20-22「想い」

「ミーレスは、これでいいの? 」


 ライカは、僕に顔を向けることなく、俯(うつむ)いたままでそう言った。


「私が、いなくなっちゃってもいいの? みんな、大変なのに、雷帝と戦わなきゃいけないのに、私だけ、私だけが! それで、本当にいいのっ!? 」


 それは、悲痛な叫びだった。


 ライカが、自分の左目の負傷を黙っていたのは、ジャックとアビゲイルが負傷し、カルロス曹長を失ってしまい、後のことを残された僕らだけで、何とかしなければと思ったからに違いなかった。


 王国が戦っている、理不尽なこの戦争を、終わらせる。

 そのために僕たちが果たさなければいけない役割は大きく、状況は厳しい。


 そんな状況で、弱音など言っていられない。

 自分だけが、負傷しているからと言って、安全な後方に下がり、苦しい戦いから逃れることなんて、絶対にしたくない。


 僕がライカと同じ立場になったら、全く、同じことを考えただろう。


 誰だって、死ぬのは怖い。

 だから、負傷したとはいえ、危険な出撃任務から離れることができるのは、嬉しいと思う気持ちは確かにある。

 それに、任務から外れるのは、自分がそこから逃げ出したのではなく、立派に戦って負った負傷によるものなのだから、誰に恥じることも無く、胸を張って前線から離れることができる。


 だが、実際には、そんなに単純な話ではない。

 自分が去ることになる前線には、大切な仲間たちが残ることになる。

 自分が去ることによって、ただでさえ厳しい状況がさらに悪化し、そして、自分の目の届かないところで、誰かが命を失うことになるのかもしれない。


 自分の知らないところで、自分が抜けた分も必死になって戦う仲間が、死んでしまう。

 そんなことに、僕は、とても耐えられない!


 だから、ライカは、自分の負傷を僕たちに隠そうとしたのだろう。

 カルロス曹長の死を悲しみながら、それでも、ライカは必死になって、残された仲間と、僕たちと一緒にこの戦争を生き延びようとしていた。


 彼女の気持ちは、よく、分かる。

 だが、僕は、ライカにフォルス市の病院に行って、目の治療をきちんと受けて欲しかった。


 僕は、彼女がそれほど必死になっていたのにもかかわらず、それに気づくことさえできなかった。

 それどころか、僕は、それほど辛い思いをして、我慢をしていたはずの彼女に、励ましてさえもらったのだ。


 ライカには、敵(かな)わないと思う。

 同じ状況になったら、僕はライカと全く同じことをしようとしただろうが、ライカほど上手にできるとは少しも思えなかった。


 彼女は、いつでも一生懸命だった。

 僕は彼女から元気をもらい、時には励ましてもらい、戦場では助けてもらって、そうやって、ここまで生き延びて来ることができた。

 彼女がいなければ、僕はいったい、どうなっていただろう?


 彼女がもしも、この世界に存在し無かったとしたら。

 そんなことは、想像もできないし、考えたくもない!


 僕は、ライカを大切に思う。


 そう。大切だ。


 僕はライカの僚機で、2番機で、いつも一緒に空を飛び、この戦争を戦い抜いて来た。

 彼女は仲間であり、戦友であり、僕にとって、大切な人だ。


 例え、僕がようやく自覚し始めた気持ちが、絶対に叶うことが無いのだとしても。

 いずれ、離れ離れになって、それぞれの人生を歩むことになるのだとしても。


 僕は、ライカにこれからも生きていて欲しい。

 あの、純粋で、見ているだけで元気になる様な笑顔でいて欲しい。

 空の様に綺麗な青い瞳で、この世界を、僕たちを見ていて欲しい。


 僕は、気の利いたことなんて、何も言うことはできない。

 だから、いつだって、不器用にでも、自分の正直な気持ちを言うしかない。


 言葉は、要するに、想いを伝えるための道具に過ぎないのだ。

 どんなに下手でも、語彙力(ごいりょく)に乏しくても、正しく僕の想いが伝わるのなら、それ以上は何も必要ない。


「良くないよ。ライカ。」


 僕は、ライカの方を振り向かないまま、言う。


「僕は君の僚機で、2番機で。……ずっと一緒に飛んで来た。この戦争を一緒になって生きのびるんだって、そう思ってきたんだもの」

「……じゃぁ! やっぱり、私、ここに残る! 」

「ダメだよ、ライカ。それは、ダメなんだ」


 僕は、ライカの言葉をきっぱりと否定した。


 そう。ダメだ。


「ライカ。王国が、この空が平和になったら、また一緒に楽しく空を飛ぼうって、約束したじゃないか。だけど、今、ここで左目の視力が無くなってしまったら、君はパイロットではいられなくなってしまう。もしかしたら、片目でも飛べるのかもしれないけれど、それじゃぁダメなんだ。……僕は、僕が見ているこの世界を、ライカにも、その両方の目でしっかりと見て、同じものを見て欲しいんだ」

「……あなたと、同じものを? 」

「そうさ。僕と、同じものを。これからも、たくさん、いっぱい、一緒に見たいんだ」


 それから、僕は少し迷ってから、ちょっとだけ深呼吸をした後、僕の中にある勇気を振り絞って、思い切って、彼女に言った。


「それに……、僕は、その……、えっと。……ライカの、その青い瞳は、この空と同じくらい、綺麗だと思うんだ。……そんな君が、好きなんだ」


 ライカは、しばらくの間、無言だった。


 そうしている間にも蒸気機関車の機回し作業が進み、来る時は列車の最後尾だった位置にまで移動した機関車が、列車と連結をしなおす作業を行っている。

 機関車と列車が勢いよく衝突しないように見張っていた係員が鋭く笛を鳴らすと、機関車はブレーキをかけ、連結するのに適切な位置で停止した。

 すぐさま係員が連結器に駆け寄って、機関車と列車を連結させる作業を開始する。


「ミーレス。……あなたって、ズルい人だったのね」


 ライカは、僕から顔を背けながらそう言った。


「……ごめん、ライカ」


 僕も、ライカと同じ様に、顔を背けて言う。


 やがて、機関車と列車の連結作業も終わり、辺りに、間もなく列車が出発することがアナウンスされた。

 鉄道会社の人がメガホンを片手にホームの端から端まで歩き、列車に乗る人はお早く、と急かして行く。


 ライカは、ようやく、荷物を持って立ち上がた。


「ミーレス、私、行くわ。……それで、きちんと目を直して、また、あなたと、みんなと一緒に飛行機で飛ぶから」

「うん。ライカ、僕も、君と一緒に飛行機で飛ぶ。誰一人、これ以上、誰も欠けないで、一緒に平和な空を飛ぶんだ」

「うん。……これも、約束ね」


 ライカは、僕の方を振り返らずにそう言った。


 それから、「ミーレス、ちょっと、目をつむってくれる? 」と、唐突に言う。


「えっ? どうして? 」

「いいから! もうすぐ列車が出発しちゃうから、早く! 」


 僕は思わず聞き返してしまったが、ライカにそう怒鳴られて、慌てて両眼を閉じた。


 いったい、何だろう?

 そう疑問に思っていると、頬に、躊躇(ためらい)いがちにライカの指が触れる感触があった。


 繊細(せんさい)な指だ。

 けれども、その指はベルランを巧みに操る勇敢な女の子の頼もしい指で、優しくて、暖かかった。


 まだ乗車の終わっていない乗客を急かすために、機関車が鋭く汽笛を鳴らす。


 その瞬間、僕は、自分の唇に、微(かす)かに、暖かく、柔らかなものが触れる感覚を覚えていた。


 その一瞬で、僕の頭は、真っ白になる。


「そ、それじゃぁ、ミーレス! 私、行って来るから! ……約束! ちゃんと、私との約束を守ってくれたら、こ、こんどは! 目をあけたまま、してあげるから! 」


 ライカはそう言って列車に駆け込んでいった様だったが、僕は、何の反応も返すことができず、目を開くこともできずに、その場に固まったままだった。


 そして、列車は走り出す。

 シュー、と蒸気を吹き出すと、巨大な動輪がゆっくりと動き出し、ごとん、ごとん、と重そうに鈍い音を立てながら、しかし、確実に加速していく。


 僕は、列車が出発し、走り去って行っても、その場に固まったままだった。

 僕がなかなか戻って来ないので様子を見に来たアラン伍長に声をかけられて、僕はようやく、少しだけ正気を取り戻し、他の仲間のところへ戻るために立ち上がったが、まだ、頭はぼんやりとしたままだった。


 何と言うか、ふわふわとした、不思議な心地だった。


※作者の一言

 自分で書いておいてなんですが、主人公、やっちまいたくなりましたです、ハイ。

 クククク……、どう料理してくれようか……。

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