E-9「フィリップ6世」

 それは、久しく耳にしなかったラッパの音だった。


 状況は全く理解できなかったが、とにかく、総員配置につけ、だ。

 僕は王立軍に所属する兵隊である以上、号令に従って自分の配置に駆けつけなければならない。


 僕の配置とは、言うまでも無く、戦闘機の操縦席だ。

 僕は最短の時間で全ての準備を整え、1秒でも早く離陸できる態勢を取らなければならない。


 だが、僕の出だしは、格好が悪かった。

 慌てて起き上がろうとしたせいでハンモックが大きく揺れて、僕は地面に放り出されてしまったのだ。


 ハンモックを張った位置が僕の腰の高さほどの位置で、下が草の生えた柔らかい地面で無かったらきっと、痛いだけでは済まなかっただろう。


 ライカの見ている前で、何てかっこ悪いんだ!


 だが、僕にはそうやって悔しがっている時間も、痛がっている様な猶予(ゆうよ)も無い。

 とにかく、僕とライカは、全速力で格納庫へと向かっていった。


 一体、何が起こったのだろうか。

 考えたくないことだったが、また、敵襲だろうか?


 駐機場が見えてくる辺りまで駆けつけると、どうやら、僕の不穏な想像は全て的外れだったらしいということが分かった。

 何故なら、僕らの目の前で、駐機場に一度は引き出していたらしい僕らの機体を、整備班が格納庫の中へと戻している所だったからだ。


 不思議な状況だった。

 出撃で無いというのなら、どうして、総員配置などが号令されたのだろう?


 僕とライカはとりあえず出撃では無いと知って走るペースを落としたが、目の前で部隊の仲間たちが整列し始め、号令のラッパを鳴らしたらしいアラン軍曹がラッパを足元に置きながら僕たちに手招きをするのを見て、また走り出した。

 機体を格納庫にしまおうとしていた整備班たちも、作業を途中で放り出して列に加わっていく。


 見ると、整列しているのは、どうやら301Aのほぼ全員である様だ。

 ハットン大佐もいるし、レイチェル大尉やナタリア、ジャックやアビゲイルもいて、クラリス大尉やアラン軍曹、カイザーやエルザなど、みんなが整列している。

 まだそこに加わっていないのは、僕とライカだけだ。


 状況はまだ飲み込めなかったが、僕とライカはとにかく、列の端に並んだ。


 急に走ったせいであがってしまった息を整えていると、やがて、誘導路を数両の車列が走って来るのが見えた。

 僕らの基地、鷹の巣穴に配備されているジャンティで、オープンカータイプの先導車が2台に、屋根付きの高級将校向けの車が1台、そしてその後ろにもオープンカータイプのジャンティが2台、計5台の車列が走っている。


 どこかの高級将校でも乗っているのかと思ったが、車両に乗っている将兵の姿を見て、どうやらそういうわけでもないらしいと分かった。


 何故なら、車に乗っているのは、鮮やかな赤い色の肋骨服(ろっこつふく)を身につけた、近衛兵たちだったからだ。


 王立軍の中に編成されている近衛たちは、戦争中は状況に応じて他の将兵と一緒になって前線で戦うこともあったが、基本的には王とその血縁者たちを守るという任務についている。

 その近衛たちが周囲を固めているということは、今、整列した僕たちの前に走って来て停止した車に乗っているのは、王族ということになる。


 総員配置という号令ラッパが突然鳴らされた理由が、理解できた。

 恐らくは事前に何の連絡も無かった王族の訪問が行われたため、部隊を緊急に集める必要があったのだろう。

 総員配置という号令ラッパであれば、休日で周囲に散っていた将兵は全員、集めることができる。


 王が存在し無い連邦などではどうなのか分からなかったが、王国においては、国家元首としての地位にある王とその一族には、相応の敬意を示さなければならないということになっている。

 かつての絶対王政の時代の様に、不敬罪などが法律によって明確に定められているわけでは無かったが、王とその一族に対しては取るべき態度があるというのが、王国における常識だった。


 もし、王族による訪問を部隊が受ける場合には、その到着を部隊の総員が整列して出迎えることが当然だった。

 だから、号令ラッパという、強引な手段で僕たちを呼び集める必要があったのだ。


 だが、あまりにも急なことで、僕たちは何の準備もできていなかった。

 みんな服装はラフなものだったし、着崩していたり、汚れていたり、とても王族を出迎えるのにふさわしい恰好(かっこう)では無かった。

 しかも、僕らにとっての休日であったために、基地の外へ出かけている兵士たちもたくさんいるのだ。


 部隊の最高指揮官であるハットン大佐からして、そうだ。

 大佐は一応軍人らしい服装をしてはいたが、帽子も被ってはいないし、慌て駆けつけたのか服装が乱れてしまっている。


 僕なんて、下は作業服、上はシャツ1枚だけだ。

 不敬罪が存在していた時代なら、罪に問われても仕方の無い恰好(かっこう)だった。


 だが、僕らには落ち度など無い。

 王族を出迎えるのにふさわしい準備をしておくためには事前連絡が不可欠だったが、僕らは何も聞かされてはいなかった。


 服装が乱れているのだって、仕方がない。

 何故なら今日は僕たちの部隊にとっては休日で、それは軍からの正式な許可を得てのものだったからだ。


 向こうが、突然、何の事前連絡も無しにやって来たのだ。

 僕たちには咎(とが)められる様な落ち度は何も存在し無い。


 それでも、僕の心臓はドキドキとしていた。

 何しろ、イリス=オリヴィエ連合王国の王族をこの目で見るのは、生まれて初めてなのだ。


 僕が直接王族と会話をすることは無いだろうし、そんな機会は一生無いだろうはずなので僕がここで緊張する必要など全く無い。

 それでも、僕の心臓はその鼓動を速くしてしまう。


 やがて車の扉が開き、乗っていた近衛兵たちがきびきびとした動きで整列し、着剣した小銃で捧げ銃の敬礼を行う。


 それだけでも、これから僕らの目の前に姿を見せる人物が、よほどの立場にいるということが分かる。

 「全員、敬礼! 」というハットン大佐の鋭い号令で、僕たちも慌てて敬礼をし、とにかく車から降りて来る人物を出迎える姿勢を整えた。


 全ての準備が整うと、近衛兵たちの1人が屋根付きのジャンティの後席へと近づき、扉を開いて、恭(うやうや)しく頭(こうべ)を垂れる。


 そこから出て来たのは、金髪に碧眼の、まだ20代にしか見えない青年だった。

 近衛兵と同じ様な肋骨服(ろっこつふく)姿で、金髪をオールバックに整え、腰に黄金や宝石で装飾がされた剣を吊っている。


 整列している兵士たちの間に、無言のどよめきが起こる。

 何故なら、その青年が腰に下げている剣は、イリス=オリヴィエ連合王国の国家元首となる、王その人が代々受け継ぐとされている宝剣だったからだ。


 青年の姿にも、僕らは見覚えがあった。

 前王、シャルル8世が崩御し、その後継としてフィリップ6世が即位したことを王国中に知らせる新聞に載っていた写真の人物と、そっくりだったからだ。


 疑う余地は、どこにもない。

 僕らの王様その人が、目の前にいるのだ。


 フィリップ6世は車から降りると、整列し、直立不動の姿勢で敬礼する僕たちのことを右から左へと眺めた。

 恐らくは気のせいだったろうが、王の視線が、僕の近くで一瞬止まったような気がした。

 僕を見ていたわけではなく、どうやら、ライカを見ていた様子だ。


「おに……、いえ、王様が、どうして? 」


 ライカが、戸惑った様に、すぐ隣にいる僕ぐらいにしか聞こえない様な小さな声で呟く。


 それは、この場に整列している、301Aの仲間たち全員に共通する疑問だっただろう。

 僕たちはみんな、突然やって来たフィリップ6世を前にして、戸惑うことしかできない。


 ただ、1つだけ分かることは、このフィリップ6世の訪問が、僕らの平穏な日々を大きく変えるだろうということだけだった。

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