20-21「治療」

 僕は、レイチェル大尉の指示に従って、ライカをブリーフィングルームから連れ出した。

 ライカの気持ちを考えると、僕はいったいどうしたらいいのだろうと思う他はなかったが、レイチェル大尉が言った通りに左目を負傷しているのなら、少しでも早く軍医に見てもらった方が良かった。


 ライカは悔し涙を流しながら突っ立っていたが、僕に袖を引かれると、大人しくついて来てくれた。


 軍医がいる野戦病院へと向かう間、僕はライカに何も言うことができず、ライカも、何も言わなかった。


 こんな時、何て言えばいいのか、僕には分からない。

 ジャックの様に気の利いたことが言えれば、どんなに良かったか。

 もっともっと、日ごろからおしゃべりをする練習をしておけばよかったと、そう思う。


 だが、僕は僕以外の誰にもなることができなかったし、できることと言えば、ライカにしっかり目の治療を受けてもらうことだけだった。


 鷹の巣穴に設置された野戦病院は、野戦病院とは言っているが、きちんとした建物がある病院だった。

 元々は鉱山労働者たちのための医療施設として使われていた施設であったらしく、都市にある大きな病院程とまではいかなくても、一通りの医療設備は整っている。


 王立空軍でも負傷者は毎日出ていたが、病院に準じた設備を持つ鷹の巣穴の野戦病院には、フィエリテ市の市街戦で負傷した王立陸軍の兵士たちが送り込まれてきており、忙しく治療が行われている様だった。

 前線から後送されてきた兵士たちはここで治療を受け、そして、さらに後方の本格的な病院へと移送されるのを待っている。


 僕は忙しそうに働いている衛生兵に声をかけ、事情を話すと、ライカはそれほど待たずに治療を受けることができた。

 そこにはたくさんの負傷兵がいたが、空軍基地の野戦病院であるだけに、パイロットは優先的に治療される様になっているらしい。


 僕は、ライカの治療が終わるまでの間、そこで待っていた。

 今の彼女を、1人だけにするなんて、僕には考えることができなかった。


 やがて戻って来たライカは、左目に眼帯代わりのガーゼを身に着けていた。

 カルロス曹長の死でただでさえ悲しそうだった彼女は、今、心ここにあらずという様な状態だった。


 ライカが今まともに話せる状態で無いことを知ってか、ライカには治療を行ってくれた軍医が同行してきていて、僕を見つけると、今後の処置などについてあれこれと指示を与えてくれた。


 幸いなことに、ライカの左目は、回復する見込みがあるのだという。

 だが、その治療のためには、フォルス市にある大きな病院で本格的な治療を行う必要があるということだった。

 鷹の巣穴の野戦病院でできたのはせいぜい応急処置程度で、十分な治療はできていないのだという。


 ライカの目の治療は、できるだけ早く行われることが望まれていた。

 彼女が左目を負傷してからしばらくの間それを秘密にしており、治療が遅れてしまったせいだった。


 貴重な視力を失わないために、軍医はライカをすぐにフォルス市の病院へと向かわせるようにという指示を僕に与え、そして、そのために列車の座席も手配してくれるということだった。

 ライカは、今日中には列車でフォルス市へと移動となり、なるべく早く治療を受けることになるのだという。


 僕は軍医にお礼を言うと、ライカをフォルス市の病院へと移動させるための準備と、そうなったことをハットン中佐やレイチェル大尉に報告するため、また、ライカの手を引いて歩き始めた。


 ライカは、相変わらず無言のままだったが、今度も僕について来てくれた。

 彼女は小柄だからただでさえ軽かったが、まるで空気にでもなってしまったようで、僕はとても心配で、不安になった。


 部隊に帰ると、僕はハットン中佐とレイチェル大尉に報告し、軍医からの指示を報告した。

 ライカが一時部隊を離れる許可はすぐに出て、ライカを病院へと送る準備をすぐに始めることになった。


 軍医が素早く手配をしてくれたおかげで、ライカを乗せることになる列車の出発時間までそれほど時間がない。

 僕はクラリス中尉にお願いをしてライカの身の回りの荷物を用意してもらい、それをライカに持たせて、列車がやって来る場所まで彼女を連れて行った。


 野戦病院と違って列車が来る場所は少し離れていたので、アラン伍長がジャンティで運んでくれることになった。


 ジャンティには、オープンカータイプで運転席と助手席の他には幌(ほろ)をつけることもできる荷台があるトラックタイプと、ちゃんとした屋根つきで、荷台の代わりに後部座席がついている乗用車タイプがあったが、乗用車タイプに乗せてもらえたので移動はかなり快適だった。


 ライカは、やはり、無言だった。

 彼女はクラリス中尉がまとめてくれた身の回りのものが入ったバッグをぎゅっと抱きかかえて、ずっと、うつむいている。


 やがて、車は列車が来るところまで到着した。


 元々は貨物線用のホームで、駅舎も屋根も何も無い様な停車場だったが、鷹の巣穴が航空基地として機能するようになると、そこにはテントや掘立小屋などが建てられ、駅としての機能が強化されている。

 周囲には何台ものトラックやジャンティが止められていて、人もたくさんいた。到着する補給物資を荷下ろしして基地のあちこちに運んでいく補給部隊や、負傷したり、任務の都合だったり、基地から移動していく将兵たちが集まっていて、列車が到着するのを待っている。


 にぎやかな光景だったが、敵機からの攻撃目標とならないよう、偽装のための防空ネットが張り巡らされており、戦争中らしいものものしさもあった。


 僕はアラン伍長のジャンティから降りると、ライカを連れてホームまで行き、そこに設置されていた簡単な造りのベンチに彼女と一緒に腰かけた。


 列車が来るまでは、あと数分。

 到着すれば、列車は忙しく荷物の積み下ろしや乗員の入れ替えが行われ、すぐに折り返してフォルス市へと向かうことになる。


 僕たちは、やっぱり、無言だった。

 とても気まずかったが、しかし、僕は、ライカの隣から離れることができなかった。


 やがて、木々の向こうに、蒸気機関車が濛々(もうもう)と上げる煤煙(ばいえん)が見えてきて、すぐに線路の先に列車が現れた。

 やって来た列車は、鉱山から採掘された鉄鉱石などの鉱物を輸送するために活躍していた貨物の牽引用の機関車に引かれた長い列車で、何両もの客車と貨車が連結されている。


 貨物用機関車は、旅客用で速度を出さなければいけない機関車と比べるとボイラーが太く、動輪が多く、全体的に大柄になっていた。

 ボイラーが大きいのは言うまでも無く大量の蒸気を発生させるためで、動輪が多いのは、大柄な分増している重量を線路の許容範囲内におさまるように分散させるためと、線路との摩擦を増やして、強力な牽引力を無駄なく発揮させるためだった。


 高速走行を目的とした流線形の機関車とはまた違った雰囲気だったが、貨物用機関車の力強い感じも、なかなか良い。

 貨物用機関車はそれほど最高速度が出ないのだが、長い列車を引きながら、力強く走り抜けていく様子はとても勇ましく頼りがいがある。


 列車はホームへと入線して来ると、ブレーキからきしむ様な音を立てながら、何とも重そうな様子で停車した。


 すぐに、荷物の積み下ろしと、乗客の入れ替えが開始される。

 列車はすぐに折り返して出発する予定なのだからその作業は慌ただしかったが、どうやら、ぼくが思っていたよりは時間に余裕がある様だった。


 何故なら、列車は一度機関車を切り離し、その向きを逆向きに切り替えて、来るときは最後尾だった方向に連結をし直す必要があったからだ。


 どうしてこんな作業をするかと言うと、蒸気機関車に引かれた列車をそのままバックさせるのは、機関車からの視界が十分に確保できず、安全な運転ができないからだ。

 機関車の向きを入れ替え、連結し直すことを機回しなどと言ったりするらしい。

 このため、折り返しを行うことができる駅には、機関車の向きを逆転するためにターンテーブルや専用の機回し線が用意されていることも多い。


 ここの場合は、機回し線が用意されていた。

 本線から分岐して、機関車を円形に作られた線路をぐるりと一周させて戻って来させることで向きを変えられる構造になっているもので、蒸気機関車は連結を外されると、ゆっくりとした速度で機回し線を走り、列車の最後尾へと向かっていく。


 列車が出発するまでにはもう少し時間がかかる様だったが、いつまでもここに座り込んでいては、ライカが列車に乗り遅れてしまう。


「ライカ。そろそろ、列車に乗らないと」


 僕は心苦しかったが、ライカにきちんと目の治療を受けてもらうためには、そう言うしかなかった。

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