19-20「Aiguille d'abeille」

 反攻作戦の準備は、整えられつつあった。

 まだ作戦開始の日時は明らかとはなっていないものの、そう遠くはない未来に、王国の命運を決める戦いが始まるということを、僕たちは肌で感じ取っている。


 鷹の巣穴での日々にも、段々と馴染んで来た。

 僕たちは帝国軍の偵察機を撃墜するために毎日忙しく飛んでいるが、久しぶりに飛ぶ王国北部の空にも慣れ、また、基地での生活にも慣れて来た。


 鷹の巣穴は、複数の滑走路を持つ、巨大な航空基地群だ。

 僕たちが使っている「巣穴」から利用できるだけでも、3本もの滑走路があるくらいだ。

 最初は管制官が指定する滑走路にどの誘導路を進めばたどりつけるのかが分からずに戸惑ったりもしたが、今では道順もすっかり覚えて、最短時間で滑走路へとたどり着くことができる様になっている。


 基地での暮らしも、住み心地が良くなってきた。

 食事の質が大きく改善されたというのもあったが、小屋が増え、テントで生活する隊員が減り、小屋そのものも改良されて、段々と居心地が良くなってきている。


 昨日、とうとうシャワー室が設置された。

 これまではお湯などを沸かして身体を洗ったりするくらいしかできなかったのだが、新しく設置されたのはボイラーでお湯を沸かす、本格的なものだった。


 幸いなことに、鷹の巣穴では湧水(ゆうすい)が豊富で、水には困っていない。

 設置数が少ないため、シャワーを使用するためには順番待ちが必要だったが、それでも水が豊富なので水量の制限はない。

 シャワーを浴びながら全身を洗い流すと、とてもすがすがしい気分になれる。

 生き返った様だ、という言い回しはきっと、こんな時に使うのだろう。


 僕らの身の周りだけでなく、機体についても、準備が整ってきている。

 整備に必要な部品や、補給に必要な燃料、弾薬。それらが鉄道によって大量に運ばれてきて、十分な量が基地に備蓄されている。

 それは1か月や2か月、補給が途絶えたとしても僕らが活動をし続けるのに十分な量で、王国がいかに本気で今回の反攻作戦に臨んでいるのかが分かる様だった。


 戦うための準備は整えられ、後は作戦の開始を待つだけだ。

 僕たちは引き絞られた弓の矢のように、敵に向かって出撃する時を待っている。


 ハットン中佐が僕たちパイロット全員を集めたのは、そんなある日のことだった。

 呼び出された時に用件は伝えられなかったが、何で呼ばれたのかは僕にもすぐに理解することができた。

 いよいよ、反攻作戦が開始されるのだ。


 誰もが直感的にそう理解をし、僕たちは緊張した表情で、掘立小屋の中に作られたブリーフィングルームへと集まった。


 粗末な造りの建物だった。

 柱にはまっすぐでないものも使われていたし、壁の板にはところどころ隙間があってのぞき込むと薄らと外が見える様な状態だ。

 だが、屋根も壁も床もあるし、作戦を説明するための黒板やテーブルもあり、僕たちパイロットが全員集まって会議をするのに十分な大きさもある部屋だ。


 集まったのは正午前で、窓からはふんだんに光が入って来て室内を照らしている。

 その光の中で、テーブルの上に広げられた大きな作戦地図が照らし出されていた。


 僕たちがテーブルの周りに集まるまで待つと、黒板の前に立ったハットン中佐は僕たちを一度見回し、それから口を開いた。


「全員、王国がフィエリテ市を奪還するために反攻作戦を準備中だということは、よく承知していることだと思う。そして、本日ここに諸君を集めたのは、すでに分かっているだろうが、作戦の詳細が決まったからだ。これより、作戦についての説明を行う」


 ハットン中佐のその言葉を聞いて、僕は思わず姿勢を正し、耳を澄ませていた。

 来る、来るとは思っていたのだが、やはり本当に作戦が開始されるということになると、緊張してしまう。


 それは、僕だけでは無かった。

 集まったパイロットたちは皆、一様に真剣な表情を見せている。


 僕たちが正確に作戦を理解し、どれだけうまくそれを遂行(すいこう)できるかによって、王国の将来が決定されることになる。

 僕は、ハットン中佐の言葉を全て暗記するくらいの気持ちで、その説明に集中した。


 作戦は、すでに聞いていた大筋通りに展開する様だった。


 まず、王立陸軍の特殊部隊が夜陰に乗じて敵中に浸透し、友軍の進撃に必要となる3つの橋梁を確保することになっている。

 橋梁を確保した後は、簡易動力付きの輸送機や、他の機体に牽引(けんいん)されて運ばれるグライダーなどによって軽戦車や火砲などが直接、特殊部隊へと送り届けられ、友軍部隊が前進して来るまで橋梁を維持し続ける。


 この反攻作戦の第一段階は、後の作戦の進行を左右する重要な局面で、部分的に航空戦力も投入されることになってはいたが、僕たちの出番は無いということだった。

 これは、橋梁の確保は夜間に行われるということで、空軍が大規模な出撃を実施しても効果的な活動ができないということもあったが、帝国軍によってこちらの動きをなるべく察知されない様に、作戦をできれば隠密裏に進めたいという意図もある。


 そして、夜明けと同時に、王立軍が全力で反撃を開始する。

 王立軍によって行われる攻勢の重点となるのがフィエリテ市の西側と東側で、王立陸軍は機甲師団を先頭にして突進を行い、フィエリテ市をその両翼から包囲することを目指す。


 中でも重要とされているのがフィエリテ市の東側、つまりフィエリテ市に展開する帝国軍が本国から補給を受けるための兵站線となっている方面で、帝国軍から特に激しい抵抗があるものと予想されている。

 王立軍は砲兵師団を始め、多数の野戦砲、重砲などを集め、フィエリテ市の東側にいる帝国軍にありったけの火力を浴びせるほか、爆装した防空旅団の戦闘機部隊などによる地上支援を反復して実施し、敵の防衛線の突破を成功させる。


 僕たち王立空軍の第1航空師団、第2航空師団の役割は、この友軍の動きに合わせて敵の航空基地群を攻撃し、そこに存在する帝国軍機を可能な限り撃破、地上の航空基地も使用困難な状態とすることで、戦線上空の航空優勢を確保することだった。


 これまで王立空軍が大規模な航空撃滅戦を開始する時、決まって夜明けと同時に攻撃を行うこととされてきたが、今回も同様の手はずになっている。

 これは、夜間は視界不良のため帝国軍機の行動が不活発であり、多くの機体が飛行場で待機しているはずだから、そこを攻撃すれば大きな戦果が望めるということと、こちらも夜の間は視界が悪く攻撃目標をうまく攻撃できないという問題があるためだ。


 僕たち戦闘機部隊は、帝国軍によって利用されている飛行場を攻撃する友軍爆撃機の護衛として飛ぶことになる。

 敵飛行場への攻撃は、基地の施設が修復されて再利用可能となることを防ぐために作戦期間中反復して実施されることになっているから、作戦中は毎日、場合によっては1日に何度も飛行しなければならなくなりそうだ。


 作戦が順調に推移すれば、最短で5日以内にフィエリテ市の包囲が完了し、そこに帝国軍の主力部隊を閉じ込めることができるはずだった。

 後は、包囲下にある帝国軍が物資に困窮し、抵抗する術を失うまで包囲を継続するか、場合によっては積極的に攻撃を行って殲滅(せんめつ)することになる。


 問題となるのは、帝国軍による増援だった。

 王立軍による偵察活動の結果、フィエリテ市の周辺に展開している帝国軍が大きく補強されている様子は無いものの、王国による反攻作戦が開始されれば、帝国はその本国から強力な増援を送り込んで来るかもしれない。


 帝国は王国よりも遥(はる)かに巨大で、その兵力も豊富だ。

 もし帝国が相応の兵力を王国に投入して来ることがあれば、作戦を成功させることは難しくなる

 連邦も帝国も、その主戦線である北部戦線から大きな兵力を引き抜き、南部戦線に投入することを望んではいないはずだったが、一度王国が王国北部の奪還に成功し、南部戦線が連邦や帝国にとって完全にその戦略的な価値を失うまでは、増援があることを覚悟しておかなければならないだろう。


 帝国がその本国から大きな兵力を増援で送り込んでくるためには、最短でも2週間程度は必要だろうというのが王国の予想だった。

 だが、それだけの時間を使ってもフィエリテ市の帝国軍を降伏させるか殲滅(せんめつ)することができなかった場合は、僕たち王立空軍の部隊でできるだけ敵の増援を足止めしなければならない。


 その場合、僕たちは航空撃滅戦を中断し、帝国軍が増援を送り込んで来るのに用いるはずの鉄道や幹線道路を攻撃することになる。

 そうすれば一時的に帝国の増援を阻止することができるだろうが、敵飛行場への反復攻撃が実施できなくなる以上、戦場上空の航空優勢を維持することができなくなるだろう。


 地上部隊のための航空支援も、航空撃滅戦も、敵の援軍の阻止も、全て同時並行して実施することができるだけの兵力が王国にあればよかったのだが、残念ながら僕たちにはそれが無い。

 もし戦いが長引けば、帝国の増援を阻止できたとしても帝国軍機の活動が徐々に活発化していき、やがて、王国は戦場上空で航空優勢を確保することができなくなっていくだろう。


 そうなれば、作戦は失敗だ。

 僕たちは帝国軍が盛り返してくるまでの間にフィエリテ市を奪還することができなくなり、多大な犠牲を払いながら、再びフィエリテ市から敗走する他は無くなってしまう。


 どんなに長引いても、2カ月。

 その間にフィエリテ市の帝国軍を降伏させるか、殲滅(せんめつ)することができなければ、この作戦の失敗というだけではなく、王国の敗北が決まってしまう。


 この作戦には、王国の全力が投じられる。

 王国には、今と同じ戦力をもう一度用意する様な余力はもう、どこにも残されてはいないのだ。


 王国の命運を左右することになるこの反攻作戦の名前は、「Aiguille d'abeille」。

 これは、王国の言葉で、「蜂(はち)の針」という意味だ。


 蜂(はち)の様に小さな虫にも、鋭い針があり、その一刺しで大きな敵をも追い払うことができる。

 王国の様な小さな弱い国家が、連邦や帝国の様な巨大な国家からの侵攻を跳ねのける。

 そんな願いのこもった名だ。


 そして、作戦の決行は、明日だと知らされた。


 誕暦3699年、5月22日。

 開戦からちょうど1年というその日に、王国は最後の賭けに出る。

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