第21話 死角
「よく防御したね」
インカムから聞こえた声は、咎波のものだった。如月と長月以外の声をこれで聞くのは初めてのことだ。
「そもそもよく気付けた」
「視界がぼやけてるせいか、他の感覚が研ぎ澄まされてるみたいだ」
アナトリア姉妹との戦いで、「神の力」を出し切るつもりはなかった。身体が能力に耐えきれないことは自分自身が一番よくわかっている。使えるにしても、いつも以上に長時間の使用はできない。
甘かったのは、アナトリア姉妹――フェリチタの覚醒を予測できなかったことだ。彼女たちの能力が魔術によるものだということは察知できた。しかし覚醒することで、魔法の域に近づくとは思ってもいなかったのだ。
不老不死。
人類の到着点の一つ。
それは、魔術レベルの「破壊」では意味がない。
たとえば黒い魔術師のときのように、
たとえば精霊界に至ろうとした魔術師のときのように、
能力の純度を高め、対応できるようにしなければならなかった。
そうでもしなければ、フェリチタに有効な攻撃はなく、また有効な防御もなかった。それほどまでに完成された魔術を彼女たちはその身に宿している。
月宮が能力を制御したままでは、全滅していただろう。暴走状態のように見えて、フェリチタはきちんと思考をしている。崩れる血液に映った射干玉とルーチェを見逃さなかったくらいだ。
だから、月宮は自分の選択が間違っていたとは思っていない。生き残るための道を選んだのだから。
「僕の仕事はわかるよね」
「アナトリア姉妹の排除だろ」
「そう。それが僕に下された命令だ。そしてきみたちが本来すべきことでもあった。どうやら状況は変わってしまったようだけど」
受話口から、強い風の音が聞こえる。月宮のいる場所では風を感じられないため、やはり高い場所にいるのだろう。それと、銃器を扱うような音がしている。さっきの攻撃はやはり銃でのものだったようだ。
「きみはアナトリア姉妹を排除しない。僕は排除が仕事だ。つまり、きみは僕からの攻撃を防がなければならないんだ」
咎波の言葉を聞き終える前に、月宮は動いていた。手にナイフを握り、「破壊」の力を込める。さっきの攻撃とは違う感覚があったからだ。単純な弾丸ではない。魔術が込められている。
ナイフを振ると、銃弾が吸い込まれるように軌道に入る。勢いも、形状も破壊され、それはただの鉄くずと化した。
横目で確認すれば、銃弾はフェリチタを狙っていた。
先ほどとは方向が違っている。空間魔術の類を使い、入射位置を意のままに変えているのかもしれない。
「そうだ」インカムから声がする。「そうやって、きみは事務所まで彼女たちを守らなければいけない」
攻撃する方向は咎波の思うままだ。彼の居場所は関係ない。銃器から発射された銃弾は、銃口を抜けたときにはすでに別の場所へと移動している。あらゆる方向からの攻撃を月宮は凌がなければならなかった。いくら感覚で察知できるとはいっても、可動範囲には制限がある。速度的に間に合わない方が多いだろう。
これまでは、あくまで咎波の忠告――優しさと言えた。
今はその優しさが、月宮を守っていた。まだ敵として見做されていないから、本当の攻撃を受けずに済んでいる。
アナトリア姉妹の生存を放棄すれば、少なくとも月宮と如月は助かるだろう。魔術の存在を知ってしまった音無はどうなるかわからない。
それならば、月宮がとる選択は一つだ。
「――いつか、咎波さんとやり合う日がくると思ってたが、それがこんなにも早いだなんてな」
「それがきみの返答かい?」
「ああ」
「……残念だ」
咎波の攻撃が迫ってきている。察知し行動しようとしたが、月宮の身体は一瞬の硬直をした。どちらに動くべきか迷ってしまったのだ。咎波の放った弾丸は二つ。どちらか片方でも逃せば、それはフェリチタの身体を貫通する。まだ体内に刻まれた魔術式が壊れている彼女では耐えきれないだろう。
熟し切った林檎のような血肉を撒き散らせ、愛する血縁に別れの言葉を告げることでもできず、この世界から解放される。
そんな光景が過ぎったが、それも一瞬だ。
身体が動き、咎波の銃弾を切断した。役目を果たすことなく地に落ちる。
そして、背後でも似たような音が響く。
「銃弾を弾くなんて経験したことなかったけど、案外できるものね」音無が言う。月宮は振り返らない。「半分はわたしが受け持つわ。どうすればいい」
「事務所に行く。そうしたら攻撃は止む」
「信じていいのね?」
音無の言葉はもっともだ。咎波は事務所の命令でアナトリア姉妹を狙っているのだ。それなのに事務所に向かうというのはおかしい。敵地にわざわざ乗り込んでいくようなものだ。
「約束は守る」
「最高の返答ね」
月宮は神経をすべて咎波の攻撃へと集中させた。音無の働きによって行動範囲が狭まったことで、死角からの不安はなくなっていた。如月たちを中心に、月宮たちは弧を描くようにして動き、咎波の攻撃を防いだ。
移動を始めるも、猛攻の中ではなかなか先へ進めない。それでも少しずつ、目的地へと向かっていった。月宮と音無が防御を、如月がフェリチタの様子を確認、ルーチェは血を与え、射干玉はフェリチタを運び、ときに人払いの魔術を発動するためにその用意をした。
咎波に狙われているのは、月宮と如月、アナトリア姉妹、音無であり、射干玉はその標的に含まれていない。これはアリスのお気に入りだからという理由もあるだろう。だからこそ彼女に咎波のもとへ向かわせようとしたが、
「僕を潰しにきても構わない。だけど、その代わりに琴音くんがやってくるだけだ」
と言われれば、彼に手を出すことはできない。琴音が現れてしまえば、月宮たちに防御手段は皆無だ。状況は悪化する。万が一にも、生き残れるということはない。
故に、射干玉をサポート役になってもらうしかなかったのだ。その機動力もあり、適役ではあった。
攻防の中で、放たれる銃弾が空間魔術で別の場所から現れているのではなく、変則移動をしていることがわかった。障害物を避けているのを確認でき、細かい軌道の変化はなく、街路樹の幹を避けるなど、大きな障害物だけを回避する。そうできず、建物の壁に穿たれるものも少なからずあった。
アナトリア姉妹に向かってはいるが追尾はできない。それがわかっただけでも充分なのだが、それがわかっただけでは咎波の猛攻を止めさせることはできない。
一つ切断しても、すぐに二つ三つと迫ってくる。まるで流星群のように絶え間なく、そして研磨された槍のように鋭い。「破壊」の能力で無効化できるとはいっても、身体がそれに反応できなければ意味がない。月宮は壊れそうな身体を無理矢理動かし、それに対応していた。
約束は守る。
自分で告げた一言が、なにより彼の原動力となっていた。それはこれまでも「約束を守る」ために戦ってきたからだ。
路地裏に入ってしばらく経つと、今まで続いていた攻撃がぴたりと止んだ。嵐の前の静けさを想像させ、安堵どころか緊張感は増すばかりだ。
「あなたのところの所員はどうなってんのよ……」音無が嘆いた。
「あの人はまだマシな方だ」
そっちはどうだ、と月宮は如月に訊ねた。
「なんとかなりそうだよ。再生もきちんと発動するようになった」
残る問題は咎波だけのようだ。彼の超遠距離攻撃をもっと効率よく防ぐ方法を考えなければ、最悪の場合は琴音が、そうでなくとも充垣が襲撃にくる可能性が充分にある。
まず考えるべきは、どうして今は攻撃されないのか、ということだ。
なにが違っていて、咎波はなにもしないのか。
それを思案する。攻撃をしないことで硬直状態を作る目的があるのかもしれないが、それはひとまず頭の片隅に置いておくだけにした。それが正解だとすれば、もうすでに戦いは終わっていることになる。移動が回避に繋がるのだとしたら、咎波が狙っているのはその瞬間であり、狙い撃ちされるだけだ。
周囲が三階建て程度の建物に囲まれていることを確認する。それから広場で最初に咎波の攻撃を感知した方向と現在位置を照らし合わせ、その方角へと目を向けた。そこにあるのは黒ずんだ灰色の壁と排水管だ。つまり咎波から月宮たちを直接確認することはできない。
しかしそれがわかったところで意味はない。アナトリア姉妹を狙う銃弾はこれらの高い障害物を越えてくる。だからこそなぜ今はそうしないのかを考えているのだ。
「わたしの能力が『風』じゃなかったら死んでたわね」音無は誰に言うのでもなく呟いていた。「あんな正確にこっちを狙える銃なんて聞いたことないわよ。絶対一人じゃない」
一人であることは間違いない。それはわかっている。だからこそ緊張状態にありながらも、こうして同じ場所に居続けられるのだ。複数人いるのならば、もっと早く決着はついているはずである。
(――ああ、そうか)
月宮は自分の勘違い、思い違いに気付いた。相手が格上だからあらゆる可能性を考慮していたために、想像によって本来ないはずの能力まで加算してしまっていた。
改めて周囲を見渡す。薄暗い場所ではあるが、視認できないほどではない。ぼやけていた視界も、ほどほどに回復してはいた。あとは念のためにこの街の“眼”を知り尽くしている如月に確認をとる。
「如月、この場所に見覚えはあるか?」
訊き返すことなく、如月は周囲を見回した。こういうとき彼女の、相手の意図を読む能力に驚かされる。あの一言で月宮がなにを確認したいのかを瞬時に理解したのだ。おそらくそんなことができるのは、あとは日神くらいだろう。彼女の場合はこちらよりも早く気付いていそうだが。
「ないよ」
「そうか」
「なんの話?」音無が加わる。
「都市警察の力でこの街に設置された監視カメラを停止させることはできるか?」訊ねながらも、音無の問いに答える。
音無は、なるほど、と言ってから、
「意地でもさせてみせる」
と言って、携帯電話を取り出した。
「この街の監視カメラを全部止めるよう言って。うん、そう。申請がすぐに通らないようであったら、そのときはお願い。一刻を争ってるの。責任は全部私がとるから」
しばらく説得が続き、やがて音無は携帯電話をしまった。
「すぐにできると思う」
月宮は頷いてから、如月に目を向ける。
「フェリチタはまだ気絶しているのか?」
「うん。もう血液は充分のはずだから、あとは目が覚めるのを待つだけ」
「なら如月は誘導を頼む」
「監視カメラがなくて、かつ向こうから視認できないルートで事務所に向かえばいいんだね。まだ咎波さんは動いてないの?」
「……ああ」
まだ、ではない。
彼は動くつもりなど初めからない。この戦いはあくまで咎波の優しさの上で成り立っている茶番劇でしかないのだから、彼がその台本を焼き捨てるなどありえないことだ。
種がわかったのなら、早急に事務所へ向かおう。
そう思っていたときだ。
強力な魔力を感じ取り、月宮はその元凶に目を向けた。その場にいた誰もが、目を覚ましたフェリチタを見ていた。鮮烈な憎悪が彼女から溢れ出ている。再生は無事に終わったようだ。
憎悪と殺気を放つだけならば、手を出すつもりはない。だが、攻撃をしかけてくるのなら、それが誰かの死に繋がるのなら、そのときは、月宮は容赦なく彼女を「破壊」し尽くす。静かにナイフを握った。
誰もが、フェリチタの突然の覚醒に動けないでいる思考に空白ができる瞬間、月宮はナイフを振ろうとし、彼女は飛びかかろうとしていた。
しかし二人の刃が交錯することはなかった。
思考の空白。
それは身体が脳から伝達する指令を受け取るまでの時間だ。人間が脳で身体を動かしている以上、誰も動くことはできない。しかしながら、あくまでそれは思考してから行動する場合のみだ。
人間にはもう一つ、身体を動かす原動力がある。不確かな存在でありながら、思考よりも純粋で、正直なそれは、その個人が真にそのとき成そうとする意志を尊重し、身体に働きかける。
飛び出そうとしたフェリチタを、音無は後ろから抱き止める。
「大丈夫だから。ここにあなたの敵はいないの。みんなあなたとルーチェのために頑張ってくれてるの」
「嘘だ……」白い翼が薄らと現れ始める。だが明確には現出しない。「みんな、私たちを傷つけようとしてるんだ。もう私にはルーチェしかいないのに。ルーチェには私しかいないのに」
「それは今までのこと。これからは私やここにいる人たちがついてる」
音無の声は緊張感のない、普段を思わせるものだった。戦う意思はなく、自分たちはすでに身内なのだとフェリチタに示すには充分過ぎる温かさだ。何年かかっても自分にはできない芸当だ、と月宮は思う。
まるで中和されていくかのように、フェリチタから憎悪と殺意が消えていく。広場では人間に向けていたものだったが、今回は月宮たちだけに向けていたからだろう。
言葉だけでは、フェリチタは信じていなかった。
人の温もりがあったからこそ、成せた御業だ。
「本当に? もうなにもなくならない?」
「うん。これからは大切なものが増えていくの。あなたたちはなにも取られないし、誰かからなにかを取ることもない」
「この人たちは信用できるよ」ルーチェはフェリチタの胸の上に手を添えた。「あの村の人たちとは違うの」
月宮は彼女たちから目を逸らした。その光景があまりにも眩しく、あまりにも温かかったために見ていられなかったのだ。
勝手に安全だと思い込まれては困る。なにも奪わないとも断言できない。アナトリア姉妹の安全が誰にも保証できない以上、月宮がその命を奪う日が来ないとは言い切ることはできなかった。
約束は守る。
音無舞桜に告げた言葉は嘘じゃない。
ただそれよりも守らなければならない約束があるだけだ。なにかを犠牲にしても、誰かを悲しませることになっても、月宮は命を賭してでもその約束を守る。
※
「どうやらここまでのようです」
「そうみたいだね」
咎波はスコープから目を離し、臨戦態勢を解いた。ようやく解放されると思うと、身体が軽くなるような気分になった。命を奪うという行為に、なんの重圧もなく、さらにいえば麻薬のような中毒性を得てしまう人間など、もはや人間ではない。
そういう化物こそ、咎波が許せないものだ。
アナトリア姉妹がまさにそうだった。魔術師一族の生き残りだから魔術機関に追われているからといっても、殺人鬼と名を馳せている以上、生かしてはおけない存在だ。
しかし月宮湊はそうしなかった。事務所の意向に逆らい、彼女たちを生き残らせる道を選んだ。無謀ともいえる行為。咎波ならば絶対に選ぶことのない道だ。
だからこそ彼の選択に興味がある。その先になにが待ち受けているのか。
「湊くんたちは無事に事務所まで行けるかな」
ビルの屋上から街を見下ろす。広範囲に魔力反応があった。誰かが人払いの魔術を使っているのだ。それがわかっていても、咎波の放つ銃弾はアナトリア姉妹には届かない。彼女たちの体液の一滴でもあれば話は変わるが。
監視カメラの映像が入手できないのでは、詳しい位置情報を得る手段がなくなり、魔術の精度が落ちるため、これ以上標的を追うのは無駄だ。たとえ命令であっても、自分の主義に反することはしない。
一度決めた場所から動くことは、暗殺者としては二流だ。
「不慮の事故で琴音さんに出会わなければ、確実に到着できるでしょう」
「それもそうだね」
こんなにも長月イチジクと話したのは初めてのことだ。彼女は顔を合わせているときはあまり口を開かない。返事と伝言くらいのものである。
「咎波さんのおかげです」
「……なんのことかな。不用意な発言をされると、僕も困るんだけど」
失礼しました、と長月は謝った。実際は綺麗な声をしているのに、機械を通してだと透明さが欠けて残念だった。
「もう切るよ。今日はありがとう」
「いえ。こちらも仕事ですから」
最後に、と長月は続ける。
「リーダーから感謝の言葉を告げるように言われているのですが、必要でしょうか」
「いや、いらないよ。聞いておいたことにする」
「わかりました」
ぷつりと通信の切れた音がする。
インカムを外し、空を仰ぐ。
感謝される覚えはない。たしかに助言はしたが、それを助言と捉えられるかは月宮次第だった。敵として現れた咎波の言葉を信じたのは、他でもない彼の功績だ。あの状況、あの疲労困憊の状態でよくその選択をできたと本当に思う。
嬉しくもあり、悲しくもある。
この世界はなぜこんなにも子供に戦いを強いるのだろうか。月宮湊だけじゃない。長月イチジクも如月トモも、充垣染矢もアリスも。まだこの世に生を受けてから十数年しか時間が経っていないというのに、どうして命の奪い合いに参加しなければならないのか。
もしも運命のせいだというのなら、殺すべきは運命だ。
もしも世界のせいだというのなら、壊すべきは世界だ。
しかし咎波の前に立ちはだかるのは、彼らのような子供だ。運命や世界など、咎波の前には現れることはない。それらはすべて人間の中にしかなく、想像物の類となんら差異はないのだから。目には見えず、触れることも叶わない。
けれども、咎波は思う。彼らに才能があってよかったと。
殺さずに済んだ。
悪夢が増えずに済んだ。
今日はいつもの悪夢を見ないで眠れそうだ。
「問題はこれからかもしれないよ。湊くん」
咎波はこの街を一瞥してから踵を返した。
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