第20話 崩壊

 如月は月宮の様子を少なからず不審に思っていた。彼の能力の詳しい詳細はわからないが、しかしそれでも強力なものであることは知っている。多数の武器を現出させることができ、魔術や《欠片の力》を破壊できる。


 それは魔法になりかけていた魔術、精霊、「暴食」の力にも匹敵するものであり、たとえ古き魔術師の固有魔術であったとしても破壊できないはずがないのだ。


 刻まれた魔術式を破壊できないとしても、そこから生じた結果は破壊できても不思議ではない。


 そのことは月宮自身がよくわかっていることだろう。


 しかしそうしていなかった。血液による攻撃に対しても回避を続け、ときおり武器で防御をしていた。これでは無意味に体力を消費するだけだ。


 もちろん彼なりの考えがあっての行動であることには違いない。「破壊」しないことに意味があった――そんなふうにも捉えることができる。


 だが、如月はそうじゃないと思った。


 しなかったのではなく、できなかった。


 茜奈のときはそれほど影響を感じられなかったが、姫ノ宮学園とミゼットの件では、その事件の後に月宮は疲労困憊の状態になっていた。身体的ダメージもあった。しかしもっと根本的な――彼の存在を揺るがすようなダメージを負っていたようにも見えた。


 強力な力には、大きな対価が必要だ。だから多用はできない。


 月宮はそれを払っている。


 何度も。


 何度も、何度も。


 その対価を払えなくなっているのではないか。


 その強大な力に身体が耐えられなくなっていたのではないか。


 だから月宮はフェリチタの攻撃を破壊できなかった。


 力を使用しているときには瞳が赤くなる。だが、今回彼の瞳は赤く染め上がっていなかった。それがなによりの証拠となっている。如月の考えを決定づける要因と。


 そんな月宮の瞳が、急激に赤色に変化した。


 黒コートとルーチェをフェリチタの血液から守るために。


 なにかが壊れてしまうような気がした。


 なにかが終わってしまうような音がした。


 無意識のうちに、如月は月宮の名前を呼んでいた。


 月宮は血液を切った。


 ルーチェたちを包んでいた壁が壊れる。


 さらにそれに連なっていた血溜まりにも亀裂が入っていく。


 フェリチタは亀裂から逃れるように、血溜まりを分断した。


 破壊が身に及ばないように。


 そして後退。


 だが、月宮の刃はすでに彼女のすぐ傍まで近づいていた。


 偽りの星に照らされたナイフが、少女の身体に消えていく。


 彼女の悲鳴が断続的になる。


 赤い血に塗(まみ)れたナイフが抜き出されると、フェリチタは崩れるように倒れた。骨のような翼が宙に引っ張られるように伸ばされ、消滅と再生を繰り返す。おそらく月宮の力が彼女の中の魔術を破壊したために引き起こされた現象だ。


 しかしその破壊は不完全だったのだろう。


 だから吸血鬼としの能力が消えないでいる。


 月宮はフェリチタを一瞥すると、片膝をついた。横顔からでもわかるほど、その表情には苦痛の色が見えた。


「つっきー!」


 月宮に駆け寄ると、遠くからではわからなかった彼の現状が見て取れた。異常なほどの汗をかき、呼吸も荒い。瞳の色も赤から黒へ、黒から赤へと繰り返され、赤い輝きは明滅していた。


「大丈夫っ?」


「あ、あぁ……、なんとか、な――」


 やはり使えない理由があったのだ。もとよりこの短期間に高頻度で使用していいような能力ではない。魔術とは違い魔力を消費することなく、《欠片の力》とは異なりその身に一種類でもない。それなのに、それら以上の力を持っているのだから、その代償は大きかったはずだ。


「見せて」


 傍に来た黒コートが、覗きこむように月宮の顔を窺った。フードの中に二つの淡い光が現れ、黒コートが《欠片持ち》であること、その面立ちが女性的であることから女であることを確信した。声からして女のものだったが、わざと籠った声を出していたし、わざと女の声だと認識させている可能性もあったため確信まではいけていなかった。


 顔を見ればわかる。それもまた確信に至る要素にしては弱いのだが、あの顔を見れば誰だってわかる。


 如月は自分の胸に感じた不可思議な痛みを無視しながら、彼女に月宮の容態を訊ねた。


「どうなの?」


「人間としては問題ない」


「どういう意味」


「能力の『器』としては限界がきてる」


 その言葉を聞いて、如月は日神ハルを連想した。彼女は「器の素質」を持っていた。すべての可能性を内包し、また外付けすることができる。そのために姫ノ宮学園は日神を「神」を受け入れる器として利用しようとしていた。


 もしも月宮にも同様の素質があるのだとしたら、彼がその身に宿している力は「神」に匹敵するものなのかもしれない。そうと考えれば、魔術と《欠片の力》、そして茜奈の「暴食」にも劣らない理由がわかる。


 万能でないのは、制約があるからだろう。むしろ制約を自ら課していると考えた方が辻褄は合う。やりすぎないために、壊し過ぎないために。


 人間としての枠を超えないために。


「こんなことになるのは初めて?」


「いや、以前にもあった。治すのは難しくない。彼に必要なのは休息」彼女は少し黙った。「――そうしなければ、魂が壊れてしまう」


 自らの魂を対価にして得ていた力。


 最も高い可能性であり、同時に如月がそうであって欲しくないと願っていたことでもあった。


 あまりにも自己犠牲が過ぎている。彼はきっとそう言わないであることが、否定することがわかるからこそ、如月はなおさら苦い思いを感じていた。


 日神ハルを助けたことも、そのペナルティとしてミゼットと戦ったことも、茜奈を導いたことも、そして今回のアナトリア姉妹のことも、他の誰かのためではなく、他でもない自分のためにやったと言い張るに決まっている。


 それがただ――ただ悔しかった。


 呼吸も整わないまま、月宮は立ち上がろうとする。けして弱さを見せない彼が、それを隠すことができないほどに痛みを感じていた。立てるはずもない。立っていいはずがなかった。


「ダメだよ、つっきー!」


「まだだ……。まだ終わってない」


「終わったんだよ。つっきーが終わらせたんだ」


 立ち上がる途中でガクリと力が抜けたようになる月宮を、如月は黒コートと支えた。その身体は冷たかった。汗で身体が冷えたにしても、度を超え過ぎている。月宮の身体の異変は見えない個所で静かに起きているらしい。


 月宮はふらつきながらも一人で立った。瞳の明滅は終わり、不自然に汗が引いていた。それだけに、余計に心配になる。


 静かに遠くを見る彼の視線を追った。


「お前は、あっちを頼む」月宮は少しだけ振り向き、如月にそう告げた。あっちとはアナトリア姉妹のことだろう。


「それは、いいけど……」


 いったい彼がなにをしようとしているのかわからない。けれど、彼に頼まれたのだから如月はそれを無視することはできない。


「うん、わかった」



     ※



 フェリチタが倒れたあと、月宮も崩れるように地面に膝をつけた。その瞬間、彼から感じていた冷たく綺麗な風が霧散していった。なにが起こったのか理解できなかったが、音無はルーチェがフェリチタに駆け寄りだしたのを見て、そのあとに続いた。


 ルーチェは俯せに倒れたフェリチタを仰向けにする。


「大丈夫なの?」


「わからない……」ルーチェの声は震えていた。困惑と悲痛が混じっている。「こんなの初めてだから……。再生はしてるけど、速かったり遅かったりするし、力の波長も不安定なんだ」


 音無はフェリチタの様子を確認した。翼はなくなり、出血をしている以外は眠っているようにしか見えない。微かだが呼吸はしている。荒くなっていないことが、音無に不安を募らせた。


 だが、月宮がこうなることを予期せずに行動したとは考えにくいため、大事には至らないことはなんとなく察することができた。しかしそれをどうルーチェに説明していいのかがわからない。どんな言葉をかければいいのか、音無には思い付かなかった。


 その件の月宮は仲間に囲まれ、眼鏡の女の顔にはただならぬ事態を予感させる表情が浮かんでいた。「魂」や「器」といった言葉が聞こえてきたが、それと月宮にどう関係してくるのかは不明だ。ただ彼女が心配しているのは、それらのことなのだろう。


 音無はなにか手助けをしたいと思うが、月宮たちのことも、フェリチタたちのこともどうすることもできない。単純に怪我をしたから病院に連れていけばいいというわけにはいかないことは理解していた。


 それだけに、悔しかった。


 唇を噛み、密かに拳を握りしめる。


 俯いていると、視界に眼鏡の女が映り込んだ。はっとして顔を上げると、月宮は遠くを見つめて立ち、その後ろには黒コートがいた。それを一瞥してから、また眼鏡の女に視線を戻す。彼女はフェリチタの状態を確認しているようだ。


「どんな状況」


「いつもと違うの」ルーチェが答える。少し涙声になっていた。「いつもなら、怪我が治るのに全然治らないの」


「再生してないわけじゃないのね」


「どうにかできるのっ?」音無は訊く。


「つっきーに頼まれたんだからなんとかする」なにかを言おうとして、眼鏡の女は口を閉じた。言葉を選んでいるように思えた。「――彼女たちの力を発揮させる装置が壊れたんだと思う。再生が少しでも起きてるから完全じゃない。だからそれを補えれば、フェリチタは助かるはず」


 ルーチェから状態を聞き、その様子を確認しただけでそこまでわかるということは、眼鏡の女の知る技術で、彼女たちの力は発揮されているらしい。それは音無には言えない技術で、この街に意図的に規制されているものなのだろう。そうでもなければ寡聞にして知らないということはないはずだ。


 これだけの力が広まらないわけがない。


 あるいは、街の外でさえ秘匿されているものなのかもしれない。


「補うってどうやって」ルーチェが訊く。


「あなたの血を分けてあげればいい。フェリチタは装置が壊れているだけじゃなくて、出血によって力が弱まっている。だからあなたの血で、フェリチタを再生させるの」


「……わかった」と頷く。


「一気に多少の血液を与えると、暴走しかねないから少しずつね。私が反応を見てるから、ルーチェは血を与え続けて」


 眼鏡の女は、冷静に事態に対処していた。


 ルーチェが自分の手首を切り、流れ出る血液をフェリチタの口に垂らす。


 これで彼女たちは救われる。


 音無は安堵した。


 正確には“しよう”とした。


 どこかから不穏な風を感じ、ふいに思い出す。


 月宮が遠くを見つめていた。


 あの行動に意味があるとすれば。


 それに気付いたとき、金属が弾ける音が響いた。


 吹き飛ばされたナイフが地面に刺さる。


「なにっ?」ルーチェが不安そうに声をあげた。


「大丈夫!」眼鏡の女が言う。「つっきーに任せておけば大丈夫」


 音無はその言葉で、月宮が相手にしている組織に気付き、月宮が見据える先に視線を向けた。そこに誰がいるかは確認できない。ただ背の高い建物が並んでいるだけだ。しかしあの場所のどこかに、強大な相手がいるのは間違いない。


 事務所員の誰かが。

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