14-15「アクシデント」

 父さんの部屋から出ると、そこで僕は、僕をここまで案内してくれた警備兵に呼び止められた。

 どうやら、ゾフィからの言伝(ことづて)を預かっているとのことだった。


 ゾフィは僕に、父さんとの話が終わったらまた教会に戻ってきて欲しいと言っていたらしい。

 目的は僕の手首の怪我のことで、その診察をしてくれるのだという。彼女は衛生兵として他の兵士たちの負傷も見たりしているそうなので、教会の礼拝所で仕事をしているとのことだった。


 もちろん、僕にそれを断る様な理由は無い。

 僕の手首は相変わらず痛みを発し続けている。よほど強くあの少年兵に叩かれたらしく、この痛みとはなるべく早くお別れしたかった。


 守備隊の指揮所となっている学校から教会までは一度通った道だったが、父さんと再会できるということで少し浮ついていた行きと比べて冷静になっている今だと、いろいろと気づかされることがある。


 まず、通りにいる人々のほとんどは、軍服を着た兵士たちだった。一般の人々は街が包囲される前に脱出に成功していたらしく、街に残っている人々の姿は、僕が記憶しているころとは大きく違ったものになっている。

 そして、通りには所々、バリケードが築かれていた。土嚢(どのう)でできているものもあるが、建物の中から運び出して来た家具などを積み重ねて作られたものも多い。

 建物の中には、砲撃を受けたのか、爆撃を受けたのかは分からなかったが、壊れてしまっているものもあった。被害を受けた中には、幼い頃に仲の良かった友人の家もある。僕も遊びに行ったことがある場所だったからショックだった。


 僕は、偶然、故郷に帰りつくことができ、父さんとも再会することができた。

 そのことですっかり舞い上がってしまっていたのだが、記憶と異なるその街の姿は、今がどんな状況なのかを僕に思い出させるものだった。


 そこにいたはずの人々がいなくなり、そこにあったはずのものが失われていく。

 こんなことをやっていて、僕らはまた、元の様な生活に戻れるのだろうか?


 だが、それは、僕が心配する様なことでは無いと分かっている。

 僕が何かを考えたところで、僕1人だけではどうにもならないことだったし、僕の手にはどうにも余る大きさのものだ。


 僕はゾフィを待たせてはいけないと思い、少し足を速めて教会へと向かった。


「何だ、思ったよりも早かったじゃないか」


 僕が教会へとたどり着き、ゾフィが待っている礼拝所に入ると、彼女は意外そうな顔をした。

 彼女は、僕がせっかく家族との再会を果たしたのだから、そのまま何時間も帰ってこないだろうと思っていたらしい。


 この街は連邦軍によって包囲されていたが、幸いなことにここしばらくの間は攻撃が止んでいるため、負傷兵もほとんど出ることが無い。そのため、臨時の治療の場となっている礼拝所にもほとんど人がいなかった。

 おかげで、僕の手の治療も、ゾフィがすぐにやってくれた。


 僕がこの怪我を負ってから3日以上が経過しているにも関わらず、僕の手首はまだ痛んでいる。

 だが、これでもかなり良くなったのだそうだ。最初はものすごく腫(は)れていて、色も凄(すご)いことになっていたらしい。


 どうも、ゾフィによると、骨にひびくらいは入っていたのではないか、ということだった。

 僕が眠っている間に腫(は)れはひいてくれたのでこのまま無理をしなければ大丈夫そうだということだったが、もう何日かは痛むだろうし、怪我をしている方の手は使わないようにということだった。


 僕はゾフィにお礼を言い、それから、僕を助けてくれたのは誰なのかと、彼女に質問した。

 どうしても直接お礼を言いたかったからだ。


「ああ、それは、我らの隊長殿だ」


 ゾフィはすぐにそう教えてくれた。


 その隊長殿は、ゾフィによると、近衛騎兵連隊の宿舎として割り当てられた街の一画にいるだろうということだった。

 何でも、ゾフィたちの隊長殿は昨晩の内に自ら敵情偵察に出撃していたそうで、今頃はちょうど目を覚ましたくらいだろうという話だった。

 僕を救出してくれた時も、夜間の間に少数で敵情偵察に出ていて時だったそうだ。

 ゾフィの話によると、どうやら、その隊長殿は僕を助けてくれただけではなく、僕の荷物の掃除もしてくれたらしい。

 僕は、少し意外な思いがした。一部隊の隊長ともあろう人が、僕の様な一兵卒の荷物の掃除をやってくれるなんて、不思議な話だ。


 僕はゾフィにもう一度お礼を言うと、僕を助けてくれた隊長殿にもお礼を述べるため、その居場所へと向かった。


 僕はその道すがら、僕を助けてくれた隊長殿というのはどんな人だろうと、いろいろと想像を巡らせてみた。何と言うか、隊長と聞いてイメージする様な人とは違う性格をしている様で、興味がわいてきたからだ。


 近衛騎兵連隊の隊長というからには、それなりの威厳を持った人なのだろう。

 昔の貴族の様に、髭(ひげ)なんかを生やしているのかもしれない。かつてフィエリテ市で見かけた近衛騎兵の姿は、そんな感じだった。


 自ら騎乗して敵情偵察に出るくらいだから、相当な強者(つわもの))に違いないだろう。

 年齢は、連隊長とは言うものの、陣頭に立って指揮を取るその様子から、思ったよりも若いかもしれない。30代くらいだろうか。


 そうやってあれこれ考えている内に、僕は目的の区画にたどり着いていた。

 大きな街では無いから、街のどんな場所へもすぐにたどり着くことができる。

 200名の近衛騎兵連隊の宿舎ということで、ゾフィから教えてもらったその場所には、近衛騎兵の派手な制服を身に着けた将兵がたくさんいた。


 騎兵部隊だから当然、たくさんの馬がいる。みんな体格も毛並みもいいたくましい馬ばかりで、よく手入れされて、訓練も行き届いている様だった。

 フィエリテ市の美術館に飾られていた彫刻(ちょうこく)の様な美しい筋肉と骨格を持つ馬ばかりだ。


 近衛騎兵たちはカービン銃と呼ばれる、馬上でも扱いやすい様に銃身を短くした専用の小銃で武装していて、腰には儀礼と実用を兼ねたサーベルを下げている。

 王室の警護という任務を持つ部隊であるため、特に規律に厳しいらしく、どの兵士もきびきびとしていて、背筋が真っ直ぐにのびていた。


 僕はその場の雰囲気(ふんいき)にのまれてしまって用件を言い出せなかったのだが、警備に就(つ)いていた近衛騎兵の1人が僕の様子に気づき、声をかけて来てくれた。

 僕が事情を話すと、その近衛騎兵は隊長がいそうな場所を教えてくれた。

 どうやら、今はちょうど、服の洗濯(せんたく)をしている最中であるらしい。


 僕はそれを聞いて、さらに不思議な思いがした。一つの部隊の隊長ともなれば、身の回りの用事を担当してくれる従卒がつくのが当たり前だ。実際、僕の父さんは現役の将校ではないにもかかわらず、従卒の人が手助けをしてくれている。

 それなのに、自ら進んで洗濯(せんたく)をしているというのは、一体どういうことなのだろう?


 そんな僕の疑問は、どうやら顔に出てしまっていた様だった。

 警備の近衛騎兵が教えてくれたが、どうやら、洗濯(せんたく)はその隊長殿が趣味でやっているということだった。


 綺麗好き、ということなのだろうか?

 僕の荷物を掃除してくれたのもその隊長殿だというし、汚れたものを綺麗にせずにはいられない性格なのだろうか。

 それにしても、変な隊長殿だ。


 僕はそう思いつつ、いろいろと教えてくれたその近衛騎兵にお礼を言うと、その、奇妙な隊長殿に会うために歩きはじめる。

 普通の部隊長とはだいぶ違う隊長殿であるらしかったが、近衛騎兵たちの動作から、部下から信頼され、強い統率力を発揮している人物らしい。

それに、規律にも厳しい様だ。

 決して、失礼のない様に、そして、相応の敬意を持たなければならないだろう。


 隊長殿が趣味で洗濯(せんたく)をしているというのは、建物の裏手の方であるらしかった。

 この辺りの街並みは、通りに面した建物の裏手の方に庭を持ち、共同の井戸などを設置して生活スペースにしていることが多いのだが、ここもその例にもれず、建物の裏側に庭があって、井戸がある。


 建物の脇を通って裏手へと抜けると、そこには、庭に生えた木々の間に何本ものロープが張られていて、近衛騎兵たちの鮮やかな制服が干されていた。

 干し方がかなり丁寧だ。服が均等に早く乾く様に一定の間隔で干されていて、しわがつきにくい様にしっかりとのばしてから干してある。


 僕は何となく、妹のアリシアが洗濯物(せんたくもの)を干している姿を思い出す。

 同時に、緊張してきてしまった。


 きっと、隊長殿というのは、几帳面な人なのだろう。

 僕は慌てて、失礼のない様に自分の身だしなみを整える。

 その間に辺りを見回してみたが、多くの洗濯物(せんたくもの)が干されているおかげで、隊長殿の姿を見つけることはできなかった。


 水の音だけが聞こえてくる。

 たらいで何かを洗っているのだろう、ばしゃ、ばしゃ、という音だ。

 僕はもう一度身だしなみを確認すると、覚悟を決めて、その音の方へと向かった。

 かなり緊張してしまっているが、それでも、僕を助けてくれたことのお礼はきちんと言わなければならない。


 洗濯物の間を潜(くぐ)り抜けると、僕はそこで、近衛騎兵連隊の隊長殿の姿を見つけることができた。


 だが、同時に、僕は身動きが取れなくなってしまった。


 その隊長殿は、僕が想像していた人とは全然、違っていたからだ。


 その隊長殿は、淡い色をした穏やかな色の金髪と、春の空の様に暖かく優しい青い色をした瞳を持つ、女性だった。

 年齢は、僕の想像よりもずっと若い。僕よりほんの少し上くらいに見え、20歳前後だろうか。背は僕よりも少しだけ低い様だ。

 顔立ちは整っていて、しっかりとした芯があるが落ち着いていて、穏やかな性格を連想させる双眸(そうぼう)を持つ。


 そして、その隊長殿は、大きなたらいにお湯を張って、水浴びをしていた。


 日焼けのしていない白い肌の上を、水滴が伝っていく。

 女性らしい膨(ふく)らみと丸みを持つ彼女の身体は、鍛えられているためかしっかりと引き締(し)まっていて、少しも無駄を感じさせない。

 そして、しっとりとぬれた髪が形の良い肩や背中にかかり、太陽の光を反射してきらきらと輝きを放っていた。


 僕は、声も出せずに、呆然と立ちつくした。

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