第4話 悪夢

 月宮は駅前広場にいた。八月三十一日の午前中だというのに賑わっているというのは、夏休み最後の日だから遊び尽くそうという考えを誰もがしているからだろう。


 茜奈を秋雨と二人きりにするのは明らかに危険だったため、今日のところは解散してもらうことにした。茜奈にはなにも言わずにいたが、秋雨には時間ができたら連絡すると言ってある。それまでは自宅で頑張ってもらうしかない。それ以外の場所だと茜奈がどこまでもついていきそうだからだ。


 ただ茜奈の方は、月宮に用事ができたと知ると、


「茜夏に会いに行くか」


 と、すぐさま別の相手のもとへ向かう算段を立てていた。彼女の中では誰よりも茜夏の存在が大きいというのに、どこか扱いがぞんざいであるように感じる。あるいは、それが彼女たちの現在の関係性なのかもしれない。


 茜奈たちがどう決着をつけたのかを月宮は知らない。あのとき病室で促しはしたものの、以来そのことについては触れていなかった。


 それは月宮の踏みこんでいい領域ではない。


 踏み込める場所にはない。


 いつだってそうだ。姫ノ宮学園と日神ハルに関わる問題にしても、最終的に決着をつけたのは日神であり、如月たちであり、水無月ジュンである。月宮ができたのはただあの忌々しい魔術師に翻弄されるくらいだ。


 泥のように眠ったとき、夢を見る。「夢を見た」と意識できるのは、憶えていられるのはそういうときだけであり、またそれほどまでに疲労したときでないと夢を見るほど深い眠るに落ちることはできなかった。


 赤い空に黒い月。


 星咲夜空が姫ノ宮学園にいた関係者三千人の魂を犠牲にして発動した魔術。それは《終焉の災厄》を復活させようとした彼らの願いの集合体であった。


 集わされた願いであり、成就したわけじゃない。


 それは彼らの願いの果てにあったものとは姿形は似ているものの、まるで性質が異なっていた。規模が段違いだった。


 月宮はその魔術を夢で目の当たりにする。しかし場所は姫ノ宮学園ではない。黒い空間だ。どこまでも闇だけが敷き詰められた場所で、赤い空と黒い月を見る。なぜか天井ではなく空だと認識でき、闇だけしかないはずの空間で黒い月を捉えられた。


 不可思議なのはそれだけではない。


 いつも扉の上に立っているのだ。


 大きな白い扉の上で、赤い空と黒い月を眺めている。


 何度かその夢を見て気付いたことは、その黒い月が押し寄せてきていることだ。少しずつだが着実に落ちてきている。


 それもまた姫ノ宮学園のときと同じだ。


 あと何度その夢を見たら黒い月と接触するのかはわからない。わかっているのは、月宮はその夢から逃げることができず、また夢の中では一切の抵抗を許されていないことだけだ。


 呑まれたらどうなるのか。


 あれが《終焉の厄災》を模していた魔術であるのなら、やはり消滅してしまうのだろうか。


 しかしいったいなにが。


 そんな月宮の思考を中断させたのは、彼を呼ぶ声だった。地に伏していた視線を上げて、声の主を見た。


 知らない女の子だった。黒いノースリーブのブラウスには赤いリボンが、赤いチェック側のミニスカートには黒いリボンが設(しつら)えてある。紫色の運動靴を履き、頭には黒いキャスケットを被っていた。


 こんな格好をする知り合いに心当たりがない。それに初めて見る顔にも思えたが、しかしその声には聞き覚えがあるような気がした。姿を見るまではたしかにその人物を思い描いていたのだが、今となっては人違いだったかもしれないと思えてくる。


「どうしたの、月宮」


 大きな黒い瞳が、月宮をしっかりと見据える。白い肌をした小さな顔のために、一層とその黒さが際立っている。


 そしてその声はやはり聞き覚えがあるもので、彼女が本人であることを月宮に知らしめるのには充分なものだった。


「お前、本当に射干玉(ぬばたま)なのか?」


「うん」


「あ、いや悪い。いつも黒いコートだし、フードも被ってるから……。というか初めて顔を見た」


 月宮の部屋を訊ねてきたときも、やはり黒いコートを着て、フードを目深にしていた。明らかに夏とはかけ離れた格好をしている。彼女を見た人はきっと暑い思いをしたに違いないと断言できた。


「普段は見せない。私だってばれてしまうから」


 言葉足らずだと思ったが、月宮はそれを自分なりに解釈した。おそらくは彼女の持つ「治癒」の力のことを言っているのだろう。アリスが彼女ほどの強い「治癒」の力は稀有だと言っていた。稀有だからこそ、求める声も多いはずだ。


 それにアリスの隠し玉であるため、もしかしたら顔を知られることを彼女に制限させられているのかもしれない。


「今日はいいのか?」


「大丈夫。これで少しは隠せる」


 射干玉はキャスケットのつばを下げて、顔に陰を作った。身長差のために彼女が見上げるか、キャスケットを取らないと、月宮からは彼女の顔を窺うことはできない。


「その服は自前か?」


「帽子は私の。服は借りた」


 いったい誰がこんな服を持っているのだろう、と月宮は考え、すぐに茜奈の顔が思い浮かんだが、しかし彼女は射干玉と交流はないに等しいため対象からは除外された。茜奈を除いた場合に最初に思いつくのは、やはりアリスだろう。ただアリスがこんな格好をするとは思えないため、今日のために用意した可能性が高い。


 たしかに射干玉らしい色合いだとは思うが、しかし暑そうなのは普段と変わっていない。


「そうか――どこ行くか決めてるのか?」


「決めてない。月宮がエスコートしてくれるって」


 予想はついているが、あえて訊く。


「誰が」


「アリス」


「俺で遊んでるよな、あいつは……」


 こうして月宮が射干玉といるのも、もとを正せばアリスの一言が原因だ。月宮が初めて茜奈と出会ったときのことを話したあのとき、秋雨とデートをしただの、射干玉も経験した方がいいだのと言った。


 それを真に受けてしまった射干玉は、月宮にデートの約束を取り付けた。それがなにかも知らずに。


 月宮はそれを断れない。なぜなら茜夏を助けるときに、射干玉と「彼女の要求を一つ呑む」約束をしていたからだ。それがまさかデートだとは思わずに即答してしまったが、後悔はなかった。


 たとえあのとき「デートをしろ」と言われても月宮は即答していた。


 しかし実のところ、なにを要求されるのか不安で仕方なかった。以前に琴音と約束を取り付けたときは「昼食を奢る」だけであったはずなのに、なぜか一週間、一日三食を奢らされることになった。金銭面で不自由しているわけではないが、これが一生続くような恐れを密かに感じたのである。


 もしかしたら同じようなことになるのではないか。そんな一抹の不安を抱えて今日まで過ごし、そしてこのデートとやらが終わるまでそれが拭い去られることはない。


「まあとにかくここで立ち話するよりはどこかに行った方がいいな。射干玉はなにかしたいことはあるか?」


「ない」と射干玉は即答。


「そもそもデートがなにかってのは知ってる?」


「男女が出かけることだって聞いてる。それがどうして私に必要なのかはわからないけど、アリスが言うんだから間違いない」


「どんだけ信頼してんだ」


 二人がどういう経緯で出会い、今に至るのかを知らないため、アリスの言葉を否定するのは躊躇われた。どれだけ信頼しているのかと疑問に思えるほどに信頼しているということは、二人には固い絆のようなものがあるに違いない。


 そう思うことにして、とりあえず月宮は歩き始めようと、行く方向に指をさして、射干玉にそれを促した。彼女は小さく頷く。


 人の多さから並んで歩くのは難しいと思われたが、しかし射干玉はしっかりと月宮の横に並んで歩いた。身のこなしが明らかに素人ではない。見る者が見れば、彼女の実力をそれなりに察してしまいそうなものだ。


 しかし彼女も馬鹿ではないだろう。おそらくは格闘技なりを少しかじっている程度に抑えているはずだ。


「そういえば、射干玉って――」


「あまり名字で呼ばないで」


「じゃあなんて呼べばいいんだよ」


「お前とかあんたとか。少し思ったけど、名前を人混みの中で呼ばれるのは危険」


「お前がそう言うなら、そうするけど」月宮は仕切り直す。「お前っていくつなんだ? 仕事じゃあ先輩らしいけど、見た目は年下っぽいんだが」


 ただ見た目だけならば琴音の例もある。彼女の場合は年齢不詳だが、明らかに年上だというのはわかる。積み上げてきた経験の差、乗り越えてきた場数の差が圧倒的にかけ離れている。


 それでも生まれた環境によっては月宮の年下だとしてもその差はある。たとえば如月たちは月宮と同い年だが、実戦経験は彼女たちの方が豊富だ。ただ仕事として選んだ月宮とは違い、彼女たちはそうしなければ生き残れない環境にいた。それが大きな差を作り出している。


 もしかしたら射干玉も厳しい環境で育ち、どこかでアリスか誰かに拾われてきたのかもしれない。そんな想像しかできないくらい、月宮は射干玉のことをなにも知らなかった。生い立ちはともかくこの程度ならば話の種になるだろう、と思っての質問だ。


「今年で十五になる」


「ああ、やっぱり」


「十五に見える?」


「そんな鑑定眼は持ってない」


「月宮は――」射干玉は少し考えたのか間を空けた。「月宮って呼んでいいの?」


「好きに呼んでくれ」


「じゃあ月宮で。月宮はいくつなの?」


「あれ? そういう話はアリスとするんじゃないのか?」


 事前情報として個人情報のほとんどを聞いていると思っていただけに意外だった。そもそも個人情報を口外されることを当然とする、そうしないことを意外だとする思考が異常なのだ。普通はそんなことは起きない。


「しない。アリスがする月宮の話は愚痴ばかり。あとはどんなペナルティを与えるべきかを私に聞いて、アリスが自分で答えを出したりするくらい」


「さぞ楽しそうな顔をしてるんだろうな」


「恍惚って感じ」


「……もう無茶は言えねえな」


 これまでのペナルティで一番きつかったのは、言うまでもなくミゼット・サイガスタを倒すことだ。月宮が自身の存在を魔法の域まで高めたために姫ノ宮学園に生じた世界の歪みに気付いた彼は精霊界への到達を成そうとした。精霊界を仲介点として、そこから神界に至ろうとしたのだ。


 人間界と精霊界を繋ぐ扉を開き、精霊の力を得たミゼットとの死闘は月宮だけでは終わらせることができなかった。黒い月を消したときのように「神の力」を使っていれば苦戦はするだろうが辛勝はできたはずだ。


 神と精霊では次元が違う。神の前では精霊など塵芥のようなものだ。


 そうできなかったのは、歪みを強めてしまう恐れがあったからだ。歪みが大きくなったときに世界に生じる影響が予測できないため、抑制しなければならなかった。


 たとえ生き残るためであっても、それだけはできない。


 おそらく琴音か、あるいは咎波あたりが監視役だったのだろう、と月宮は思っていた。事務所の目的は世界のバランスを保つことであり、同時にそれを脅かす危機を排除することだ。だからこそミゼットは排除すべき対象になっていた。月宮もそれは例外じゃない。いつ対象になってもおかしくはないのだ。


 所長であるアイリスの前では、月宮の命もまた塵芥と同じだ。


 そのアイリスが代理であるアリスにその権限を与えているのなら、月宮は今度自分の身を守るために事務所に逆らうことをしないようにしようと思った。


 しかし、射干玉が首を横に振る。


「月宮はきっとまた無茶を言う。ペナルティがあるとわかっていても、自分を偽る行動をしない。だからアリスは月宮のことが好きなんだよ」


「おもちゃとしてだろ?」


「あながち間違ってない」


 意外と話せる射干玉に、月宮は安堵していた。もし無口でただ淡々と時間が過ぎていくだけだったのなら、どうしていいのか本当にわからなかった。


 とりあえず今日一日はなにも問題は起きずに終わりそうに思えた。

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