20-31「最後」
レイチェル大尉と雷帝は、空高く、グングン上昇して行った。
いつの間にか積乱雲がすぐ近くにまで迫り、その雲の壁を這う様に昇って行く。
僕の機体のエンジンが、過負荷に耐えかね、苦しそうに暴れている。
冷却液の温度が、激しい勢いで上昇し続けている。
ベルランD改Ⅱのチューンアップされたエンジンは、その力を解放して、流れ星が放つ一瞬の輝きの様に、その最後の力を振り絞っている。
僕の機体は最大出力を発揮して2機を追っているはずなのだが、不思議なことに、追いつくことができない。
エンジンの出力が十分に出ていないのだろうか?
僕は、スイッチを入れる順番を間違えてしまったのだろうか?
この、大事な時に!
僕は急上昇していく2機を観察して、そうでは無いと理解した。
レイチェル大尉も、雷帝も、上昇気流を捉えているのだ。
2人とも、風をうまく使いこなしている!
積乱雲は、地表の空気が太陽で熱せられ、強い上昇気流が生じることで生み出される。
時には高度10000メートルを超えるほど高く、壁の様に立ち上がる。
空気の流れは僕らの目には見えず、雲の周囲には乱気流が生まれていることも多いから、積乱雲が上昇気流によって作られるからと言って、そこに必ず利用できる上昇気流があるとは限らない。
乱気流に巻き込まれて機体がバラバラに引き裂かれてしまう危険があるし、積乱雲の中で生み出された雷に打たれる可能性だってある。
だが、僕たちはこの一瞬に、全てを賭けている。
王国の平和。僕たちの未来。
それを手にするために、レイチェル大尉は果敢に積乱雲を利用し、雷帝もまた、僚機を救うために危険を冒(おか)している。
あの2人に追いつくためには、ただ、積乱雲の乱気流を利用するだけではダメだ。
僕はすでに1歩、出遅れてしまっている。
もっと、強い風を捉えないと!
僕は自分の機体を積乱雲に、その中に突っ込んでしまうのではないかと思えるほど接近させた。
機体が、激しく揺さぶられる。
機体のリベットが引き抜かれ、全体がバラバラに引き裂かれてしまうのではないかと思うほどの揺れ。
僕の機体の表面を、紫色の光が走る。
積乱雲の中に蓄積された電気が僕の機体の表面を流れて発光する、セントエルモの灯などと呼ばれている現象だった。
だが、そこには、雲の表面よりもさらに強い上昇気流があった。
僕の機体はその強烈な風を捉えて、先を行く2機へ向かって押し上げられていく。
普段なら、こんな飛び方は絶対にしない。
少し操縦を間違えれば簡単に大事故になってしまうし、機体も、こんな使われ方をする様には作られていない。
パイロットが学ぶのは第一に「安全な」空の飛び方であって、こんな、何もかもを危険にさらす様な飛び方は習わないし、教えない。
しかし、この一瞬だけ、もてばいいのだ。
僕が雷帝を照準に捉え、彼を撃墜するまでの、わずかな瞬間だけ、機体が機能し続けてくれるだけでいい。
例え、僕の機体が乱気流でバラバラにされてしまうのだとしても。
僕には、つかみ取りたい未来がある。
僕が強い上昇気流によって押し上げられていく間に、前方では、レイチェル大尉と雷帝との間の距離が詰まりつつあった。
レイチェル大尉も積乱雲の上昇気流を使って急上昇を行っていたが、釣り上げを得意技として来た雷帝に対し、その試行回数の差が出てしまったらしい。
レイチェル大尉の機体は雷帝の機体よりも早く失速しつつあり、その動きは鈍り、戦闘機らしい俊敏さを失っていた。
機体が失速してしまえば、速度を回復しない限り操縦不能となってしまう。
もし、速度の回復に失敗してしまえば、そのまま墜落するしかなくなってしまう。
レイチェル大尉はまだ完全には機体が失速しておらず何とか操縦ができる状態で、観念した様に機首を下げた。
雷帝は、当然、大尉が無防備となった瞬間を逃さない。
雷帝の機体に閃光が生まれ、発射された弾丸が、レイチェル大尉の機体を次々と射抜いて行く。
だが、レイチェル大尉は、撃墜されるという運命を黙って受け入れたわけでは無かった。
大尉は被弾した時に出来るだけ自分自身の身体に危害が及ばない様、雷帝の側に機首を向け、エンジンで敵弾を受け止める様にしている。
そして、大尉は、信じているのだ。
大尉が作り出したこの一瞬に、僕が、雷帝を撃墜するということを。
《やれェェェッ! ミーレス! 》
レイチェル大尉からの無線は、そう絶叫する声で途切れた。
被弾によって大尉の機体の機首から黒煙が吹き出し、やがて、エンジン部分から出火して、大尉の機体は炎を引きながら墜落を始める。
レイチェル大尉がエンジンへの燃料の供給をすぐに停止させ、火災は消し止められたが、大尉の機体は推進力を復活させることなく、そのまま墜ちていった。
レイチェル大尉の機体を屠(ほふ)った雷帝は、墜ちていく大尉の機体と交錯し、機体を360度横転させ、強敵を倒したことを誇る。
僕は、そんな雷帝の機体を、照準器越しに見つめている。
僕の射程距離まで、もう少し!
レイチェル大尉がどうなったのか、今すぐにでも確かめたかったが、僕は雷帝から目を離すことができなかった。
大尉が撃墜されてまで作り出したこのチャンスを、逃すわけにはいかない。
雷帝は、照準器の向こうで、僕の狙いを外すべく機体を左右に回避させている。
ここまで上昇し続けているのに、彼の機体にはまだ速度があり、動けるらしい。
僕の指は、何度もトリガーを引きそうになる。
僕は、はやる気持ちを、必死になって抑える。
射撃のチャンスは、1度きりだ。
外せばもう、次は無い!
1秒が、とても、とても長く感じる。
自身の鼓動の音が耳元ではっきりと聞こえ、呼吸をくり返す音が頭の中に響く。
エンジンの温度が上昇を続けている。
カイザーが言っていた通り、この特別仕様のエンジンは、全力運転では5分ももたないらしい。
もうすぐ、僕の機体はその心臓を破裂させて、死んでしまうだろう。
だが、まだだ。
まだ、撃つことはできない。
僕には、失敗は許されないし、絶対に失敗したくない。
この、たった1度のチャンスを、確実にものにするんだ!
だから、まだ、撃つことはできない。
雷帝が速度を失い、その動きを鈍らせた瞬間にこそ、僕はトリガーを引く。
それは、実際にはほんの数秒か、10秒くらいの時間だったのだろう。
だが、僕にとっては、本当に長い時間だった。
僕の照準器の中で、雷帝の機体の動きが遅くなる。
機体が速度を失い、翼から空気の流れがはがれはじめ、操縦がきかなくなりつつあるサインだ。
どんなに優れたパイロットであろうと、機体がその操縦に応えてくれないのであれば、どうすることもできない。
僕は、無我夢中で、トリガーを引いた。
ベルランD改Ⅱに装備された5門の20ミリ機関砲が一斉に火を噴き、曳光弾の軌跡が雷帝の機体を押し包む。
放たれた砲弾は黒く塗られた戦闘機に次々と突き刺さり、その部材を引きちぎり、バラバラにして、吹き飛ばしていく。
やがて、1発が雷帝の機体の燃料タンクへと突き刺さり、彼の機体に火災を発生させた。
彼の機体は空中遊泳するかのように被弾した衝撃でくるくると回ると、やがて重い機首を下に向けて、炎と黒煙を引きながら降下し始める。
雷帝が、墜ちていく。
操縦不能となった機体が、緩く回転しながら、王国の大地へと向かって、真っ直ぐに墜ちていく。
僕は機体を反転させ、彼のその姿を追った。
目が離せなかった。
僕は、本当に雷帝を撃墜できたのか?
そんな思いもあったが、何よりも、王国の空に現れた大陸で1番の戦闘機パイロットの最後を、僕は見届けたかった。
勝った。
そんな気持ちは、少しも無い。
ただ、この空から、言い表しようのない、何か、大切な欠片(ピース)が失われていく様な気がして、僕は、どう言い表していいのか分からない様な感情にとらわれていた。
雷帝の機体は、やがて、火災によって部材が溶かされたのか、それとも被弾した時のダメージのせいなのか、左側の主翼が根元から折れ、それをきっかけとして少しずつ空中分解していった。
雷帝が、空に溶けていく。
徐々にバラバラになり、破片となりながら空に散っていく雷帝の機体を、僕は最後まで見送った。
この大陸で、もっとも古く、そして、もっとも強かったパイロットの最後。
それは、僕にとっては永遠の様に長く感じた、だが、実際にはほんの一瞬の出来事で、白昼夢の様な瞬間だった。
その日、墜ちていく雷帝の機体から、脱出した者はいなかった。
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