4−2 (刑事二人と秘密の部屋)

 クリスが貸してくれた部屋は秘密基地と呼ぶにはわかりやすく華やかで、エッジを内包した優美なレストランとはあらゆる意味で対照的だった。こちらが本来のクリスの趣味だろう。一つひとつの家具や小物はどれも質がいいものばかりで、全体で見るとちょっとばかり過剰。そして不思議とその予定調和から外れた部分が魅力的で、いかにも彼らしかった。

 でも――。

「何か心境の変化でもあったのかな」

 ぼくの独り言に、部屋を確認して回っていた刑事二人が振り返った。彼らに「なんでもない」と首を振り、改めて壁の上部に目を向けた。

 差し色にロイヤルブルーね。全体に深みが出て、いい感じじゃないか。

 友人の変化を心の中で祝福して、ぼくは重い椅子を引いた。すぐに刑事二人もそれぞれの席に腰を下ろす。

「話は料理が届いてからにする?」

「いや、始めよう。君がブリズベン工科大学を訪ねたことについてだ」

 ぼくは慎重に自分の感情を切り離して、刑事の言葉に集中した。タイミングから考えて、この話題である可能性だって考えてた。なぜ彼らが知っているのかという疑問については、ひとまず傍に置いておく。

 水の入った冷たいグラスから口を離して、ぼくは平然を装って頷いた。

「ああ、そのことね。そうそう、なりゆきでさあ」

「どんな成り行きだったんだ」

「たいしたことじゃないよ。それが知りたくて来たんだってんなら答えるけれど、今日の話はそれで終わりってことでいいのかな?」

 サムの眉が持ち上がり、鋭い眼光がぼくを突き刺した。どちらかというと細身な彼の体のラインが、倍に膨れ上がった気がした。彼は警察だ。この街の人々と治安のために、力を行使することが許されている。そのことを、たぶん初めて本気で突きつけられた。

 ばかなことを口にして逃げ出してしまいたくなったけれど、なんとか堪えてにこりと笑う。

「一番聞きたいことから聞いていこうぜ、サム。ぼくの時間だって限られてる。あんただって暇じゃないんだろう」

「大学を訪ねた目的はなんだ」

 ぼくの言葉に、サムはすぐに質問を切り替えた。どうやら、とりあえずはぼくに主導権を握らせてくれるつもりらしい。

「それが一番聞きたいこと?」

「そうだ。アラン・マクスウェル絡みか?」

「その質問に答える前に、ぼくからも質問がある。あんたたち二人はなんでアランの死に疑問を持ったんだ? あんたが言っていた不審な点って何」

 ぼく達の会話を見守っていたオリバーが、少し驚いたようにサムに視線を送った。その視線に気づいているのかいないのか、サムが表情を変えることなく淡々と答える。

「その質問には答えられない。理由は自分で考えろ、ルーカス」

 ということは、ぼくが自分で考えれば答えにたどり着けるのか。でも今は、いくらがんばってもそのことに頭を回すほどの余裕を絞り出せそうになかった。

 サムが続ける。

「……だが、おれ達が彼の死に疑問を持ったきっかけについては、おそらく君は自力でたどり着くだろうな。これは、ただの勘だがね」

 思わず真顔に戻ってしまった。わけがわからない。一体どういうことだろう?

「じゃあ、質問を替えるよ。あんたが、アランの死因をどう考えているのか教えてくれよ」

 ぼくの質問に、サムが肩をすくめた。呆れる様子もなく、ただ大きく息を吐き出して目を細める。

「本当に、その質問でいいのか。おれの意見など今の捜査段階では、論拠の弱いただの仮説に過ぎない」

 じっと目を逸らさないぼくの様子をしばらく窺って、サムは再びため息をついた。

「いいだろう。ただし、これが警察の見解だととられても面倒だ。誰にも話すな、お前の幼馴染にもだ」

「わかった」

 ぼくが頷いた瞬間、サムの目の奥がぎらりと鋭く光った。

「殺しだよ。自殺でも事故でもなくな。――どうした、これが聞きたかったんだろう」

「――サム!」

 オリバーが非難するように鋭く警部補の名前を呼び、その青年の声にぼくはいつの間にか自分が呼吸を止めていたことに気がついて、慌てて息を吸い込んだ。なにかが、ぼくの中でずるずると這いまわっているようだった。こめかみに鋭い痛みが走り、思わず視線を落とす。

「ルーク、水を」

「ありがとう」

 反射的にお礼の言葉を口にして、機械的に渡されたグラスを手に取る。オリバーは正しかった。冷たい水を口にして初めて、ぼくは自分の喉が一瞬にしてアタカマ砂漠並みに乾いていることに気がついた。

 グラスの水を飲み干し、ぼくは改めてサムに目を向ける。

「ぼくが大学を訪ねた目的が聞きたいんだっけ?」

「いや、こちらも質問を替える。君が大学構内で会った人物について教えてくれ」

 サムの質問に、ぼくは鼻じろんだ。最初の質問への答えは、ぼくの態度からもう見つけたってわけだ。

 ――あなたの尋問はまるでなっちゃいない。ぼく達から得る情報より、ぼく達に与える情報の方が多すぎる。

 頭の中でリフレインするヴィクトールの言葉を振り払い、ぼくは続けた。

「アランの友達だよ。もう話は聞きにいったんじゃないの? ぼくのところに押しかけたみたいにさ」

 それには答えず、刑事は取り出したデバイスをテーブルの上に置く。そこには、まだ見慣れたとは言えない三人の青年達の姿が映し出されたいた。葬儀の帰り際に写されたのだろう。暗い服を着た大学生達が、まさに一台の車に乗り込もうとしているところだった。

「友人達とは彼らのことか」

「そうだよ。捕まえて話を聞かなかったの」

「この時にはな。三人のうち二人からは事情聴取済みだ」

「ふうん」

「君が会ったのはこの三人で間違いないか」

「うん。それと、もう一人いた」

「それは――」

「次はぼくの番。アランが昔、もしかしたら今も暴力を受けていたことは、身体を調べたなら知ってるよね。前に聞いたことの繰り返しになるけれど、その傷と今回の事件は関係ないんだよな?」

 ぼくの質問に、少しの間沈黙が訪れた。唇を引き結ぶ警部補の視線から、ふっと鋭さが消える。

「……なるほどな」

 小さくつぶやき、サムがその視線をオリバーへと向けた。オリバーがうなずき、ぼくに向きなおってにこりと笑う。

「料理が届いたようなので、受け取ってきます。すぐに戻りますね」

 そう言って立ち上がり、青年は扉の向こうに消えた。それを見送って、警部補が口を開いた。

「被害者の受けていた暴力と今回の事件は関係がない。プロファイリングでもそう裏付けられている。それから、被害者の身体に最近のものと見られる暴力の痕はなかった」

 一息にそう言って、手元のグラスを手に取った。

「サム――」

「次はおれの番だ。君が会ったという、もう一人の人物について教えてくれ」

 ぼくが口を開く前に、オリバーとクリスが両手に料理を持って戻ってきた。ぼくとオリバーの前にそれぞれテンプラのセットが、サムの前にホットのグリーンティが置かれる。

 食欲はすっかりなくなってしまっていたけれど、とりあえずナスと思しき天ぷらを口にした。さっくりとした軽い食感で、じわりと美味しい。

 ナスを咀嚼ながら、ぼくはアランの高校時代の友人を思い浮かべた。カシム・ベン=アリ。正義感と優しさで暴走しがちな青年。彼ならきっと警察の事情聴取を迷惑に思いはしないだろう。むしろ、事件解決のためとあらば積極的に協力したがるに違いない。

 天ぷらを飲み込み、ぼくは口を開いた。

「ぼくが会った四人目は、アランの高校時代の友達だ。カシムって言うんだけど、アランの身体の傷のことがずっと気になっていたらしくて、ぼくの事務所に話を聞きにきたんだ。それで、アランの話を聞きに行くのについてきてほしいって」

 その答えの一体何がおかしかったのか、オリバーが喉の奥でくっと楽しそうな笑いを漏らした。その隣で、サムが眉間にくっきりと皺を寄せている。

「全く……一体何から質問すればいいのやら。君はわけが分からない」

「ぼくのせいじゃないだろ、これは! 近づいてきたのはあっちなんだから」

「そいつの連絡先は教えてくれるんだろうな」

「あんたの連絡先を、カシムに教えておくよ。あいつはきっと喜んで捜査に協力してくれる」

「それはありがたいことだ」

 非協力的なぼくへの当てつけなのだろう。皮肉げにそう言って、警部補が続ける。

「それで。まだこちらには聞きたいことがいくつかあるんだが、君はまだおれ達に聞きたいことはあるのか」

「……殺されたってことはさ、アランを殺した人がいるってこと? ――自分でも間抜けな質問だってわかってるから、そんな顔で見ないでよ」

 我ながらうらめしげなぼくの言葉に、サムが肩をすくめて小さく首を横に振った。

「別に、君をばかにしているつもりはない」

「よくある質問ですよ、ルーク。その受け入れがたいという気持ちを、ぼく達は蔑ろにするつもりはありません」

 思わず視線を落として、目についた天ぷらにフォークを突き刺した。そしてそのまま、スイートポテトを揚げたかたまりにかぶりつく。行儀が悪いって言われたって構うもんか。ほんのり感じる甘みに促されて、ぼくはぱくぱくと残りのかけらをすべて口に詰め込んだ。

 いつの間にか天ぷらとライスの半分ほどを空にしたオリバーが、ぼくの質問に答える。

「もしこれが本当に意図された犯罪なら、犯人はいるでしょうね」

「うん、そうだよね」

「ルーク。以前あなたが、アランが自身の性指向を悟るきっかけとなった人物について語ってくれたのを覚えていますか?」

 視線をうろうろさせながらおぼつかない表情で頷くぼくに、青年が続ける。

「神経質でヒステリックな牧師みたいな人物――あなたが教えてくれた、その人の人物像です」

 言われてみれば、確かにそんなことを言った気がする。

「あなたが会った四人の中に、その印象に近い人物はいましたか?」

 その質問に、ぼくは少し戸惑った。カシム、クロエ、ヴィクトール、イーサンの顔が脳裏を通り過ぎる。彼らの誰かが、アランが今好きな人である可能性を聞かれているのだろうか。

 そのお気楽な思考はすぐに、もっと現実的な考えに吹き飛んだ。違う。四人の中に犯人がいる可能性を遠回しに聞かれているんだ。

 途端に湧き上がった反発心を悪戦苦闘の末に抑え込み、ぼくは四人の言動や表情を今度はつぶさに振り返った。

「……いない」

「今、頭をよぎったのは誰の顔ですか?」

「ぼくの考えなんて、サムの見解の十億分の一程度の信憑性しかないと思うけど」

「そう謙遜するな、ルーカス。せいぜい百分の一程度の差だよ」

「わあ、それは自信を持っちゃうなあ」

 白々しいぼくの乾いた歓声に、警部補が鼻を鳴らす。

「まあいい。最後に、こいつの名前を教えてくれ」

 彼の指し示す人物を見て、ぼくは微かに眉を上げた。

「……イーサン? 彼のことはクロエ達から聞かなかったの」

「彼の名前については、少しばかり行き違いがあってな」

「ふうん。でも確かに、イーサンは他の二人ほどアランといつも一緒にいるってわけではないみたいだけど」

「彼のフルネームは知っているか? 連絡先は?」

「どっちも知らない。たぶんカシムは知ってるはずだから、聞いてみたら」

「分かった」

「一応言っておくけれど、物静かでおとなしい子だよ。少しばかり『物静かで大人しい』から逸脱したところもあるってだけで」

 ぼくの言葉に、オリバーがそのきらりとした黒目をぼくに向けた。

「なるほど、興味深い意見をありがとうございます」

「頼むからあまり参考にするなよ」

「わかりました。ついでに、神経質な牧師みたいな印象に当てはまりそうな人について、やはりあなたの意見を聞かせてはくれませんか?」

 ぼくは小さくため息をついて、エビの天ぷらにかぶりついた。この不思議な生き物の持つ独特の食感が、ぼくは嫌いではなかった。たっぷりとエビを飲み込むまでの時間を稼いでから、ぼくは口を開く。

「アランの現在の思い人である可能性も、アランに手をかけた可能性もないだろうけれど、強いていうならカシムはちょっとそのイメージに近いよ。もっとも、アラン本人はカシムのそんな一面を知らずにいたようだけど」

「なるほど……ありがとうございます、ルーク」

「ところで」それまで優雅に湯呑みを傾けていた警部補が、ぼく達の会話に割り込んだ。「なんだって君はその四人と仲良しグループを結成することになったんだ?」

「ああ、四人が揃って話を聞きにきたんだ。ぼくのことをアランの恋人だと思いこんでたみたいでさ。ブリズベンでインテリアデザイナーをしているルーク、で調べたら大当たりだったみたいで。それでなんか、ちょっと友達になったってわけ」

「……君は只者ではないな、ルーカス。どうしてそう、訳がわからないことばかりが君の周りで起こるんだ?」

「うるさいな。その質問で思い出したけど、あんたはなんでぼくが大学に行ったって知ってたんだ? まさかぼくのことを監視してなんかいないだろうな」

 ぼくの質問に、サムがそっけなく答えた。

「その質問には答えられない」

「またかよ! ぼくは質問に答えたのに!」

「悪いな。捜査に関わることだ」

「刑事なんて嫌いだ……」

 ぼくの言葉に、サムが唇の薄い大きな口をにやりと引き上げる。そしてその人相の悪い丸い目で、オリバーの天ぷらセットを見下ろした。ぼくが半分も食べ終わらないうちに空になっている。

 そういえば刑事時代のブライアンの食事スピードも異様だったな、なんてことを思い出していたぼくに、警部補が告げる。

「我々が聞きたいことは以上だ。君に質問がなければ行かせてもらうが」

「はいはい……全く、あんたはぼくの一日が良くなるよう祈りを捧げるべきだと思う。今から大事な約束があるのに」

 ぶつぶついうぼくの言葉に、椅子から腰を浮かせかけていたサムが身を乗り出し、じっと至近距離からぼくの目を覗き込んだ。どきりとするぼくの目をしばらく見つめ、刑事が顔を歪めて笑い声を落とした。

「カリーナのマリアか。――君は、本当に面白いよ」

 そう低くつぶやいて、警部補が立ち上がった。

「良い一日を、ルーカス。またすぐに連絡をする」

「冗談じゃない、もう来るな!」

 ぼくの悪態を背にドアの向こうに消える刑事と入れ替わるように、暇ではないはずのレストランオーナーがひょっこりと顔を覗かせる。

「やあ、密談は終わったようだね」

「クリス。この部屋ありがとね」

「どういたしまして。君の分の支払いは、ロビンソン氏がしていったよ」

「ふん、当然だ」

「大丈夫かい? なんだか厄介なことに巻き込まれているようだけれど」

 好奇心を隠しきれていない友人の問いに、ぼくは思い切り顔を顰めてみせた。そのしかめ面が面白かったのか、クリスが朗らかに声をあげて笑う。

 その笑顔に、ぼくはふと、この部屋に入った時に思ったことを口にした。

「クリス、最近何かいいことでもあった?」

 クリスが驚いたように真顔になる。心許なさそうに足を組み替えて、その困った顔をこちらに向けた。

「いいこと、いいことか……。君には、ぼくに何かいいことがあったように見えるかい?」

「うん。でも、ぼくにはそう思えたってだけだから」

「そうか……」

 そう呟いてほろ苦く微笑むと、男はいつもの人好きのする笑顔に戻って口を開いた。

「ねえ、やっぱりぼくは君にインテリアのコーディネートを依頼したいんだけど」

「……この秘密基地か君の家ならいいよ。レストランはちょっと難しいけど」

「ありがとう。約束だ」

 そう言い残して、改めてクリスが扉を閉めた。途端に静まり返った部屋の中で、ぼくは少し考えて、右手で残りのテンプラセットを食べながらラップタップを起動した。

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