかっ――!?」
顔を上げた姉に呼び止められ、振り向いた瞬間――言葉を失ってしまった。
シンシアがいたからだ。
……否、シンシアではない。それは、太嚨自身も頭で理解はしていた。
が、余りにも瓜二つだったのだ。くりっとした優しげな瞳も、穏やかな顔立ちも、ショートボブの黒髪も。さらには、声まで。
肌と眼の色を除けば、シンシアそのものと言ってもいい。それほどに似通った少女が、自分を真っ直ぐな眼差しで見つめていた。そんな眼も、ますます彼女を想起させる。
「……っ」
「えっ……あ、あの、どうかされたんですか? もしかして、どこかお怪我を……!?」
思わず視線を外し、俯いてしまう。悲痛に歪んだ顔を、隠すために。
だが、小柄な彼女は下から見上げたことで、その表情に気がついてしまった。胸に両手を当て、心配する彼女の優しさが――今の太嚨には、ただただ痛い。
「……大丈夫、オレなら大丈夫ですよ」
「えっ……?」
「今は無理かもだけど……きっといつかは、大丈夫。大丈夫だから」
やがて、痛みを噛み締めるように顔を上げた太嚨は。精一杯の「笑顔」で、シンシアに似た少女を気遣う。
その口から出た言葉の意図を見出せず、小首を傾げる少女。そんな彼女の表情を、微笑を浮かべて一瞥した後――太嚨は、踵を返して走り出した。
路傍に咲き誇る、一輪の蓮を通り過ぎるように。
「……それじゃあ、オレもう行きますね!」
「えっ……!? あ、あの、待ってくださっ――!」
再び呼び止めようとする少女に構わず、太嚨は通学路をひた走る。瞼を腫らす感情の波を、振り切るように。
(さらば涙、ようこそ笑顔――か)
その表情は悲しげなようで、優しくもあり……それでも確かに、笑っていた。
(シンシア。オレはいつか、きっと――)
彼の笑顔から、悲哀の色が抜け落ちる時。それは、果てしなく遠い未来なのだろう。
それでもいつか、その時が来れば。彼はようやく心からの笑顔で、あの少女と逢うことができるのだ。
誰かに嫌われたり、追われたりしない――幸せな世界で。
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