3-6(赤毛同盟)
正直なところ、ぼくの興味はすでにあの悪意ある手紙から離れつつあった。
意外にもヴィクトールとカシムの関心を惹いてしまったようだけれど、ぼく自身は逆に、彼ら二人を含めたアランの友人たちに興味を持ち始めていた。個性的な子たちだ。ばかげた話だと自分でも思うけれど、彼らがどんなふうにアランと関わりを持っていたのかを知ることで、ぼくは、もう会えないアランに近づけた気がしていた。
真新しく無機質な白いイスに腰を落ち着けた瞬間、沈黙が訪れた。その沈黙を破ったのはカシムだった。
「改めて、今日は時間をくれてありがとう、イーサン」
いかにも誠実そうな声だ。先ほど一瞬だけ見せた警戒の表情はすでに跡形もなく消え去っていて、リネンの白シャツにふさわしい、いつもの人好きのする笑顔を取り戻している。
「メッセージでも伝えたけれど、アランについての話を聞かせてくれたら嬉しい」
カシムの言葉に、この国では珍しく重めに作られた赤い前髪の向こうで、イーサンがややうつ向き気味の視線をさらに下げた。
「何を……そもそもなんで、聞きたがる……」
「彼の死を、わたしなりに受け止めたいから」
「……たいして仲良くなかった高校時代の同級生の死を、わざわざ受け止めに来る必要はないのでは……?」
ぼそぼそとしたかすれ声で紡がれたその言葉の意味が分からなくて、ぼくは少しの間固まってしまう。ようやく彼の言いたいことを理解したぼくは、慌ててカシムの方へと視線を向けた。
聞いていないぞ、めちゃくちゃ嫌がられてるじゃないか!
ぼくの抗議の視線をよそに、あふれ出るイーサンの豊かな警戒心を予想していたのだろう。カシムが平然とした様子で笑みを深めた。
「わたしがそうしたいだけだから。わがままに付き合わせて申し訳ないと思っているよ」
「君みたいな人、どこにでもいるんだよな……」
そう小さくぼやいて、イーサンが——ぼくの聞き間違いでなければ——苦々しげに舌打ちをした。
嫌がられているどころか、敵意すら向けられてないか。
持ち上げた口角を引きつらせながら、ぼくはホワイトボードに張りついたミミズに目を向ける。『レポート期限木曜日』——なんだ。ミミズかと思ったらへたくそなアルファベットだった。
「……それで、君はアランの自殺の原因を探しているという認識でいいの」
「いや」ひやひやと見守るぼくを尻目に、カシムが淡い苦笑を閃かせつつきっぱりした様子で首を横に振った。
「むしろ、彼が幸せだったのだと思いたいのかもしれない」
「趣味、わる……自殺が受け入れられないから、彼が人に殺されるような人間だった理由を探すとか……」
「イーサン。わたしは彼の死の理由を探っているわけではないんだ」
「……君に、その自覚はなくてもね……。ぼくやアランのようなタイプは、自分の周囲を人に嗅ぎ回られるのは苦痛以外の何ものでもないのに」
赤髪の青年の言葉に、カシムがふっと優しげに目を細めた。
「君とアランのようなタイプ? 失礼だけれど、一体君たち二人のどこに共通点があると——」
「ストーップ!」
ついにイーサンの敵意に触発され始めたカシムを、ぼくはやや強引に遮った。
「ぼく今無性にサンドイッチが食べたいから、一時中断を申し立てる」
「なんですって? 今からですか?」
「そう。さっきのカフェに買いに行く」
ぼくの言葉に驚きつつも、カシムは呆れたり引き止めたりはしなかった。ぼくが話を中断した意図がわかっているのだろう。
「場所は、わかりますかね……」
おずおずとした様子の赤髪の青年の言葉に、ぼくは首を横にふる。
「迷うかも。——君の時間をもらっているのに、ごめんな。もしよければ、さっきのカフェまで付き合ってもらえない?」
とりあえず一旦二人を引き離さなきゃ、と思って口にしたお願いに、イーサンがぎょっと身を震わせた。カシムへみせるような敵意は今のところ感じないけれど、少なくとも心を開いてくれている様子はない。
「わたしが行きますよ」
見かねたらしいカシムが、立ち上がりながら申し出る。
「ありがとう。ブラウニーおごるよ」
「ありがとうございます。ホットサンドと紅茶でお願いします」
「また食べるのか……まあ、いいけどね」
そのやりとりを黙って聞いていた赤髪の青年が、扉に向かって歩き出したぼく達の背後でかたりと控えめに椅子を鳴らした。振り返ってみると、彼がのそりと立ち上がるところだった。
「やっぱり、ぼくが行きます……」
「いいの?」
「今日の話の見返り、ブラウニーなら悪くないかも」
意外とちゃっかりした青年だ。嫌いじゃない。
「コーヒーもつけるよ」
ぼくの言葉に、イーサンが今日初めてほんのりとした笑顔を見せた。
「……あそこのコーヒーいまいちだから、アイスのカフェラテがいいです……」
「はいはい」
イーサンに苦笑を返して、ぼくは彼と連れ立って教室を出た。
ドアが閉まった瞬間、ぼくは我慢できずにさっそく 彼に向かって切り出す。
「なあ、君さ。カシムとなんかあった?」
ぼくの半歩後ろを歩く青年が、唖然とした様子でぼくを見下ろした。——信じられない、普通そんなに直球で聞くか? 頭がおかしいんだろうか——表情は乏しいのに、彼のそんな思いがありありと伝わってくる。
イーサンはしばらくおしだまったままぼくの様子をうかがった後、しぶしぶと口を開いた。
「……別に。彼のような人間が、昔から苦手なだけですけど……」
「おせっかいな人間ってこと? それとも強引なところが苦手とか」
「いや……」
「説教くさいところ? 絶対に自分の意思を曲げないところ? 白シャツなところ?」
ぼくの言葉に呆れたように何かを言いかけ、イーサンはそのまま口を閉じた。改めて口を開いてぼそぼそと答える。
「ああいう、いかにも集団の中心にいるタイプで……」
「うんうん」
「……そのことになんの疑問も持っていなさそうなやつ」
「はあ、なるほどね」
確かに、意識することなく自然とまわりから一目置かれそうなやつだ。実際、高校時代はいつも学校の中心だったって、アランも言ってたし。
とりあえずあの坊やがイーサンに対して何かをしでかしたわけではなかったようで、ひとまずぼくは胸をなで下ろした。
「それにしても、よくカシムのお願いを聞く気になったね」
先程の、彼のカシムへの態度を思い出し、ぼくはついにやにやと笑った。
「あいつのこと、苦手なんだろ。断ろうとは思わなかったの?」
純粋な好奇心で聞いてみただけだったけれど、ぼくの言葉にイーサンはやや警戒するように視線を落とし、顔をこわばらせた。
少しの間もごもごと言葉未満の何かを口にし、ややあって諦めたようにため息をつく。
「……アランの話を、誰かとしたかったので……」
「物理学生二人組じゃない誰かと?」
ぼくのと言葉に、伸びていた姿勢を少し前傾させ、イーサンが頭をゆらゆらさせた。
「……あの二人は、強すぎるから……」
思わず青年を見上げた。ぼくの視線に気がついて、イーサンが嫌そうに目を逸らす。
そんな彼の様子をしげしげと見つめ、ぼくは思わず感嘆のため息をついた。
「まあ、言いたいことはわかるよ」
「えらそう」
「ごめんよ」
「……あなたはこちら側だね……意外だけど……」
そう言って、イーサンは気が抜けた様子で肩をすくめる。
その後は特に会話らしい会話もなく、ぼく達はカフェでサンドイッチとブラウニー、クッキーとスナック、そしてそれぞれの飲み物を買い込んで教室に戻った。ぼくとイーサンが抱えた食料の山を見て、カシムが顔を輝かせる。
テーブルと椅子を並べ替えた時よりも遥かに積極的な二人の手によって食料が振り分けられ、先ほどよりかは多少なごやかになった雰囲気の中でぼくは口を開いた。
「それにしても、イーサン。君が一時間も自分の赤毛について語ったって本当? 君の口数からうまく想像できないんだけど」
「その話……忘れてください……」白い包装紙でブラウニーを巻き直し、そのままかぶりつきながらイーサンがぼそぼそと言った。「共通の話題がなさすぎて、どう二人の時間を過ごせばいいかわからなかっただけですし……」
「二人でいることは少ないんだ?」
サンドイッチとコーヒーに交互に口をつけ、今度はカシムが口を挟む。聞かれたイーサンが一瞬だけ彼に視線を投げ、右手首を自分の左手で軽く引っ掻きながらかすかに頷いた。
「……たいていは、間にヴィックがいたからね……。ぼくもアランもクロエもみんな、それぞれヴィックに声をかけられなければ、接点もなかったし……」先ほどよりはずいぶんとトゲの取れた声で、イーサンがカシムに答える。「……ていうか、あいつがぼくの話を面白がっていたなんて意外なんですけど。ただぼうっと話を聞き流してるだけに見えたのに……」
「『ヴィクトールの赤髪はオレンジよりだから、真の赤毛は自分だ』って?」
アランから聞いた話を口にしてみると、やや日焼けした青年の顔が一気に憂いを帯びる。
「ホントにやめて……。うっかり口をついたただけで、そんなどうでもいいこと今までの人生で考えたこともない……」
唸るイーサンに笑ってカフェオレを勧めながら、ぼくは話題を変えた。
「そういえばさ、これは好奇心で聞いちゃうんだけれど、君とアランはどういうところが似てたの? ほら、さっき『自分やアランのようなタイプは』って言ってただろ」
ぼくの質問に、イーサンは困惑した様子でゆらゆらと首を振った。
「どこがも何も、見たままでは……? お互い人と積極的に話すタイプではないし……」
「確かに、高校でも彼は自分から誰かに話しかけにいくタイプではなかったかな」
行儀良くサンドイッチを咀嚼していたカシムもまた、先程の自分の意見を引っ込めてイーサンに同意する。
青年たちのそんなやりとりに、ぼくは紅茶をかき混ぜていた手を止めて顔を上げた。
「それなんだけどさ。アラン、ぼくの前ではめちゃくちゃ話してたぞ。このぼくが、アランと会う時はいつだって数時間は聞き役なんだから」
「ええ?!」
カシムとイーサンが飛び上がりそうな勢いでぼくを見る。心底仰天した様子のイーサンの表情がちょっと面白い。
「いや、彼の話から、普段はむしろおとなしくしているということは察してたけどさ。あれだけしゃべる子が、やっぱり人と話したがらないんだって聞いて少し驚いてる」
「まじか」
「うそだろ」
呆然と呟く二人の声に滲むくやしそうな色に、ぼくはほんのりと優越感のようなものを覚える。
「まあ、ぼくは共通の知人がいない相手だから、話がしやすかったのかも」アランの二人の友人に、ぼくはそれとなくフォローを入れた。「それに、ぼくはアランが大学生だってことも知らなかったし。さっき、彼がロボット工学専攻だって聞いて本当に驚いたんだ」
「それは、わたしも噂で聞いた時は驚きました」
「理由聞いた?」
「聞きましたが、はぐらかされました」
その会話をぼんやりと聞いていたイーサンが、ブラウニーの最後のひとかけらを咀嚼し、それを飲み込んで口を開く。
「……なんで、もなにもアニメの影響でしょ」
「え?!」
今度はぼくとカシムが声を上げた。それぞれの飲み物をしばし呆然と握りしめ、我に返って異口同音に叫ぶ。
「そうなの?!」
「うるさい……」
うんざりとつぶやき、イーサンが続ける。
「あいつの大学の知り合いはみんな知ってますよ……アランは、ロボットアニメ好きを拗らせた、重度のオタクだったから……」
「へええ」
「そうなのか……」
「……まわりがアニメやマンガの話をしてるときは、ちょっと機嫌いいんですよね……。たいていいつも不機嫌そうだし、話しかけるなって全身に書いてるようなやつだったけど、その話をするときだけは少し、壁がゆるむ感じ……」
「それは見てみたかったなあ」
「……別にあなたに対しては、壁はなかったのでは……?」
「彼の好きなことを、もっと聞いてみたかったと思ってさ。ぼくが聞いていたのは、どちらかというと少し暗い話が多かったから」
「……ヴィックの愚痴とか?」
「まあ、そんなところ」
その時、カップを両手で包んでおとなしく話を聞いていたカシムが、戸惑いがちに口を挟んだ。
「ええと、それって誰の話をしています?」
ごく真剣な青年の言葉に、ぼくは思わずまじまじと彼を見つめてしまった。
「おいおい、別にぼく達は時空を切り取ったりはしてないぞ」
「……アランの話に決まってる。頭は大丈夫か
その言い草にやや鼻じろんだ様子で口をつぐみ、カシムは諦めたように首を振って続けた。
「高校での彼は、大人しいけれど人当たりはとても良かったんですよ。誰に対しても穏やかで優しくて、彼が不機嫌なところなんて同級生は誰も見たことがないんじゃないかな」
イーサンの顔が不可解そうな表情に翳った。宇宙人を見ている時とそっくり同じ顔で、青年が口を開く。
「……誰の、話をしている……?」
「先程の言葉をそっくり返すよ、
にこりと笑うカシムから、イーサンが苦々しげに目を逸らした。
「ちなみにさ、カシム。それ、君に対して限定の話じゃないよね?」
「そんなわけないでしょう」
呆れと困惑混じりの声。アランの自分への恋心に、青年は気づいてはいないようだった。それがアランにとって都合がいいことだったのか切ないことだったのかわからないまま、ぼくは目を伏せて手元の紅茶に微笑む。
「……いや、確かにいつも穏やかでご機嫌なアランは、ぼくもちょっと想像しづらいかなって」
やっぱりちょっともどかしいよな、と思いながらぼくは紅茶をまたひとくち口にした。それにしても、高校卒業・大学入学前後のアランの違いは興味深かった。ぼくの知っているアランはいつも何かに怒っていて、お世辞にも穏やかで親切な雰囲気は持ち合わせてなんかいなかった。もちろんその言動から、彼が優しくて純粋だということくらいはすぐに分かったけれど。
勇気を振り絞ってカフェ・レキサンドラに足を踏み入れたアラン。何かと複雑な感情をため込んでは、ぼくに連絡をしてきたアラン。日々の抑圧から逃れようともがいていたアラン。
ふと思いついた言葉を、ぼくはぽろりと口にする。
「……もしかして、遅れてきた反抗期?」
口にしてみてすぐにちょっと語弊があるかなと思ったけれど、ぼくの言葉にアランの友人二人は「それだ」と言いたげに、はっとぼくを振り返る。
「確かにあれは、本当にどうしようもないものです。あの時期は父親のただのつまらない話が、耐え難い拷問になる」
「……自分でも制御できない破壊衝動の表れが、あのそっけない態度なら、むしろ自制心を誇っていい……」
しっかりと成長のプロセスをたどったらしい若者達が真顔で頷いていて、ぼくは少し慌てた。そもそも、反抗期って人の人格を変えるほどやばいものだったっけ。今となっては遠い昔の自分の学生時代を振り返ってみる。自分の住環境に反抗して、がむしゃらに掃除していた記憶しかない。
自分と彼らの年齢差を思い知らされていたぼくの隣で、カシムが自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「そうか、反抗期か。そうか……」
「本当にそうだったと決まったわけじゃないぞ。アランの名誉のために言っておくけどさ」
「そうですね」
そう笑って、カシムは丁寧な仕草で残りのコーヒーを飲み干した。その様子を見ていたイーサンが、もの言いたげにぼくに視線を投げる。
この二人、実は気が合うんじゃないかな。
自分もまた紅茶の最後の一口を飲み干しながら、ぼくはそんなことを考えていた。
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